□チリのピノチェト元大統領が死去 73〜90年軍事独裁
73〜90年にかけてチリで軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領
(91)が10日、急性心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去し
た。同氏の軍事独裁下、約3000人が殺害・行方不明になったとされ
る。一方で社会主義政権を倒して経済を再建した救国の英雄と崇拝され
ており、国論は長く二分されてきた。だがここ数年は、軍事政権下の人
権侵害などについて訴追が進んでいた。
地元テレビによると、病院前では支持者が集まり、国歌を歌って死を
悼んでいる。一方で、「独裁者」の死を喜ぶ人々もサンティアゴ市内の
路上に集っている。地元紙のアンケートでは、55%が国葬に反対して
いる。
同氏は心筋梗塞(こうそく)と肺水腫のため、3日からで入院していた。
ピノチェト氏は18歳で陸軍に入隊して以降、一貫して軍人としての
道を歩んできた。73年9月、アジェンデ社会主義政権をクーデターで
打倒した。その直後、軍事評議会議長に選ばれ、翌年には大統領となっ
た。その後、戒厳令をしいて国会を閉鎖。政治活動を制限し、徹底的に
左派勢力を弾圧した。
90年の民主化後、政府は軍政時代の虐殺・人権侵害などを調査し、
約3000人が死亡・行方不明となり、約3万人が拷問などの被害を受
けたとする結果を公表した。
90年の民主化後も終身上院議員として免責特権が与えられたが、9
8年10月、療養先のロンドンで英司法当局に逮捕された。「虐殺の被
害者にスペイン人もいる」として、スペイン司法当局から出された逮捕
命令と国際手配を受けてのことだった。
00年3月、健康上の理由から英国で釈放され、チリに帰国した。約
300の事件に絡み起訴などの司法手続きがとられた。いったんは02
年7月、高齢による健康上の理由で裁判の中止が決定されたものの、0
5年から再開の動きが進み、現在は左派活動家の殺害や拷問、横領など
で起訴されていた。
出典:asahi.com 2006年12月11日04時15分
http://www.asahi.com/international/update/1211/002.html