【パプアニューギニア】首狩り族の装飾された頭蓋骨、インドネシアに返還される[12/08]

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1飛び出せ!! 釣り仲間φ ★

昨年、オーストラリアの検疫所職員に押収されたパプアニューギニア原住民の
頭蓋骨が、インドネシアに返還された。
イアン・キャンベル環境相が7日、明らかにした。

装飾をほどこされたアスマット族の頭蓋骨は2005年1月に押収された。

「このユニークな物体は黄土色に塗られ、鳥の羽を編んだヘッドバンドをつけて
いました。イノシシの牙に似た大きな装飾品、種、ビーズなどで飾られていました」

アスマット族の彫刻や工芸品は欧米のコレクターの間で人気が高い。

アスマット族はかつてパプアニューギニアで最も悪名高い人食い部族だった。
戦争の時には、敵兵の脳味噌をサゴという虫と混ぜて貪り食っていた。

また敵の首を集めて彫刻を施した柱に飾り、勝利の象徴にしていた。

同部族はパプア南部の小さな島々に住んでいた。


ニュースソース
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081165550915.html
2七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 20:56:50 ID:S5jYUytQ
っが
3七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 20:58:09 ID:+pA4o2t+
3
4七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 21:07:01 ID:WBQk/sAt
がぞうも(ry
5七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 21:47:34 ID:lWpiThSQ
【人肉パクパク】人肉を日常的に食べていた日本軍2【脳みそチューチュ】
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1164029268/l50
日本兵はフィリピンとかで現地人やアメリカ兵を殺して食ってた
現地人は黒ブタ、アメリカ兵は白ブタと呼んでいた
そして、それさえなくなると
くじ引きしたり、階級の低い者、軍規を乱した者など
仲間の日本兵も殺して食っていた

真実のドキュメント映画「ゆきゆきて、神軍」より
http://homepage3.nifty.com/cinema1987/moviecritic/review12.html
アマゾンで購入出来ます
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005HPKO

手塚治虫のお父さんはフィリピンの奥地に行って、
空腹の毎日を暮らしていたが、
本当に何もなくなると誰かがちゃんと「野豚」を捕まえてきて食べさせてくれたという。
お父さんは何かを見てしまった、そしてそれを隠しているような怯えをみせたという
それが「ゆきゆきて神軍」を観て何だか答が分かったというのです
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/cinema/singun.html

アメリカ人やフィリピンや、ニューギニア、アジアの人々
世界中の人々に日本兵の行った人肉食の真実をつたえましょう

そして、親族が戦地で名誉の戦死したとつたえられた御遺族の皆さん
貴方達の父や夫、兄、弟は仲間である日本兵によって殺され
そして、食われたという可能性もある事を知ってください
これらの事実を美しい国の教科書にのせましょう
6七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 21:49:28 ID:lWpiThSQ
辺見庸「もの食う人びと ミンダナオ島の食の悲劇」より抜粋

老人が野の草を引き抜きはじめた。
アザミみたいな花をつけた草。ドゥヤンドゥヤンというのだそうだ。
「連中(残留日本兵)はこの草とあの肉をいっしょに煮とったよ」
言いながらドゥヤンドゥヤンの花をむしっている。

「謎なんだな」老人が立ち止まって独りごちた。
残留兵たちが栄養失調状態にあったのは事実だろう。が、四六、四七年当事、山には野豚も野鹿も猿もいた。
山を少し下りればガビ(里芋)も生えていた。
残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったではないか。
動物がだめなら、栄養豊富なガビだけでも相当生きられるのに。
あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて・・・・・。

四九年の戦争犯罪裁判(マニラ)の証言者でもある農民のカルメリノ・マハヤオが、村人の声をまとめた。
四六年から四七年はじめにかけて、この村とその周辺だけで三十八人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。
頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。
しかし、日本側は一度として調査団を派遣してきたこともない。

四七年以降の残留日本兵への尋問当事から、
現代史ではきわめてまれな兵士による「組織的食人行為」として、連合軍司法関係者を仰天させた

十人がマニラの法廷で死刑、四人が無期懲役を言い渡されたが、
恩赦で刑は執行されず、死去した隊長を覗く全員が帰国したという。

保障要求といっても、人知れず悩み抜いているだろうその人達に迷惑はかけたくないと、老人は言った。
老人は帰国した彼ら元残留将兵と文通していた。
元将校が、日本に語学研修に行った老人の娘の身元保証人になったこともあるという。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043417012/sr=8-1/qid=1165398258/ref=sr_1_1/250-1544293-2441021?ie=UTF8&s=books
7(,,゚д゚)さん 頭スカスカ:2006/12/08(金) 21:51:11 ID:FeGnPrK1
>頭蓋骨が、インドネシアに返還された。

「いえ これはカンバンでございます」って話だろ
8七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 21:51:50 ID:lWpiThSQ
ひかりごけ事件

日本軍暁6193部隊所属の「第五清進丸」が難破して
船長一人が人肉を食べて生き残った事件。

「近くの岩場を調べたところ、ロープで縛られたリンゴ箱が見つかり、
その中に人骨とみられる骨やはぎとられた人間の表皮がぎっしり詰まっていた。
頭部は割られ、中の脳漿はからっぽになっていた。
それぞれの骨はナイフできれいに切り取られた跡がはっきり残っていた。
肉を焼いて食べた跡も残っていた。」

「横になっているシゲの屍を見ているうちにどうしても我慢出来なくなり
股のあたりを包丁でそいで味噌で煮て食べた」

「脳みそを食べた時がもっとも精力がついたような気がした」

「この頃の南方戦線では極端な食料危機に陥り、飢餓にさらされた日本兵が敵兵の屍や同僚の屍を食べて生きながらえた、
というのは今や常識となっているが、あまりにも頻繁に起きため、司令官はやむを得ず、次ぎのような「緊急処断令」を出した。」

「刑法には規定されていないが、なにびとといえども人肉をそれと知りながら食したる者は、
最も人道に反した者として死刑に処す。但し、敵の人肉はその限りにあらず」

「食人行為」を「最も人道に反した行為」としながらも、「殺人行為」と同様に考え、
その相手が敵兵である場合に限って許可したのである。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/hikarigoke.htm
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%94%E3%81%91%E4%BA%8B%E4%BB%B6
9七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 21:54:06 ID:lWpiThSQ
「正論」も日本軍の人肉食を事実と断定!

戦後、マニラ東方山地にこもった振武集団の参謀長だった少将が、
集団で人肉を食べた兵たちを銃殺刑にした事実を暴露した。
http://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2005/0509/photogallery.html

ウィキペディアより

また太平洋戦線の島嶼等で日本軍が各地で食料が尽き苦戦していた際、
戦死した兵士の死体の肉を奪い合って食べ、軍上層部でも問題となった。
これに対し、1944年12月にニューギニア戦線の日本軍第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」とし、
これに反した4名が処刑された(但し、敵軍の死体は食べても罰するという記述は無く、
フィリピンのミンダナオ島では非戦闘員を含む住民が日本兵に殺害され、
食べられるという事件が起こっている)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
10七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 22:04:40 ID:UVjgLtMD
>5-9
お前の国には負けるわ。
戦時じゃなくても人食ったりしねぇもん
11七つの海の名無しさん:2006/12/08(金) 22:07:49 ID:0RYIeqL8
どんなニュースでも日本と関連付けて騒ぎ立てる馬鹿がいますな。
お前ら死んでしまえ!
12七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 00:04:48 ID:lWpiThSQ
【人肉パクパク】人肉を日常的に食べていた日本軍2【脳みそチューチュ】
http://tmp6.2ch.net/test/read.cgi/asia/1164029268/l50
日本兵はフィリピンとかで現地人やアメリカ兵を殺して食ってた
現地人は黒ブタ、アメリカ兵は白ブタと呼んでいた
そして、それさえなくなると
くじ引きしたり、階級の低い者、軍規を乱した者など
仲間の日本兵も殺して食っていた

真実のドキュメント映画「ゆきゆきて、神軍」より
http://homepage3.nifty.com/cinema1987/moviecritic/review12.html
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手塚治虫のお父さんはフィリピンの奥地に行って、
空腹の毎日を暮らしていたが、
本当に何もなくなると誰かがちゃんと「野豚」を捕まえてきて食べさせてくれたという。
お父さんは何かを見てしまった、そしてそれを隠しているような怯えをみせたという
それが「ゆきゆきて神軍」を観て何だか答が分かったというのです
http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/cinema/singun.html

アメリカ人やフィリピンや、ニューギニア、アジアの人々
世界中の人々に日本兵の行った人肉食の真実をつたえましょう

そして、親族が戦地で名誉の戦死したとつたえられた御遺族の皆さん
貴方達の父や夫、兄、弟は仲間である日本兵によって殺され
そして、食われたという可能性もある事を知ってください
これらの事実を美しい国の教科書にのせましょう
13七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 00:06:49 ID:lWpiThSQ
辺見庸「もの食う人びと ミンダナオ島の食の悲劇」より抜粋

老人が野の草を引き抜きはじめた。
アザミみたいな花をつけた草。ドゥヤンドゥヤンというのだそうだ。
「連中(残留日本兵)はこの草とあの肉をいっしょに煮とったよ」
言いながらドゥヤンドゥヤンの花をむしっている。

「謎なんだな」老人が立ち止まって独りごちた。
残留兵たちが栄養失調状態にあったのは事実だろう。が、四六、四七年当事、山には野豚も野鹿も猿もいた。
山を少し下りればガビ(里芋)も生えていた。
残留兵たちには銃も弾薬もあった。タンパク質がほしかったら動物だけを撃てばよかったではないか。
動物がだめなら、栄養豊富なガビだけでも相当生きられるのに。
あれを、しかも数十人も食ってしまうなんて・・・・・。

四九年の戦争犯罪裁判(マニラ)の証言者でもある農民のカルメリノ・マハヤオが、村人の声をまとめた。
四六年から四七年はじめにかけて、この村とその周辺だけで三十八人が残留日本兵に殺され、その多くが食べられた。
頭部など残骸や食事現場の目撃証言で事実は明白になっている。
しかし、日本側は一度として調査団を派遣してきたこともない。

四七年以降の残留日本兵への尋問当事から、
現代史ではきわめてまれな兵士による「組織的食人行為」として、連合軍司法関係者を仰天させた

十人がマニラの法廷で死刑、四人が無期懲役を言い渡されたが、
恩赦で刑は執行されず、死去した隊長を覗く全員が帰国したという。

保障要求といっても、人知れず悩み抜いているだろうその人達に迷惑はかけたくないと、老人は言った。
老人は帰国した彼ら元残留将兵と文通していた。
元将校が、日本に語学研修に行った老人の娘の身元保証人になったこともあるという。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4043417012/sr=8-1/qid=1165398258/ref=sr_1_1/250-1544293-2441021?ie=UTF8&s=books
14七つの海の名無しさん:2006/12/09(土) 02:38:54 ID:1dU3/MZr
戦時下における異常行動=中国の日常
15七つの海の名無しさん
脳ミソって毒あるんじゃないのか