>>5さん
どうぞ。
wikipedia-カシミール
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB 1947年8月にインドとパキスタンがイギリスから独立したことに端を発する。
ヒンドゥー教徒が多数であるが多民族、多宗教のインドと、イスラム教を国教とするパキスタンが同時期に独立した為、
宗教的理由からイスラム教徒はパキスタンへ、ヒンドゥー教徒はインドへと移動を始めた。
国境線付近では宗教的対立から、略奪、虐殺、レイプなどが多発した。犠牲者は30万人とも100万人とも言われている。
イギリスの植民地時代のインドは、藩王国をイギリスが間接的に統治していた。
インド、パキスタンが独立したことで、藩王国はいずれかに帰属をしなければならなかったが、
カシミール藩王は独立を考えていた。
カシミール藩王はヒンドゥー教徒であったが、住民の80%はイスラム教徒という微妙な立場にあったからだ。
パキスタンが武力介入してきたことで、カシミール藩王国はインドへの帰属を表明し、インド政府に派兵を求めた。
これが第一次印パ戦争の発端である。以後、第三次戦争まで争っている。
この地域についてはパキスタンとインドが領有を主張し、これまで大小の軍事衝突を繰り返してきた。
現在はほぼ中間付近に停戦ラインが引かれている。
パキスタンの実効支配地域はアーザード(自由)・カシミールと呼ばれており、
インドの実効支配地域はジャンム・カシミール州となっている。
またカシミール北東部、ラダック地方の東半にあたるアクサイチンは中華人民共和国に実効支配されている。
また、カシミール問題と言うときには、インド管理地域内でのムスリム集団による分離独立運動もさすことがある。