【英国】1975日本赤軍米大使館占拠事件、マレーシアは突入模索…英機密公文書[051229]

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1つかφφ ★:2005/12/30(金) 00:34:50 ID:???

 1975年8月、日本赤軍がクアラルンプールの米大使館などを占拠した事件で、
日本政府が人質の人命最優先を主張する一方で、マレーシア政府は特殊部隊の
突入を模索していたことが、29日に公開された英機密公文書で明らかになった。

 同年8月20日付の文書では、在クアラルンプール英大使館の担当者が、マレーシアの
ガザリ内相(当時)から聞いた経緯を詳述。内相は、犯人や人質らをリビアに出国
させるため用意した日航機周辺に、警官を装った特殊部隊10人と狙撃班を秘密配置
したと明かした上で、「自分がボタンを押せば、地上の犯人を射殺し、部隊が機内に
突入する手はずだった。人質1、2人は犠牲になったかもしれないが、犯人は全員
逮捕か射殺できた」と説明した。

 作戦を中止した理由については、「世界中のマレーシア大使と家族が日本赤軍の
報復の犠牲になることを恐れた」と語った。

 事件では、当時の三木内閣が人質と引き換えに超法規的措置で過激派5人を釈放。
このうちの1人、坂東国男容疑者は後にダッカ事件(日航機ハイジャック事件)に
加わり、現在も国際手配中となっている。


ソース(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20051229i313.htm
2七つの海の名無しさん:2005/12/30(金) 00:46:55 ID:zQ0cN+q2
超法規的措置キター

>>1 乙です
3七つの海の名無しさん
ペルー事件の時も日本政府は足引っ張ってばかりだったしな。当時も平和解決ばかりいって世界にテロリストばらまいたか。平和主義が平和の敵。