【イラク自衛隊】サマワでサドル師派のデモ〜停電・燃料不足の改善を訴え、陸自批判も(1/15)

このエントリーをはてなブックマークに追加
1 ◆mLs/GENDAI @ゲンダイ系φ ★

停電、燃料不足改善求めデモ=サマワ自衛隊も批判−次回武器使用と警告・サドル派
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050115-00000056-jij-int
(Y!ニュース/時事)

 陸上自衛隊が駐留するイラク南部サマワで、イスラム教シーア派の反米武装闘争を呼び
掛けるムクタダ・サドル師派の支持者ら約300人が15日、深刻な停電や燃料不足の改
善を地元行政当局に求める抗議デモを行った。一部は銃を持っていたが混乱はなかった。
 デモ隊は「州政府が市民の生活を改善しなければ、次回はRPG7(対戦車ロケット弾)
で訴える」などと書かれた布を掲げて行進。州知事庁舎前で座り込みをし、サドル師のサ
マワ事務所代表を務めるガジ・ザルガニ師が「政府は燃料を市民に売らずに横流して私腹
を肥やしている」などと行政府の腐敗を批判し、サマワ市民の生活改善を求める要請書を
州知事側に手渡した。
 また、ザルガニ師は「自衛隊はサマワに600人いるが大規模な事業を行うという最初
の約束を果たさずにいる」と批判した。 
2月の砂漠の名無しさん:05/01/16 00:28:37 ID:Jf8J3GFB
>次回はRPG7(対戦車ロケット弾)
やろうとしてることが脅しじゃないか。
3月の砂漠の名無しさん:05/01/16 00:36:15 ID:dkYZcFWl
「自衛隊はサマワに600人いるが大規模な事業を行うという最初の約束を果たさずにいる」

おまえらがうろうろしているからじゃないのかと
4月の砂漠の名無しさん:05/01/16 00:50:45 ID:xjrL7iP9
後の歴史でザルガニ合戦と呼ばれるでしょう
5月の砂漠の名無しさん:05/01/16 01:29:31 ID:qJ7d8AKh
電気ちゃんとしたんじゃなかったの?
6アルカイダ日本支部長:05/01/16 03:03:05 ID:k8GSF8Rb
隊員、イラクでアウトドアキャンプ中!
で、一日いくら浪費?ブッシュに請求しろぉ!
7月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:04:26 ID:Gtobnuln
■■ Japan On the Globe(378)■ 国際派日本人養成講座 ■■■■

The Globe Now: サマーワに架けた友情の架け橋

 自衛隊のイラク支援活動によって得られた
信頼と友情は「日本人の財産」
■■■■ H17.01.16 ■■ 32,680 Copies ■■ 1,433,923 Views■
無料購読申込・取消: http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/
■1.前代未聞の感謝デモ■

 イラクでは噂が伝わるのが速い。昨年12月14日の自衛 の派遣期間が終わりに近づき、またロケット砲が打ち込まれる
という騒ぎが起こると、「自衛隊は帰るのか?」という懸念が瞬く間に広まった。

 すると140人の老若男女からなるデモ隊が「日本の支援に感謝する」と自衛隊宿営地に詰めかけ、口々に「帰らないで」
と懇願した。同時に「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展開され、2日間で1500人もの署名が集まった。[1]

 実は感謝デモはこれで二度目だった。4月に2度、自衛隊宿営地そばに迫撃砲が撃ち込まれると、サマーワ市民による百人
規模のデモ行進が行われた。スローガンは「日本の宿営地を守ろう」というものだった。さらにいろいろな人が宿営地に来て、
「申し訳ない。あれは一部のはねっかえりで、イラク国民の意思ではない。どうか帰らないでくれ」と陳情した。[2]

 前代未聞のデモに、英米オランダ軍も驚いて、自衛隊に矢継 ぎ早に問合せをしたほどだが、迫撃砲を撃ち込んだテロリスト
達もこれでは逆効果だと思っただのろう。その後、派遣期間終了の近づく11月まで動きはなかった。

 もっともこうした事実は、日本のマスコミはほとんど伝えなかった。逆にパレスチナ自治政府のアラファット前議長の死去
を受けてサマーワで行われた「パレスチナ支援デモ」では、20本ほどの横断幕のたった一つに「自衛隊は撤退すべきだ」
と書かれていただけで「反日デモ」などと報じた新聞があった。偏向報道もここまで来れば、確信犯という他はない。
8月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:05:29 ID:Gtobnuln
■2.「カーネル・サトウはサマーワの人々の心に到達した」■

 自衛隊によるイラク支援は、活動当初からイラクの人々の心を捉えるよう綿密に準備されたものだった。先遣隊隊長として
乗り込んだ佐藤正久・一等陸佐は今回が3度目のPKO参加。最初のカンボジアの後に、ゴラン高原で一次隊長を務めており、
中東人とのつきあいを体験的に心得ていた。

 風貌も中東人風で、豊かな口ひげがよく似合う。現地では「絶対に破らない約束をする」時、互いのヒゲを触る決まりが
あるので、相手の家に招待された時などは、ヒゲが重要な役割を果たした。

 さらにイラク人の衣装を貰って、食事に招待された時にはこれを着ていった。現地の人々と車座になって、右手で食べる。
こうした姿勢をイラク人は「我々の伝統的文化を尊重してくれた」と非常に喜んだ。ある部族長は「カーネル(大佐)サトウは
  サマーワの人々の心に到達した」と語った。

 帰国直前には「イラクから帰ってくれるな。嫁と家は準備するから」とまで言われた。アラブでは妻は4名まで持てるので、
あと3人は大丈夫だというのである。
9月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:12:31 ID:Gtobnuln
■3.「カーネル・サトウを悲しませたくない」■

 先遣隊の仕事の一つに宿営地の準備があったが、この土地の借用交渉がなかなかまとまらなかった。
  地主が法外な値段をふっかけてきたからだ。日本のマスコミはこれをさも現地が自衛隊を歓迎していない
  証拠であるかのように報道したが、佐藤一佐の思惑はもっと深い所にあった。

 私には合意を急ぐという気持ちは毛頭なかった。交渉でぎりぎりまで粘って、
    我々の想定額にできるだけ近づけたいと思っていました。理由があったからです。
   「我々は占領軍ではない」ことをイラクの人たちにアピールするため、しっかりと契約を交わして、
   お金を払って宿営地をつくることを見せたかった。

 それと、我々と同様に土地交渉を行っているオランダ軍の交渉に影響を与えないようにしたかった。
    悪い前例を残さないような妥当な金額で決めたかったのです。ですから、はなから安易に折り合う気はなくて、
    時間をかけていこうと腹を決めておりました。[3,p155]

 ゴラン高原での経験からも、中東での交渉事は、じっくり時間をかけて、まず人間関係を作る所から始めなければならない、
と心得ていた。そのために約1ヶ月半の間に約10回も会って、時にはお茶を飲みながら、日本の文化を紹介したりまでした。

 こうしたプロセスを経て、最後には相手は「カーネル・サトウを悲しませたくない」と言って、きわめて妥当な金額で折れ
てくれた。

10月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:13:06 ID:Tk5XkckZ
たちわりーな
11月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:13:26 ID:Gtobnuln
■4.「我々はあなた方の友人として、サマーワに来た」■

 番匠幸一郎一等陸佐が率いる復興支援の本隊・第一次イラク復興支援群がサマーワに近づくと、道行く人々が
  遠くの方からも大きく手を振った。

 最初は外国人が珍しいのかなと勝手に思っていたのですが、そうではなくて、
    彼らは日本の自衛隊だとわかって手を振っていたのでした。子供たちは「ヤーバニー(日本人)」
と声を上げながら走り寄ってきて歓迎してくれました。[3,p53]

 装甲車両には色鮮やかな日の丸が描かれている。隊服の右胸、左袖、背襟下にも遠目にもよく目に見えるほどの
  日の丸をつけていた。多国籍軍側からは「これでは『撃ってくれ』と言わんばかり。お前らはどうかしている」と
  何度も忠告されたが、イラク人に「自分たちは日本の自衛隊」であることをことさらアピールしたかったからだ。

 サマーワにつくと、番匠一佐は現地の人々に繰り返しこう語って理解を求めた。

 我々はあなた方の友人として、日本からサマーワに来た。我々日本も、60年前の先の大戦で敗れ、
    国土は焦土と化した。すべてが無に帰し、食料にも困る日々が続いた。そんな廃墟のなかから、
    私たちの祖父母、父母の世代は立ち上がり、大変な努力をして、日本を復興させた。そして、
その結果、いまや経済力世界第二位という日本を築き上げることができた。

 メソポタミア文明という人類にとって偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民だ。あなた方に
    同じことができないはずはない。我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いに来たのだ。[3,p58]

 イラク人にとっては、日本は同じアジアの国である。さらに自分たちと同じようにアメリカにやられた国だという意識があっ
たようだ。その日本から「友人として助けに来た」という番匠一佐の言葉はイラク人の心に響いたに違いない。
12月の砂漠の名無しさん:05/01/18 06:16:13 ID:Gtobnuln
■5.意気に感じたイラク人作業者たち■

 宿営地には建設中の段階から、外国の軍人たちが表敬や見学
のために訪ねてきたが、彼らが一様に驚くのは、イラク人作業
者たちが、夕方になってもまだ働いていることだった。外国の
宿営地で雇っている作業者たちは3時、4時になると仕事が途
中でも帰ってしまう。夏場には60度にも達し、風が吹くと汗
はすぐに乾いて塩になってしまうほど、それも無理はない。

 外国の場合は、イラク人作業者に作業を命ずると、彼らだけ
を働かせるのだが、日本では幹部自衛官でも、彼らと一緒になっ
て、ともに汗を流した。

 宿営地の鉄条網整備の際には、日本人2、3人とイラク人7、
8人がチームを作り、有刺鉄線に服はボロボロ、体中、血だら
け汗まみれになって作業を続けた。昼食は分け合い、休み時間
には会話本を指差しながら、仕事の段取りについて話し合う。

 いったん意気に感ずると、とことん尽くすのがアラブの流儀
だ。終業時間の5時を過ぎても、まだ隊員と一緒にブルドーザーに乗って働いているイラク人の作業者もいた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まあ、あと数レス続くんだけど、省略しとく。この「調整役」の役割は「県庁の役割」っていって、本来はサドル師のような
有力者がやらないといけないことなんだが、サドル師派はそれをやらなかった。
んで、自衛隊がやって、周囲の団体もだんだんと同じやり方に変えてきてるから、焦ってるんだろう。
13月の砂漠の名無しさん:05/01/18 09:41:27 ID:SJlEonPC
必死を絵に描いたようなw
14月の砂漠の名無しさん
そういやオランダ軍行かないでデモはしないんだ。