【三人】シンガポール紙が「麻薬常習者と左翼」と題して三人と家族を報道【05/02】

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121月の砂漠の名無しさん
高遠パートの訳。間違ってたらスマソ。

ボラティアの高遠菜穂子さんは過去にテロリスト達と接触を持っていた。

高遠菜穂子さんは 12才で煙草をふかし、13才でシンナーを吸い、15才にはマリファ
ナをやりはじめている。高遠さんは、人生の使命が貧しき人々を助けることだと思
い込み、左翼から集めたお金を使ってイラクに向った。この34才は、先月ファルー
ジャ近郊でイラクの戦士たちに拉致され、一週間後に解放されることとなった3人
の日本人の中の唯一の女性であった。高遠さんは、イラクのホームレス少年達の面
倒をみて、ドラッグを止めさせるという仕事を始めるためにバグダッドに向かって
いた際に誘拐されたが、彼女自身、高校時代には不良であり、麻薬常習者であった。
彼女は、2002年に出版した著書の中で麻薬を常用していたことを認めている。

高遠さんは、大学卒業後、OLとして東京で働いていたが、1年後故郷の北海道千
歳市に戻った。その後、アメリカの黒人解放運動へ一時的に関心を持ち、しばらく
アメリカに渡っている。日本に戻った後、家業の一つであるカラオケボックスの仕
事をしていた。30才にはまだ独身で、無気力となった。自分自身の定収入はなかっ
たが、実家の資産によってよくお酒を飲んでいた。さらに悪いことに、好きだった
男から別の女性と結婚すると言われたことで、長く憂鬱にみまわれることとなった。

かつて恋人であった男性と一緒に読んだインド人精神指導者サイババの著書に再び
没頭し、インドを訪ねた。彼女はインドで貧しく恵まれない人々を見たことで、自
分の使命はボランティアにあると思いこんだようである。それで彼女は、タイ、カ
ンボジア、そしてネパールを訪問した。その後、イラク戦争が彼女をバグダッドに
向わせることとなった。高遠さんは、NGOには属さず働いていたが、イラクでの
ボランティア活動のために左翼から寄付金を受け取っていた。
122月の砂漠の名無しさん:04/05/03 08:14 ID:8rkhz+77
つづき

しかし、誘拐されたとき、彼女は一般の人々の同情をほとんど得られなかった。イ
ンターネットで高遠さんは「日本の恥」と呼ばれていた。彼女の両親は、人質達は
「自業自得」と書かれた嫌がらせの手紙を受けとった。

批判は、二人の子供を持つ主婦である妹さんと千歳青年会議所理事を務める弟さん
にも浴せられた。これは、彼等が自衛隊をイラクから撤退しないと決定した政府を
激しく非難したことが原因であった。イラクの誘拐犯達は、自衛隊を撤退させねば
人質を焼き殺すと脅迫していた。特に、高遠さんは、誘拐自体がでっちあげだと疑
う人が多かった政治家や当局からの激しい怒りを買った。高遠さんは、誘拐犯だと
主張されているサラヤ・アル・ムジャヒディンというグループを含めた、イラクの
テロリストと以前に接触を持っていたと言われている。

さらに彼女は、解放後に涙を浮べながら「イラクの人々を嫌いになれません」と言
い、今後もイラクに残ってボランティアを続けたいと話したことで、小泉首相を含
む多くの日本人を激怒させた。彼女は、日本に帰国した後、つらい経験を克服する
ため実家にとどまっている。世論の力に押しつぶされ、高遠さんは家族の手によっ
てかくまわれている。家族は二度とイラクには行かせないと言っている。

しかし、マスコミの前に現れ、謝罪をおこなうまで彼女は許されそうにはない。高
遠さんが解放された直後、弟の修一さんは「世界中の人達に100回ごめんなさいと
言え」と携帯電話で彼女に伝えている。それで世論は満足するかもしれないが、小
泉首相と官僚達は満足しないかもしれない。