アゼルバイジャン (Azerbaijan) Part.1

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1名無しさん@お腹いっぱい。
アゼルバイジャンについて語るスレッドです。


〜アゼルバイジャン概略〜
歴史上、長らくイラン高原を支配する勢力の影響下にあって、
近世に入ってからは、サファヴィー朝の勢力圏に入り、国教
イスラーム教シーア派への改宗が進み、次第に、アゼリー人
(アゼルバイジャン人)として民族形成されて行った。

イランでサファヴィー朝が滅亡、ガージャール朝が統一政権
樹立に成功するも、既に国威は衰えており、18世紀末、まず
グルジアを帝政ロシアに奪取され、文化10(1813)年に入って
アラス川以北の領土を全て放棄してロシアに割譲する条約を
結ばされて、現在のグルジア東部とアゼルバイジャン北部に
相当する地域を喪失。続く文政11(1828)年、ロシアに敗れて
不平等条約の締結を強いられると同時に、現在のアルメニア、
アゼルバイジャン全域に相当する地域をも喪失する。ここに
至って、イラン領内とロシア領内のアゼリー人が分断された。

アゼルバイジャンは、ロシア領内のアゼリー人による国家で、
ソビエト時代には連邦を構成する共和国のうちの一つだった。
平成3(1991)年、ソ連邦の解体が進む中で独立を達成する。
以後、連邦解体時に書記長だったアリエフ父子が政権を担い
続けており、政権交代することなく現在に至っている。