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Foreign Troops Accused in Helmand Raid Massacre
http://www.e-ariana.com/ariana/eariana.nsf/allDocs/696E8EB73AF6C7ED872573C3004B2398?OpenDocument 現在調査中で公式にはまだ確認されていないが、ヘルマンド州ガルムセル地区
トウベ村の人々から以下のような申し立てがなされている。ガルムセルはタリバンの
活動が活発なために、国際部隊からの攻撃が多い地域だ。国際部隊とタリバンは
市民の犠牲について互いに非難しあっている。
・11月18日、パン屋を営んでいるアブドゥル・マナンは深夜2時ごろヘリコプターの
音を聞いた。すると屋根からアフガン国軍と外国軍の兵士たちが下りてきて
眠っていた2人の弟たちの部屋に入り、彼らがタリバンかどうか聞いた。
弟の1人は違うと言ったが、即座に射殺された。
もう1人の弟はマナンの部屋につれてこられ、そこでのどを切り裂かれて殺された。
マナン自身もつかまえられて首を切られたが、その後放置され一命を取りとめた。
1時間半ほどして兵士たちが去った後、様子を見ると別の部屋には近所の女性と
子供たちが逃げ込んできていた。誰もが泣き叫んでいた。
マナンは夜が明けてから州都ラシュカルガーの病院に運ばれた。
ヘルマンド州では空爆が増えているが、トウベ村で起きたとされる出来事は
空爆で家々や人々が被害を受けているという話とはかなり違っていた。
168 :
2/4:2008/01/04(金) 01:42:39 ID:???
トウベ村のニュースはヘルマンド州内で人々の口から口へとすばやく伝わり、翌々日の
20日には地区の100人近くの長老たちがラシュカルガーへやってきて、国家治安局
およびPRT(外国軍によるアフガン再建チーム)の関係者と会合を持った。
長老たちは怒りで感情的になりながら、外国軍に軍事活動をやめて出て行くように
要求した。また、外国軍だけでなくアフガン国軍に対する反感も強かった。
長老たちも前述のマナンたちと同様の体験を語った。
この会合でヘルマンド州警察本部長のアンディワルは「国際部隊の起こした問題を
今後取り上げ、外国人に二度とこのような事を起こさないと約束させる」と発言した。
あるPRT職員は「その日時にガルムセルで軍事作戦があった。村人たちから被害の
申し立てがあることも認識しているが、裏付ける証拠がなく現在調査中だ。
しかし実証するのは難しいだろう」と取材者に話した。
>>168は3/4です。すみません。
トウベ村からラシュカルガーの病院に来ていた被害者やその家族にIWPRが
インタビューしたところ、大勢がマナンの話と同様の話をした。
誰もが口をそろえて「ヘリの音とともにアフガン兵と外国人兵たちがドアを蹴破り
家の中に入ってきて、子供たちにむけて発砲し、人々ののどを切った。襲撃が
始まったのは午前2時だ」と言った。
この夜間襲撃があったとされるのは取材時から3週間前だったが、ヘルマンド州の
外でこの件が報じられたりコメントされることはなかった。
・ナビ・ジャンという男性は「日曜日の午前2時に外国人部隊が家に入ってきて
ゆりかごの中で眠っていた子供たちを撃った。私は飛び散った子供の脳を
自分の手でかき集め、遺体のそばに置いた」「その夜18人が死んだ。そのなかに
タリバン兵はいなかった。みんな普通の農夫だった」と怒りを込めた声で言った。
ジャンによれば、兵士たちは午前5時ごろ去っていった。彼の一家は家に戻るのが
恐ろしくて、寒い冬になっても川の近くで野宿しているという。
・ボルジャンという男性はマナンの話を裏付ける話をした。そして死者は17人だと
言った。また別の男性ヌール・モハマドはいとこが2人死んだと言った。
170 :
4/4:2008/01/04(金) 01:52:04 ID:???
ヘルマンド州ではさまざまな国、組織が軍事活動を行っている。このPRT職員は
伝えられている事件に関わった可能性が一番大きいのがどの組織かは言わなかった。
ヘルマンドの住民の大半はイギリス、アメリカ、カナダ、デンマーク軍の区別はせず、
まとめて「外国軍」と呼んでいる。
会合で警察本部長アンディワルは、ソ連撤退後にアフガン人軍閥たちが自国民に対して
行った残虐行為を例に挙げ、問題をすべて外国軍のせいにすることに警告を発した。
そして問題解決へ協力するよう長老たちに呼びかけた。
そのとき部屋の隅にいた老人が立ち上がり、震える声で言った。
「では今回の件は私たちの責任なのか?あなたがた政府の人間は治安を維持できない。
多くの国々がここへやってきて何もできないでいる。私たちはどうすればいいのか?」