エメット・ティルの死
1955年8月28日
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ティル少年は、南部のなかでもこの「エチケット」へのこだわりがいちばん厳しいミシシッピで、やってはならないことを
やってしまいました。キャンディを買いに行った店で、その店のレジ係の女性に対し、口笛を吹いてしまったのです。[1]
そうです、たったこれだけなのです、彼が犯した過ちは。上のエチケットの具体例ミシシッピ版では、黒人男性は白人女性を
直視してはならない、ことになります。女性に「ベイビー」と呼びかけることは、当時のシカゴではごく普通のことなのですが、
これはミシシッピの環境におかれたとき「ねぇ、かのじょ、かのじょ」と呼びかけたことを意味したのです。
この決定的過ちがおきた1955年8月28日、そのレジ係の女性のいとこロイ・ブライアントはJ・W・ミラムという友人とともに、
ティル少年の祖父の家に押しかけ、少年を拉致します。もう祖父には何が起きたのかわかっていました。ティルは殺されると
わかっていました。ミシシッピで白人に抵抗しても殺されるだけ、ともわかっていました。
ところがシカゴにいる彼の母は違っていました。彼女の発言あって、ミシシッピ州警察もそれなりの捜査を行い、9月1日
にはミシシッピ川でティル少年の死体が発見されます。川に死体発見されたといっても、ティル少年が溺死したわけでは
ないのは明らかでした。なぜか?。それは、幼い少年とはいえ、性器が切断されており、顔は見るに耐えられないほどの
暴行を受けた痕をとどめていたのです。
(続く)