ホロコーストは、イスラエルの免罪符と成りえるか?

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76出張してきたよ。
■ドイツでもフランスでもポーランドでも.....現地と同化しつつあったユダヤ人が民族意識を取り戻し、ヨーロッパから逃れてイスラエル
へ流入するのを促した最大の功労者は、ドイツ国家社会主義労働者党であった!ナチスこそ、ユダヤ民族の救世主であり、シオニストに
とって、最大の貢献をなした組織である。そして、ナチスがアウシュビッツに「選別して」送り込んだユダヤ人は、勿論、「反シオニズム
ユダヤ人」であった。ナチは、シオニストに協力して、シオニズムの障害となるユダヤ人を抹殺したのである。ま、そういうことだ。教科書
には書いてないが。
▲ナチスとシオニストの協力関係
http://blackbox777.at.infoseek.co.jp/hexagon/floorA6F_hd/a6fhd300.html
●今や世界中からユダヤ人虐殺の頭目のように見なされているアドルフ・アイヒマン。彼は1935年頃、SSの公安部(SD)のユダヤ
人問題担当官に就任したばかりの頃、上司の勧めでシオニズムの父テオドール・ヘルツルが書いた『ユダヤ人国家』を読み、シオニ
ズムに心酔していた。
そして、1937年2月に彼は、パレスチナのシオニスト組織「ハガナ」の司令官ベングリオンとベルリンで会談。この時に2人は合意に
達し、アイヒマンは書面で「ドイツのユダヤ人を代表する組織は、ドイツを去るユダヤ人がパレスチナにのみ移住するように圧力をかけ
るものとする」と約束していたのである。
また同年、アイヒマンはパレスチナに招待されており、彼の帰途の報告によると、「シオニスト・ユダヤ人たちは、ドイツのユダヤ政策に
非常に喜んでいる。その理由は、それによってパレスチナのユダヤ人口を数倍に増大させたから」であった。ゲシュタポとパレスチナの
ユダヤ人(シオニスト)の協力関係は、アイヒマンの努力によって緊密になったのである。
このアイヒマンは敗戦とともに南米へ逃亡したが、イスラエルによって不法に拉致され、口封じのため、名目上「死刑判決」によって
殺害された。もちろん、何の発言も許されなかった。