●4 Afghan, 1US soldier killed in Khost province
http://paktribune.com/news/index.php?id=41146 Saturday October 11, 2003
◎土曜日、コースト州で4人のアフガン人と1人の雨兵がタリバンに射殺されました。
コースト州の軍検問所への攻撃で、タリバンと見られる者たちがアフガン人と雨兵を
殺害した詳細がわかりました。
付近の目撃者によれば、負傷者の何人かは重態なので、死亡者数は増えるかもしれないと
いうことです。
情報源はまた、攻撃は大勢の人々が働いていたヤクービ地区の3つの建物に対しても
行われたと言いました。しかしこの報告が出された時点では大きな被害の報告は
ありません。
●Afghanistan Bans Pro-Taleban Newspaper
http://paktribune.com/news/index.php?id=41145 Saturday October 11, 2003 KABUL
◎パキ国境の都市ペシャワルで発行されているパシュトゥ語の新聞のひとつが、
親タリバンのスタンスだとして、隣接するアフガニスタン(の地域)で禁止されました。
ナンガルハル州政府議会は ハブロナ(カブロナ)という名のこの新聞は、人々に
アフガン政府に対して聖戦を行うよう扇動するような資料(情報)を載せていると
言いました。
パシュトゥ語は多くの民族が住んでいるアフガニスタンで多数派を作り上げている
パシュトゥン人コミュニティで話されています。
アフガンの当局者たちは タリバンはパシュトゥン部族の人々から共感を得ていて、
アフガニスタン国内で攻撃を行っていると非難しています。
●India concerned by US-Taliban contact
http://www.dailytimes.com.pk/default.asp?page=story_12-10-2003_pg7_46 Sunday, October 12, 2003 NEW DELHI:
◎インドは雨政府がアフガニスタンに安定をもたらすためにタリバンと接触していると
いう報道について関心を持っています。この関心は公にはされていませんが、
あるインド高官は インドが心配していることをワシントンに伝えたと言いました。
インド政府側を動揺させているのは アフガニスタンの雨拘置所にいたタリバン幹部の1人
ムタワキル師が釈放されたか もしくはすぐに釈放されるかもしれないという報道でした。
ムタワキル氏はタリバン政権の外務大臣で、雨軍に拘束され、カブール外部にある
バグラム司令部に拘留されていました。
アフガニスタンからのレポートは ムタワキル氏は雨軍とタリバン幹部の間の会談を
取り持ったと伝えていました。
インド側はタリバンが再び力(権力)を増している可能性がみられることに動揺しています。
当局者はタリバン政権崩壊後に現れた『穏健派タリバン』という用語を拒絶しました。
「穏健なタリバンなどいません」と彼は付け加えました。
戦略アナリストたちは 最近増加しているタリバンの攻撃は アフガニスタンでこの2年間
行われていた努力の失敗を印象付けていると考えています。
インド当局者は、インドはイラン、ロシア、ウズベキスタン、タジキスタンのような近隣国に
この問題を相談し、状況を警告するだろうと言いました。
ここのオブザーバーたちは カルザイがパシュトゥン勢力を代表していない(できていない)
ので、雨はアフガン政府内により多くのパシュトゥン人を入れる必要があると考えています。
雨はいわゆる穏健派タリバンを連れてきてそれをやろうとしている、と このインド当局者は
指摘しました。
一日たったので 追加情報を書き出すのはいったんやめて、全文紹介します。
●Afghans Fail to Recapture 41 Taliban Escapees
http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=3599249 Sun October 12, 2003 By Mohammad Ismail Sameem KANDAHAR, Afghanistan (Reuters)
◎アフガン当局は日曜日、カンダハルの主要な刑務所から大胆にもトンネルで脱走した
41人のタリバン囚人たちを今までのところ1人も取り戻せないでいると言いました。
政府官僚は 金曜の夜の脱走は警備員の助けなしには行えなかっただろうと言いました。
また、タリバン司令官の1人サビール師は日曜日、脱走グループは逃亡者一人当たり
2,000ドルの賄賂を刑務所管理者に払ったとロイターに語りました。
サビールは 脱走した者たちの一部はすでに行き先(目的地)に着いたと言いましたが、
それがどこなのかは言いませんでした。脱走者の中には元タリバン政権防衛大臣
オバイドゥッラーの兄弟マウラヴィ・アブドゥッラーと、アジズ・アガーという司令官が
含まれています。
彼は脱走の前後に62,000ドルを支払ったと言いました。
カンダハル警察本部長モハマド・ジャシムは 逃亡者を1人も取り戻せていないとロイターに
語りました。そして調査が完了するまで賄賂があったという主張についてコメントすることは
できないと言いました。
しかしカンダハル知事ユスフ・パシュトゥンは 鎖につながれていた囚人たちが30ヤードの
トンネル掘るのにトラック15台分の土が出るのだから、警備員の支援があったに違いないと
ロイターに語りました。
彼は脱走者のうち5〜6人はタリバンの重要人物だったと言いました。
「私は刑務所警備責任者とタリバンとの間に協力があったと100%確信しています。彼らは
30メートルのトンネルを首尾よく掘りました。それは1日や2日でできることではありません。
少なくともひと月はかかります」と彼は言いました。
(*トンネルの長さは諸説ありますね。この記事の中でもメートルだったりヤードだったり)
パシュトゥンは この脱走事件は警察力を改革する努力のスピードアップの必要性を示したと
言いました。警察機構はこの国で長く続いた内戦の間に事実上崩壊しています。
このドラマチックな脱走劇は 政府とパシュトゥン知事自身を困惑させています。知事は8月に
このポストに就いたばかりでした。
それはまた新たな治安上の頭痛の種となりました。パキと隣接し、タリバンの誕生の地である
カンダハル州は最近多くのゲリラ攻撃が起こっていて、支援事業と再建事業を縮小させて
います。
(終わり)
タリバン:
「女児は通学するな」学校テントに放火
【イスラマバード西尾英之】アフガニスタン北部マザリシャリフ近郊で27日、武装グループが
女児の通う学校のテントに放火、「女児は通学すべきではない」と脅すビラを残して逃走した。
国連関係者が29日、AFP通信に明らかにした。
01年に崩壊したタリバン政権は女児の通学を認めなかった。北部では最近タリバンの活動は
伝えられておらず、武装グループの正体は不明。
一方、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」は同日、タリバンのスポークスマンを名乗る人物の
ビデオを放映。この人物はイスラム教徒に対しアフガンやイラクで米軍に対抗するよう呼びかけ、
ロケット砲などを手にするタリバン兵士とみられる一団も映っていた。
[毎日新聞9月30日] ( 2003-09-30-11:41 )
http://www.mainichi.co.jp/news/flash/kokusai/20030930k0000e030049000c.html
●Taliban Kill Eight Policemen in Afghan Attack
http://www.reuters.com/newsArticle.jhtml?type=worldNews&storyID=3599405 Sun October 12, 2003 KABUL (Reuters)
◎日曜早くに不安定な南部のザブル州で100人にものぼるタリバンゲリラ兵が地区の役所を
攻撃し、8人の警官を殺害し、2人を負傷させたと地元当局者が言いました。
復活するゲリラ活動によるこの最新の攻撃はザブル州のアルガンダブ地区で午前2時になる
直前に発生した、と地区職員ハジ・クドラトゥッラーはロイター通信に語りました。
彼はこの攻撃には100人近くのタリバンが参加していて、地区役所を燃やし、4台の車両を
破壊したと言いました。
クドラトゥッラーは 何人かの攻撃者が死んだとは聞いているが、タリバン側死傷者の
数はわからないと言いました。
「人々は タリバンは仲間の死体を持っていったと言いました」と彼は言いました。
政府軍は夜が明けてからこの地域を再占領しました。
〜〜中略(一般的なタリバン関係の近況)〜〜
◎雨兵は軽症を負った
日曜の攻撃はザブル州の隣のカンダハル州でタリバン41人が刑務所から大胆な脱走をした
のに続いて起こりました。
〜〜中略(脱走劇の既出の説明と一般的な近況)〜〜
タリバンと見られる者が関わった別の事件で、雨連合軍の兵士の1人が土曜日の夜、
カブールのはずれで起きた銃撃戦で軽症を負いました。
>>422関連
●60 more arrested in Waziristan
http://www.hipakistan.com/en/detail.php?newsId=en41466&F_catID=&f_type=source October 12 2003 SOUTH WAZIRISTAN AGENCY
(要約)
パキ・南ワジリスタンの アルカイダ&タリバン支援者をかくまったとする
部族関係者への取り締まりは4日目に入り、さらに逮捕者が増えているそうです。
4日目のこの日(11日か12日)は60人以上が逮捕され、今までとあわせると100人以上が
逮捕されています。その上、数百人分の逮捕礼状も出ているそうです。
さらに国側は別の部族のアルカイダ&タリバン支援者引渡しを求める軍事行動を
起こそうと考えています。
問題のエリアでは車両が押収されたり、232件の店、8件のガソリンスタンド、3件の
レストランが閉鎖されました。また行政・学校・医療関係の活動にも支障が出ています。
地元のジルガの長老たちは北西部辺境州知事になんとかしてくれと言っています。
>>463ザブル州のロイター記事とこちらのAP記事で被害人数等に違いがあります。、
●Taliban blamed as 3 policemen killed, 8 kidnapped
http://www.thestar.com/NASApp/cs/ContentServer?pagename=thestar/Layout/Article_Type1&c=Article&cid=1065956540728&call_pageid=968332188854&col=968350060724 Oct. 12, 2003 KANDAHAR, Afghanistan (AP)
◎12日 重マシンガンとロケットで武装したおよそ150人のタリバンと見られる兵士が
南部アフガニスタンの警察署を攻撃し、3人の職員を殺害し、8人を誘拐した、と政府
当局者が言いました。
ザブル州アルガンダブ地区の襲撃事件で警察が応戦し、タリバン兵1人が死亡した、と
ザブル州副知事マウルヴィ・モハメド・オマルはAP通信に語りました。
3人の警官が負傷しました。
タリバンとみられる兵士たちはすぐ近くの丘から警察署を急襲し、4時間の銃撃戦のあと
8人の警官を誘拐したとオマル副知事は言いました。
アルガンダブは かつてタリバンの本拠地だったカンダハルから北西に190キロにあります。
(北東では??)
オマル副知事は 反乱者たちはその後デイ・チョパンの方向へ逃げたと言いました。
その地区は岩山に囲まれ、タリバンが隠れています。
政府当局から出されるタリバンとアフガン治安部隊の間の戦闘の報告は
独立して確かめることができないことがしばしばあります。
先月アフガン政府軍は雨兵の助けを借りて デイ・チョパンでタリバンと激戦を戦い、
100人以上のタリバンが 伝えられるところでは殺されました。
この9日間の間の戦闘で1人の雨特殊活動兵士1人と、人数は不明ですが複数のアフガン兵が
死亡しました。
〜〜後略(一般的な近況・解説)〜〜
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/13 12:42 ID:G7iidudl
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/13 13:25 ID:/DElxZK2
タリバン脱走事件関連です。
●Afghan Jail Officials Fired After Escape
http://www.miami.com/mld/miamiherald/7002784.htm Mon, Oct. 13, 2003 NOOR KHAN Associated Press KANDAHAR, Afghanistan
◎南部アフガニスタン当局は41人のタリバンがトンネルを掘って脱走したことを受けて
刑務署長その他のスタッフを解雇したと 警察本部長が月曜日に言いました。
刑務所監督者と25〜30人のスタッフは管理を怠ったとして日曜日に処分されました。
問題の刑務所があるカンダハル州警察本部長モハメド・ハシム准将は言いました。
解雇された職員たちはまた、『最大限の警備にも関わらずどうやってタリバンが脱走したかを
割り出すために』尋問を受けているところです。
何人かのタリバン司令官と、元タリバン政権防衛大臣オバイドゥッラー師の兄弟も
土曜に脱走した囚人の中にいました。当局は 脱走者たちは30フィートのトンネルを
およそ一ヶ月かけて掘ったと言いました。
刑務所職員たちは 空になった監房内をみるまで脱獄があったことがわからなかったと
言いました。収容された54人のタリバンのうち41人が逃亡したと刑務所職員は言って
います。
ハシムは 新しい刑務所監督者は警備強化を求められることになると言いました。
カンダハルは2001年に雨連合軍軍事行動で追い払われたタリバン政権のトップ、オマル師
の生まれ故郷です。
今回脱獄した者たちは、国内の異なるいくつかの場所で、ここ1年の間にアフガン&連合軍
によって逮捕された者たちでした。ハシムは 当局側は範囲を広げて脱獄囚たちを捕まえ
ようと追跡しているが、今までのところ成功していないと言いました。
>>469 >この記事では死者8名ですね。
脱獄トンネルの長さも 記事によってまちまちだし、
けっこういい加減なものなんですね〜??w
どんな情報も 複数の記事(ソース)を見比べなければとあらためて思います。
…読み比べた結果、今の段階では被害人数もトンネルの長さも
混乱しているだけで わからないわけですがw;
>>470 >BBC
グアンタナモの状況に憤りを感じると同時に 釈放された一部のアフガンの人たちが
悔しさをこらえて冷静に体験を語っている姿に感銘を受けました。。。
バグラム基地の方で 明らかに囚人への暴力→殺人 があったのに、
認めたうえで開き直っている雨軍担当幹部には薄気味悪さを感じました。
微妙にスレ違いマレーシア記事。。東南アジアの事情はまったく知らないのですが、
この記事に出てくるPASはイスラム系野党で、MCAは中国系与党(?)なのかな?と
内容から推察されます。
●Chua: Taliban way if PAS rules
http://thestar.com.my/news/story.asp?file=/2003/10/13/nation/6477062&sec=nation Monday October 13, 2003 MUAR
「PASの党の目的がもし政府を組織することなら、PASはマレーシアをタリバンの支配する
アフガニスタンのようにしてしまうだろう」とMCAの副代表ダトゥク・チュア・ジュイ・
メングは言いました。
彼はこの野党のことを「タリバンと同様のやり方をする偏狭で偏屈で抑圧的なものだ」と
述べました。そして「PASウレマー会議の議長代理は偶像や先祖の飾り板のような
非イスラムの崇拝の画像を許可しないという声明を出していた」と主張しました。
「これは中国系文化と伝統を行うものに対してひどく無礼なことです」と彼は土曜日に
ここセウ・テク・スィーン・トング寺で行われた晩餐行事で言いました。
チュアは「PASは非ムスリムの支持を集めるために空約束をしてきた」と言いました。
タリバン脱走記事 追加情報抜粋
●Details Of The Taliban “Great Escape” Continue To Surface
http://www.jihadunspun.net/intheatre_internal.php?article=79953&list=/home.php& Oct 13, 2003 By Zafir Jamaal, JUS
脱走事件の余波を受けて、政府は警察や軍部隊の内部のタリバンのスパイ容疑者を
厳しく取り締まっています。刑務所監督者は即座に職を解かれると同時に他に10人の
職員が逮捕されました。タリバンの囚人たちはもともとザブル州の戦いで捕らえられた
者たちでした。そして(いずれ)雨軍に届けられて、おそらくグアンタナモに送られる
ことになっていました。
ある情報当局者は匿名を条件として、タリバントンネル脱獄に関して政府が出した見解は
それまでに捉えた中で最も重要なタリバン幹部、すなわちオバイドゥッラー師をうまく
監視することができなかったという事実を隠すためのものだと言いました。
この当局者は、実際には、オマル師が最近 戦略を見直すために地方の部隊長
たちと会った時、師に忠実な司令官たちによって作られたエリートタリバン緊急対応軍の
12人のメンバーが基地を攻撃し、タリバン幹部たちを刑務所から安全に導き出したのだと
言いました。
----------------------------------------------------
この後半の情報は今の段階ではかなり謎が多い話です。
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/14 01:56 ID:QHepI5q1
おはよ〜!
●Taliban claim killing 13 militiamen
http://www.hipakistan.com/en/detail.php?newsId=en41524&F_catID=&f_type=source October 13 2003 PESHAWAR
◎タリバンはザブル州のハク(カク)‐イ‐アフガン地区を獲得し、アルガンダブ地区では
アフガン政府に忠実な13人の民兵を殺害したと主張しました。
タリバン兵はまた、ガズニ州のタラヘル(タラケル)の長で、知事のおじである人物を
息子2人と共に誘拐しました。
タリバンスポークスマン、アブドゥル・ハナン・ヒマトはパキ紙The Newsに電話で
土曜日の夜に行われた激しい戦いで タリバンは地方行政府に忠実な13人の兵士を殺害し、
10人以上を拘束し、多数の武器と1台の軍用車両を奪い取ったと語りました。
「それはタリバン兵がアルガンダブ地区の支配権を握っていた数時間の間に起きた2時間の
戦闘でした。しかしその後タリバンは地区本部のあるサイ・ガズから移動しました」
彼は主張しました。
このレポートを独立したソースで確認することはできませんでした。
タリバンスポークスマンは 一方で、ザブル州のカク‐イーアフガン地区はまだタリバンの
支配下にあり、タリバンはこの地区を統治するために代表者を指名したと言いました。
ザブル州では過去1ヵ月半の間、激しい戦闘と雨爆撃が行われていました。タリバン側も
アフガン政府と雨パトロール車列への攻撃を増して、双方から 多数の兵士を殺害した、
されていない、という主張がなされました。
別の展開として、タリバンの情報筋はまた タリバン兵がガズニ州知事のおじアサドゥッラー・
ハーリドを誘拐し、人質交渉は仲介者を通してタリバン捕虜と交換する話し合いが行われて
いると主張しました。「私たちはアハマド・シャー・カーンと2人の息子を2〜3日前にガズニ州で
誘拐しました。そしてガズニ州知事が逮捕されたタリバンの釈放に同意した場合のみ、3人を
釈放するつもりです」この情報提供者は匿名を条件として言いました。
タリバン情報筋は アハマド・シャーは部族の長で、この地区の重要人物の1人だと言いました。
また、ガズニ州知事がおじといとこ2人を釈放する見返りにタリバン兵を釈放するよう求められ
た時、知事がオマル師のことを罵り始めたので、アサドゥッラー・ハーリドと知事の電話での
接触は断ち切られた、と情報筋は言いました。
一方、カンダハル州知事モハマド・ユーサフ・パシュトゥンは記者会見で、元アフガン防衛大臣
オバイドゥッラー師の兄弟でもある名の知れたタリバン司令官アブドゥル・ハディと、アジズ・
アガが、2〜3日前にカンダハルの主要な刑務所から脱走した40人の中にいたと語りました。
そしてそのサルポザ刑務所の6人の警備員もまた行方不明だと言いました。カンダハルで語った
彼は、脱獄事件に関与したタリバン囚人と警備員たちの協力について無視しないと言いました。
そして知事は この刑務所にいた54人のタリバン囚人のうち40人が、30メートルの長さで、
80センチの横幅、1メートルの高さのトンネルを掘って、脱出に成功したと言いました。
そしてこの脱獄事件は 誰がこの刑務所を監督すべきかに関して、法務省と警察の間で継続中の
争議の遡上に当然上がるだろうと言いました。彼はすべてのアフガニスタンの刑務所は
法務省に属しているので、この刑務所の警備から警察ははずされていた、と言いました。
(終わり)
●Afghan Ulema condemn Fatwa against Karzai' Govt
http://paktribune.com/news/index.php?id=41396 Monday October 13, 2003 KABUL
◎アフガニスタンの宗教指導者たちは パキ聖職者たちがアフガニスタン政府に対して
出したファトアと外国軍がアフガニスタンにいることについて非難しました。
カンダハルで開かれた2日間の会議の終わりに、南部アフガニスタンの宗教指導者たちは、
アフガン中央政府を支援し、パキの聖職者たちがアフガン政府に対して出したファトアと
外国軍がアフガニスタン国内に存在することを非難する決議を通しました。
ラジオ・マシェドが伝えました。
その一方で、アフガンの宗教指導者たちはアフガン政府に 宗教学校を守っていくことに
もっと注意を払うように促しました。
彼らはまたタリバンに対して、反政府闘争を終わらせてアフガン政府と協力するようにと
促しました。
------------------------------------------
ちょっと前のCMですけど、「つまらん!お前の話はつまらん!」という
セリフを思い出してしまいましたw >最後の1行
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/14 18:00 ID:jAHqmvzP
アジアタイムズオンラインの分析・解説記事です。
●US explores its Afghanistan exit options
http://www.atimes.com/atimes/Central_Asia/EJ15Ag01.html Oct 15, 2003 By Syed Saleem Shahzad KARACHI
日々無政府状態と無秩序に陥っていくアフガニスタンをみて、これからも軍事的手段では
この国に安定をもたらせそうにないと気づいた雨政府当局は、最終的にこの国から撤退できる
道を開く政治的手段を探り続けています。
まず最初に、クウェッタにあるパキ空軍基地でタリバンの"穏健派"勢力と会談を持ちました。
--オマル師を除くという雨側の主張のために、これは即座に失敗しました--。
その後 タリバンの考え方の薄い正式なグループ、ジャイシュル・ムスリムの形成でした。
--これはアフガニスタンに入り込むことさえできませんでした--。
そして(今は)反雨抵抗運動(をしているタリバンの中)からより強力なムジャヒディン司令官の
何人かを引き抜こうと動いています。
先週、元タリバン政権外務大臣アブドゥル・ワキール・ムタワキル師がカンダハル市にある
雨軍拘置所から開放されました --昨年2月に自ら出頭して以来彼はそこに拘束されていました。
ムタワキルはしばしば西側メディアから より『立派な(まともな)』タリバンの顔だと言われて
います。2001年後期に雨軍がアフガニスタンに送られる直前、伝えられるところによれば 彼は
ビン・ラディンとアルカイダをアフガニスタンに保護することで オマル師と大きな意見の
不一致があったそうです。ムタワキルはアルカイダを保護しているためにタリバン政権が雨国から
報復攻撃されるのを回避するために、ビン・ラディンにアフガニスタンを離れるよう求めていた
タリバンの中のグループのリーダーでした。タリバンの外務大臣になる前、ムタワキルは
オマル師のスポークスマンと個人秘書をつとめていたと考えられています。
雨政府は 自分たちの手で選んだカルザイが、首都カブールはもちろん 国全体に渡って
彼の--つまり雨政府の--令状を まったく認めさせることができなかったという結果を受けて、
別の戦略をとることを余儀なくされました。同様に、南部地方で注意深く選ばれた--つまり雨に
従順な者として選ばれた--知事たちは、担当地域に権威の判を押すことができないとわかりました。
--それらの地域は現在 抵抗活動の温床になっています。
The real power pillars of the Kabul regime, including the Northern Alliance and General
Abdul Rasheed Dostum, have now clearly marked the boundaries of their interests, and
they are at complete odds with those of the US. Pakistan, too, has shown leanings
toward those who are not favored by the US right now. (*わかりませんでした)
2〜3週間前、雨外交政策最高責任者がパキの港町カラチを訪れ、本誌特派員と非公式に面談し
雨政府はアルカイダを厳しく取り締まっているパキの役割にとても満足していると語りました。
「パキスタンはアルカイダを逮捕することで本当に私たちを助けてくれました」とこの外交使節
は言いました。しかしながら、タリバンに関してはパキの役割はまったく別問題で、「完全に
信用することはできない」と言いました。
ここ数ヶ月に渡り、パキスタンは1980年代の旧ソ連アフガン侵攻の間に関係を築き上げた
えり抜きのアフガン人司令官たちを支援してきています。これは秘密の作戦でしたが、現在
イスラマバードは公然と雨に対して「もし雨国がそれらのムジャヒディンをアフガニスタンの
権力側に置くのに充分有力だと考えるなら、彼らを"飼いならす"つもりだ」と言っています。
たぶん2002年初頭のタリバン政権の崩壊の前、パキスタンは忍び寄る(アフガンの)力の空白を
埋めるために代替の力(武力)を作ろうとその最善を尽くしました。しかしあいにく、ヘクマの
ヒズビイスラミを含むパキの選択は雨にとって満足のいくものではありませんでした。その結果、
パキは 親インド・イラン・ロシアの北部同盟にカブールの支配権の一切れが与えられるという
苦い薬を飲み込まなければなりませんでした。
(*
>>483の冒頭に ◎パキスタンの現在の役割 という見出しが入ります)
しかし現在、雨国の最初の選択がとてもダメなものだったことがわかって、雨当局は
アフガニスタンの混乱を解決するためにパキの支援を熱望しています。そこには当初雨国が
好ましくないとみていた"穏健派タリバン"のコンセプトが含まれています。
(パキの)イニシアティブはムタワキルの釈放と共に増大しました。ムタワキルは現在、
パキの支援を受けて かつてのタリバンの精神的本拠地だったカンダハルの地方政府の高い
ポジションを与えられることになるのではと予測されています。
それと同時に、防衛省を含むアフガンの中央閣僚の重要なポジションに 他の有力元タリバンの
大臣たちを入れるためにリクルートしようという選択肢も探られているところです。そうしながら
パキはその後(試みがうまくいけば)反雨抵抗活動を鎮める立場に立つつもりでしょう。
また、雨が現在やや反抗的だとみている北部同盟と釣り合う、おもりの役をつとめるつもりです。
しかし 大きな問題がまだ残っています:大衆の間に幅広く忠実な支持を持つ戦場司令官の中の
大物たちの存在です。そこにパキは付け入ろうとしています。そして雨に代わって、たとえば
伝説的なムジャヒディン、マウラナ・ジャラルッディン・ハッカニにのような大物を"転向"させ
ようと取り組んでいるところです。
2001年9月11日のすぐあと、パキ当局はハッカニをイスラマバードに招きました。そこで彼は
雨当局から立場を変えるように誘いを受けました。彼は断り、一人のゲリラ兵として侵略軍と
武器を持って戦うために、自分のタリバン政権での高い地位を捨てました。
彼は現在 抵抗活動が最も激しくなっているパクティア、パクティカ、コーストの地域で
大きな部隊を指揮しています。アジアタイムズオンラインのソースによれば、
パキの情報機関ISIは遅かれ早かれハッカニはこちら側につくだろうと雨に保証したそうです。
しかしハッカニの側近は、そのような話を即座に否定しています。
雨国はアフガニスタンの行き詰まりの打開に少しも近づけないままでいます。
◎北部同盟
いくつかの良い場所に置かれた情報筋はアジアタイムズオンラインに、ヒズビイスラミとドスタム、
そして北部同盟のふたつの有力な強硬派イスラム政党--ラバニのジャミアティイスラミと
サヤフのイッタハディイスラミ--の間に接触があったことを確認しました。
どうも最近起きたロガール州サロビとイマーム・サハブで起きた反雨小衝突は、この新しい
結合の結果のようです。
◎ハミド・カルザイ
元君主ザヒル・シャーの支持者の多くは当初 王政主義者が政権に戻ることが許されるのを
期待してカルザイを支えていましたが、今は幻滅しています。それは彼らが カルザイ自身が
はっきりと長期にわたるアフガニスタンのリーダーの座に着きたがっていると考えるように
なったからです。
カルザイはカンダハルでいくらかの支持はありますが、最近起きたタリバン囚人の大量脱走事件は
地方行政府の中にネットワークが深く根をおろしていることを明らかに見せています。
今もゆっくりと状況(事象)は雨に敵対しつづけています。
しかし 雨政府がこれらの展開に対抗して、タリバン穏健派との会談というような新しい
アプローチを試みているときに、タリバンは真の争点ではない、という認識の強まりがあります。
タリバンが9.11が起きた後に雨国のターゲットになったのは、ビン・ラディンとアルカイダに
避難所を提供していた、という単純な理由のためでした。タリバンは、いわば、"対テロ戦争"の
最初の真の犠牲者のひとつでした。
現在アフガニスタンのアルカイダネットワークは事実上崩壊していて、雨国内で雨にとっての
脅威を引き起こすことはありません。そのため、脅威がなくなって以来強まっている議論は、
アフガニスタンというこの荒れた国を支配する者として、誰を雨国は本当に面倒見るべきなのか
--タリバンなのか、北部同盟なのか、それともそれらの連合体なのか?--というものです。
雨が自軍を撤退させて、アフガニスタンをアフガン人に任せるための良い方法は?
この推論を何歩か先に進めると、雨国がオマル師と対話を始めるのはいつになるのだろうと
思いをめぐらすことができるだけです。
(終わり)
●Hundreds of Afghan and U.S. troops raid suspected Taliban camp
http://www.abcactionnews.com/stories/2003/10/031014afghan.shtml an Associated Press report 10/14/03 KANDAHAR, Afghanistan
◎雨兵とヘリコプターの支援を受けた数百人のアフガン軍がタリバンの隠れ家と
見られる場所を攻撃し、少なくとも4人を殺害し、8人を捕らえた、とアフガンと
雨の当局が火曜日に言いました。
アフガン兵1人が殺害され、5人が負傷しました。襲撃のあった中央部ウルズガン州のジャン・
モハマド・カーン知事は拘束されたタリバンはウルズガン州と隣のザブル州の住民のようだと
言いました。
この襲撃は月曜日に政府軍がタリバンキャンプと見られる場所を包囲したあと カンダハル
から北東約90マイルにある、チャール・チェノ地区で始まったと 警察本部長ハジ・
モハメド・アフタルは火曜日に言いました。しかしアフタルはそれ以上の詳細は明かしません
でした。
「私たちはこれらのタリバンを殺すか捕まえるつもりです」アフタルは言いました。
バグラムの雨軍司令部スポークスマンは 雨軍がこの襲撃に関わったことを電子メールで
確認しました。
「アフガン政府側の市民軍を支援している連合軍は、現在反連合軍勢力と戦闘中です」
とスポークスマンのデービスは言いました。「軍事作戦が進行中なのでこれ以上の発言は
控えたいと思います」
タリバンは最近数週間 政府軍、支援職員、雨連合軍に対しての攻撃を増しています。
月曜日、武装集団が2人の雨人を乗せた車両を待ち伏せ攻撃しましたが、死傷者は伝えられて
いません。ある地方警察本部長が火曜日に言いました。
この攻撃は雨人がすぐ近くのガズニ州に向かう途中、南部ザブル州の未舗装道路の上で
起こった、とザブル州警察本部長ハジ・モハメド・アユーブは言いました。
彼は(被害を受けた雨人の)身元は明かしませんでした。そして彼らはこの地域の道路建設
プロジェクトで働いていた、とだけ言いました。
「私たちはタリバンがこの攻撃の背後にいるとわかっています。彼らは平和を混乱させたい
のです」アユーブは言いました。
彼はそれ以上の詳細は述べず、警察はまだ調査中だと言いました。
(終わり)
●Taliban getting money from drugs: UN
http://www.dailytimes.com.pk/default.asp?page=story_15-10-2003_pg7_41 October 15, 2003 KABUL AP
◎アルカイダテロネットワークとアフガニスタンの追い払われたタリバン政府は
世界的な経済制裁にもかかわらず どうにか新しい資金源を見つけようとしている
ところだ、と 制裁を監督している国連委員会の委員長が火曜日に言いました。
チリ国連大使で委員長のエラルド・ムノスは「タリバンは 雨に支えられたアフガン政府
への反乱活動を行う資金としてますます麻薬収入の方に向いてきています」と言いました。
彼はカルザイおよび他の主要当局者とタリバン&アルカイダとつながりのある個人と団体
から集めた情報を活用する方法を話し合うためにアフガニスタンに来ていました。
タリバンのこういった司令官の多くは、武器のために麻薬を現金化しています。
そのため麻薬取引と増加するタリバンの活動の間にはつながりがあるという強い疑いが
あります。ムノスは記者会見で言いました。
彼はいくつかの中東諸国にいる、ある人々もまた タリバン&アルカイダを支援している
疑いをもたれていると言いました。資金の持ち運びはいっそう精巧になってきている、と
彼は言いました。「アルカイダは私たちの制裁に適応しはじめています」
ムノスはまたパキとアフガニスタンが共に協力してタリバン&アルカイダと戦うことを
希望しました。そしてアフガン当局からの情報を活用することはパキ当局がタリバン&
アルカイダの構成員を厳しく取り締まる助けになるだろうと言いました。
●Witnessing punishments on Sharia law still haunts Afghan teen
http://paktribune.com/news/index.php?id=41521 KABUL, October 15
18歳のソーラブ・シャヒードは今でもタリバン時代の悪夢を見ます。
ムスリムの聖なる日の祈りのあと、シャヒードと友人たちは シャリア法で定められた
死刑、石打ち、手足切断の形式で行われる処罰を観るために国立競技場に向かいました。
--殺人の罪で頭を撃たれる。姦通の罪で多数の石をぶつけられる。窃盗の罪で手を注意深く
切り取られる--
見学に来ていたのはわずか200〜300人だった、とシャヒードは回想します。しかしその
ほとんど全員は、シャヒードを含む若い少年たちでした。彼は自分の恐ろしい体験を
話すあいだ中、まるで第三者(他人事)のような口調でした。
「死刑執行の前、彼ら(僕たち)はこれから起きることを見るのはとても興味をそそるもの
だろうと考えていました」と話すシャヒードはパキスタンで中等教育を受けているところで、
いつかカナダで薬学を学びたいと望んでいます。
「若い少年にとって、それは娯楽でした。しかしあとになって彼らはとても悲しくなりました。
彼らは恐ろしい瞬間を見たことを思うと夜眠れませんでした。彼らは失望し、うんざりし、
困惑していました」
しかしタリバンが雨連合軍に追い払われてほとんど2年がたった今もなお、シャヒードは
まだ脳裏に焼きついている厳しいイスラム法が アフガニスタンにとっては正しい法律だった
と思っています。
「それは(刑を見に来ていた)人々にとって教訓になりました。もし何かを盗めば、自分の身
にも同じことが起きるとわかれば、決して盗みをしなくなるでしょう。僕はイスラム教が
そう教えているので同意します」
「タリバン政権下では、店主たちは夜も鍵をかけずに仕事場から離れることができました。
そこから盗みをする勇気のある者はいなかったでしょう。たとえチョコレート1枚でも」と
シャヒードは言いました。
「今はたくさんの犯罪、売春、大勢の泥棒がいるのに、処罰はありません」彼は言いました。
「警官はいます。そして泥棒を捕まえるといっています。しかしもし捕まった泥棒が金を
支払えば、警官は泥棒をそのまま逃がしてしまいます。だからアフガニスタンのあらゆる場所
から泥棒たちがここ(カブール)に来たのです。大勢の殺し屋、大勢の犯罪者…」
暫定大統領カルザイのリーダーシップにもかかわらず、アフガニスタンは貧困、不穏、不安定、
そして厳しい(貧富の)差のある国のままです。未来に目を向けると、それは過去と鎖で
つながれているように思えます。
何百万以上の人々が戦争以来カブールに押し寄せてきました。そこはざわめいて国際的な
第三世界の都市です。ビジネスはいま成長していて、多くの女性はブルカを脱いで、
街は比較的平和です。
しかし「それは偽りの経済と脆い平和だ」という声があります --カブールは350の援助団体の
支出に支えられた騒動の集まったひとつの島です。援助団体のメンバーたちは首都を離れること
を恐れています。そこには国際治安支援部隊の下に務める5,000人のNATO部隊で形成された紐に
法と秩序が飾りつけれれています。
カルザイの政府は市の外にはわずかな影響力しかないように見えます。
「北から南まで、何もうまく行っていません」アフガニスタン駐留のカナダ兵のトップ
アンドリュー・レスリー将軍は認めました。「この2週間はそれ以前の12週間より多くの
攻撃が起きています」
「彼ら(反政府活動)は今、救援作業員や医療作業員といった援助をしようとしている人々を
ターゲットにしています」
ISAFは地方再建チームの形式か、あるいは戦闘部隊に守られた戦闘工兵のいるPRTsの形式で、
学校を建てたり、道路を復元したり、社会基盤をよみがえらせるよう、狭い範囲の中心に
部隊を展開させるでしょう。
カナダが1年間にカブールの部隊に置くと約束した4,000人は、2004年にはいくつかのPRTsに
吸収されるか、もしくはカブールの中で自身の補強をしつつ外部での作業の大半を行うことに
なるかもしれません。
そのような努力は--いずれにしても--問題にされることはないでしょう。
軍閥同士の新しい地域紛争が北部のマザリシャリフで荒れ狂っています。
そして11,500人の雨連合軍部隊の存在にもかかわらず、タリバンとアルカイダはいくつかの
パキとの国境地帯に足がかりを取り戻し、カブールまで40キロ以内のところまで押してきて
います。
もうひとつの反政府グループ、前首相ヘクマに率いられるヒズビイスラミ・グルブディン
--HIG--は 伝えられるところによれば、かつては敵だったタリバン&アルカイダと連携を
組みました。
ヘクマは レスリーが言うには、首都周辺でISAF部隊に対するテロ作戦を始めました。
10月2日に2人のカナダ兵を死亡させた対戦車地雷は、カナダ部隊がパトロールでそばを通る
ちょうど2時間半前に置かれたものと考えられています。
多くの少女たちは タリバン時代に禁止されていた学校に戻りましたが、学校への攻撃と
本を燃やすことは最近激化しています。
アフガンの警察と軍部隊は治安を保つ能力が限られています。多くが何ヶ月も給料の支払いを
されていないことに不満を述べています。
収賄はアフガニスタンでは取引(ビジネス)をする簡単なやり方です。中央政府で得られた
現金は地方の警察管区や軍の前哨基地に行き渡るまでに根こそぎ持っていかれてしまいます。
警察はトラック運転手から"税金"を徴集します。彼らは領収書を出すとさえ言います。
遠隔地の検問所にいる重武装して制服を着ていない"兵士"たちはアヘン、ハッシュ、マリファナを
吸い、暴動が起きても目をつぶっていると疑われています。
政府自身の内部でも いまもパシュトゥン勢力とタジク勢力のあいだの政権争いがあります。
「NATOは少なくとも5年はここにいることになるだろうと私は考えています」とレスリーは
言いました。
「もしISAFがアフガニスタン全体に展開して、すべてのひとのためにできることをなんでも
しようとしていたら、その後の軍の増強は制限なく行われていたでしょう」
「支払いをするべき請求書があります --生活、兵士、財産に関して。そして世界の国々は
この厳しくて複雑な問題に対していったいいくらを喜んで寄付してくれるでしょう?」
一方、戦争の25年間は アフガン人やその他に無数の方法で犠牲者を出し続けています。
北部アフガニスタン出身の元ムジャヒディン兵士、32歳のナシル・ディーネは片脚と右手の
一部、そして右目を14年前に地雷の爆発で失いました。
ディーネはソ連の占領からアフガニスタンを自由にするのを助けました。しかし現在彼は
カブールの端で妻と3人の子供と共にテントのキャンプで暮らしています。そこでの生活は
毎日が生存のための争奪戦です。
ディーネのような人々や、夫を亡くした何千人もの未亡人にとって、支援ネットワークは
事実上ありません。そういった人たちの多くは街の通りで物乞いをすることしかできません。
「それは未亡人にとって困難なことです」5人の子供を持つ33歳の母親で、おなじ野営地に
住むアジザ・サディキは言いました。「私たちは家族を養うことができません。衣類を洗濯
しなければなりません。つまりお金を稼ぐ労働をしなければなりません」
「未亡人にはなんの権利もありません。時々私の子供たちは昼も夜も食べずに寝ることが
あるのです」
「援助団体はプログラムに適切な優先順位をつけていません」と言うサディキの夫は 整形外科
の治療専門医で、4年前にタリバンに殺されました。政府には支援する能力も責任感もないように
見える、と彼女は言いました。
「カルザイは自分のための王国を築いているところです。それは私たちに良いものにはならない
だろうし、私たちの生活はけっして良くならないでしょう。私たちは外国の人たちに ひどい
状況に置かれている人々を助けてほしいのです。車も服も家も持っている人ではなく」
「彼らは大臣たちを助けているんです。それがすべてです」
おそらくアフガニスタンで最も調整の取れている国家プログラムは地雷除去です。
アフガニスタンの大地に今も埋まっている地雷の数の見積もりは、500万から1100万個の
間ですが、確かなことはわからない、と4年半アフガニスタンのための国連地雷アクション
センターのプログラム・ディレクターを務めてきたニューカッスル・N.Bのダン・ケリーは
言います。
アフガニスタンでは地雷エリアと疑われるものが850平方キロメートルあります --潜在的に
豊かな土地は無益さを与えられてしまいました。
「他の重要な影響は犠牲者に対するものです」ケリーは言いました。
「今日確認されたことですが、アフガニスタンではひと月に100人の割合で地雷と不発弾の
被害者が出ています。確かに、確実に、現在世界で最も高い犠牲者数です」
しかし状況は良くなっています。1990年代半ばにはその数はひと月に300人でした。
反地雷グループは約6億7千万(カナダ?)ドルのコストで2012年までに効果的な地雷除去を
この国で行うことを目指しています。
アフガニスタン地雷認識&再建組織(OMAR)では、責任者アル‐ハジ・ファザル・カリムは
彼の国を何世紀もの間悩ませてきた戦争の遺物を収集しています。
カブールの中心地の高級住宅にあるOMAR博物館と、(記事冒頭に出てきた)シャヒードが
死刑執行を見学した国立競技場近くにあるスクラップ置き場の間で、ファザル・カリムは
アフガニスタンの暴力に満ちた歴史の年代記を編集しています。
そこにはマスケット銃、スカッドミサイル、複葉機、ソ連製ハインド・ヘリコプター、
大砲、そしてロケット発射砲があります。
スクラップ置き場はいつの日か博物館と教育施設になるでしょう --アリアナ・アフガン航空
の台無しになった飛行機の胴体が地雷認識(発見、知覚)授業の教室として使われるでしょう。
そして粉々に崩れた建物は会議場やコンピューターサイエンスの実験室になるでしょう。
500 :
黒ターバン ◆RGK/h/GT6g :03/10/16 02:45 ID:D/Tc92p2
サラ〜ム!!あげ玉ちゃんオツカレ、!、
9/9楽しみにしてるよ。
>>481〜のアジアタイムス記事、、、興味深く読ませてもらった、
>>この推論を何歩か先に進めると、雨国がオマル師と対話を始めるのはいつになるのだろうと
>>思いをめぐらすことができるだけです
アジアタイムス記者の推論は、、、推論であるが、オマル師は、、、なんというであろうか、
<シャラップ!(じゃない、)だまれ!!祖国を空爆した輩が今更なにをいうか!!
両手をついて誤っても許さない、、、>
または、、、<祖国を空爆した輩であろうが、今後のアフガンの平和のために
あなた達が2度、他国を攻撃しないと約束するなら、グアンタナモから、
同胞たちを解放するのであれば協力もしましょう>と、
言うのか、、、、、、。
おはよ〜!
>>492-499の続き(9/9)は昨夜連続投稿規制で書き込めませんでした;
次に送信します。
>>500 交渉があるとしたら、ほんとにオマル師はどう言うのでしょうね〜?
>グアンタナモから、同胞たちを解放するのであれば協力もしましょう>と、
昨日BBCの番組でグアンタナモのイギリス国籍(パキ系?)拘束者の弁護を
担当することになった、在米イギリス人弁護士が出演して話をしていました。
雨国は大統領選挙がらみで何人かのグアンタナモ収容者に対して
「見せしめイベント」の軍事裁判をやり、
その後(数年たって)世の中がグアンタナモのことを忘れたころに、
拘束者たちを裁判も何もなく『適当に』釈放する気だろうと言っていました。
雨国にそんな勝手なことをさせないためにも、メディアはグアンタナモを
報道し続けて、世間に忘れさせてはならないと言っていました。
将来的な保釈の見込みがあるのはうれしいことですが、
拘束者の失われた時間と精神的なダメージをそのままに
放り出されるのかもしれないと思うと、別の憤りがわいてきました。
(過去を見つめる)博物館のプロジェクトに取り組んでいながらも、ファザル・カリムは
アフガン人は寛容と変革が約束された未来に目を向けるべきだと言いました。
「私たちは国民の団結を続行しなければなりません。そしてタジク、パシュトゥン、ハザラ、
その他、といった民族グループを区別してはなりません」
ファザル・カリムは アフガン人は何世紀もの間国を動かしてきた軍閥に反対する声を挙げて
いかなければならないと言いました --軍閥の中には1989年に終わったソ連の占領と戦った
ヒーローたちがいます。
「これらの軍閥は誰の未来(のため)にもなりません。私たちは自分の国を拝金主義、
根本主義、共産主義、左派、右派、のどれによっても作ることはできません」彼は言いました。
「私たちは神の作った人間です。私たちは本当の民主主義と、誰にとっても平等な権利を
支えていかなければなりません」
「私たちはムジャヒディンと彼らのやったことを感謝しています。しかし彼らは道に迷って
しまいました。彼らはロシアの占領中に私たちが手に入れた業績を浪費しているのです」
(終わり)
●Three Afghans die in wedding party clash
http://www.jang.com.pk/thenews/oct2003-daily/16-10-2003/main/main15.htm ◎水曜日国営バフタル通信はアフガニスタン西部の結婚式に出席した武装した客同士の
間で戦闘が起こり、3人が死亡し4人が負傷したと伝えました。
「月曜日遅くファラー州シャーブ・コーの結婚式に出席していた二人の政府治安職員の
間の武力衝突で3人が死亡し4人が負傷しました」バフタルは伝えました。
2人の間の長く続いていた個人的&部族上の反目が遠隔地域の結婚式で表面化し、流血と
なりました。「ファラー州政府の2人の司令官同士の個人的な反目が結婚式を悲劇的な
結末をもたらしました」バフタルは付け加えました。
死亡者の中にシャーブ・コーの治安司令官ワイスが含まれていました。しかし報道は
他の犠牲者の身元は明かしませんでした。「この事件の背後にいる者たちは不明の場所に
逃げています。しかし警察は彼らを捕まえ、裁判にかけるでしょう」当局は言いました。
一方(全然別の件ですが)、水曜日アフガニスタン中央部で親政府部隊とタリバンの間の
戦闘が続き、タリバンに対して雨連合軍の空爆もありました。当局が言いました。
カンダハル州軍司令官カーン・モハマドはAFPに 隣のウルズガン州のチャルチノで
月曜日に4人の政府兵士が殺害されたことに続いて起きた小衝突は続いている(この記事
日付時点)と言いました。チャルチノはウルズガンの州都ティリン・コトから南西に
30キロにあります。
戦闘は 先週モハマド・ナビとモハマド・ザヘルという2人の地元司令官がタリバン側に
忠誠を変えて、親政府部隊と戦うことを決めた後に勃発した、とカーン・モハマドは
言いました。彼は タリバンはこの地域で"強い大衆の支持"を受けている、と言いました。
この地域はダドゥッラー師のような高い地位のタリバン軍司令官のかつてのhomeでした。
カーン・モハンマドはこの戦闘でタリバンに死者や逮捕者が出たと言う報告を確認できて
いませんでした。
パキスタンに本拠を置くアフガン・イスラミック通信は、地元ウルズガン当局者の
ジャラルッディンの話を引用して、政府軍とタリバンの間の一日続いた衝突で、4人の
タリバンが死亡し、3人が逮捕されたと伝えました。この衝突は月曜日、タリバン兵が
親政府部隊を攻撃して始まりました。
雨連合軍空爆機はティリン・コトから西に30キロにあるデー・ラウードで、タリバン戦士を
攻撃しました。これは親政府部隊が攻撃を受けたためだと雨軍スポークスマンのデービス
大佐は言いました。
「デー・ラウードの連合軍基地付近でアフガン政府側民兵がタリバン戦死の攻撃を受け、
雨特殊部隊と空爆機が呼ばれました」とデービスはカブールで報道陣に語りました。
デービスは「空爆機は爆弾を消費しました」と言いましたが、この衝突のそれ以上の詳細は
明かしませんでした。デー・ラウードはカブールの南西4000キロにあります。
彼は連合軍側に死傷者はなかったと言いましたが、アフガン部隊やタリバン側に死傷者が
あったかどうかは話しませんでした。
(終わり)