同時多発テロ後の社会構築6

このエントリーをはてなブックマークに追加
209れんみ ◆fNqo5vRsCQ
>前スレの196=199さん
日本のソフトパワーに相当するものについて、数行で説明できるもの
ではありません。仕方ないので他で書いた文章を引用します。
以下です。

ディベートには感情(論理超越)も不可欠だと思う。
逆に言うと日本人は感情を論理に組み込むことが不得手なのです。
それは感情の上位に位置する情緒を上手く論理化できていないからだ
という自説があります。
野生を含む飼いならされていない原始的要素を持った「感情」に対し
て、歴史、文化的背景を持ち時に論理的特性を凌駕することが可能な
「情緒」を日本人は持っている、いや「日本」にはそれが文化的財産
として存在する、と信じています。
しかし日本の「情緒」は戦後教育で著しく損なわれ、現在では放置さ
れた「感情」が息巻いているだけです。
「キレる」とはいわば「零落した情緒のヒステリー」として捉えるべ
きであり、どんなエレメントにもあるネガティブな面が突出して見え
るからこそ、忘れられた「情緒」が原始的な「感情」と混同され、欧
米的論理優越主義より劣っているかのように演出されるんだと思うん
です。
かつて戦争に負けた傷跡を引き摺る日本人はそういう「演出」に乗り
やすい。優れた日本文化を取り戻したいのなら、まず「論理」を下地
にした「情緒」を学ぶべきかもしれません。
文武両道、日本の偉人が詩吟や和歌を詠うのはそういう理由があると
思っています。
(中略)
なぜなら日本的情緒は「感じる」という要素を多く持つからで、これ
はネットではなかなか伝わりずらいからです。
我々の苦悶は続きます。