>>732の続き 特集ワイド1 素朴な大疑問 チェチェン紛争
Q なぜロシアと激しく戦うのか?
A 対立の理由として袴田教授は4点を挙げる。「宗教の違い(イスラム教徒とロシア正教徒)と
民族の違い(東洋系民族とスラブ系民族)が根にある。そこに長い闘争の歴史と、強制移住という
政治的な理由が加わった」と説明する。
ロシアとの「聖戦(ジハード)」が始まったのは約200年前。特に激しかった1800年代、
シャミールというイスラム指導者の下、数十年にわたり激烈な闘争を続けた。しかし1859年に敗れ、
カフカスはロシア帝国に支配されてしまう。袴田教授によると、ロシアの公的な歴史で
シャミールは反動的な民族運動の代表者とされている。しかしカフカス出身者は決して
その見解を認めず、シャミールを帝国主義と戦った英雄と評価していたという。
第二次世界大戦中にはナチスに協力的だったとして、スターリンによって民族ごと根こそぎ
中央アジアのカザフスタンへ追放された。その間、数十万人が死亡するという悲惨な
体験をした。袴田教授によると、ナチスを解放軍として歓迎したのはスターリンの農業集団化や
反宗教政策に反発したからだという。
ロシアのノーベル賞作家、ソルジェニーツィンは「収容所群島」でこの歴史を
「チェチェン人たちはどこでも当局に取り入るとか、気に入るようなことは一切やらず、
いつも胸を張って生き、その敵意を隠そうともしなかった」と書いている。フルシチョフ時代の
1957年、祖国へ戻ることが許されたが、ロシアへの恨みは今もチェチェン人たちの“遺伝子”に
記憶されているようだ。
スマソ、書き忘れましたが、
>>743はまだ続きます。
>>733の続き『46歳 バーレーン移住 コーランを聞きながら』第33回・サウジ人
一方女性は、自分で車を運転することが禁じられ、運転手付きの車か夫などに連れてきて
もらわなければならないため、数は少ないが、それでも何人かで来て買い物をしている
グループを時々見かける。全身を真っ黒なアバヤで覆い隠し、目すら隠している女たちは、
バーレーン女性と比べてよりミステリアスな印象を受ける。バッグも高級な、しかしどこか
古くさいブランドものだったり、靴がバーレーン人のような安物のサンダルではなく、
細身のブーツなどをはいていたりするので、それだけ見てもサウジの人だ、とわかる。
男性に比べて、より威圧的な感じがするのは、背の高い黒衣のせいだろうか。それは気位の
高さを思わせ、正直なところ、得体のしれない怖さを感じさせるのは、女性たちの方だ。
(続く)