1 :
名も無き被検体774号+:2013/08/30(金) 19:56:20.38 ID:TRRpRKjJ0
後悔ばかりのひとりがたりはじまるよー(^q^)
2 :
名も無き被検体774号+:2013/08/30(金) 19:58:09.20 ID:ZJIyo4rQ0
分かってるわ
代行ありがとうございます
四十九日が過ぎておちついたので暇つぶしがてら書いていきます
4 :
名も無き被検体774号+:2013/08/30(金) 20:01:21.78 ID:4nk4/qoX0
四十九日・・・・ということは、生まれたばかりだな?
ばあさん(仮名でヒサにしとく)、とある片田舎に長女として生まれる。
田舎らしく兄弟は多かったが、川で溺れたりはやり病で死んでしまい、最終的に4兄弟となる。
かけっこが得意だったらしい。
家のハス向かいに、3つ歳上の幼なじみが住んでいた。
名前はツトム(仮)
のちの俺のじいさんである。
ばあさんが16歳ぐらいの女盛りのときに、太平洋戦争が始まる。
田舎だったので空襲こそなかったが、ひもじい生活になっていった。
だけど、ばあさんの家は畑や田んぼをたくさん持っていたので、とりあえず食べるものには困らなかったらしい。
しばらくして、幼なじみのツトムには、赤紙が届いた。
「お国のために頑張ろう」と息巻いたツトムだったが、風邪をひいて出兵しないまま終戦。
ばあさんとツトムは、親同士の仲も良かった。
ツトムがぴんぴんして帰ってくると、ばあさんとツトムの父親が二人が「お前ら結婚しなよ」と話をまとめ結婚することに。
ばあさん19歳、ツトム22歳のときだった。
ばあさんは、本当はまだ結婚なんてしたくなかった。
8 :
名も無き被検体774号+:2013/08/30(金) 20:12:52.97 ID:FLGujRhP0
(´;ω;`)
どんなに不本意でも結婚してしまえば、ことはそう上手く運ぶもので、ほどなくして赤ん坊が生まれた。女の子だった。
そのころツトム、もといおじいさんは製材所などで働いていた。
ばあさんは赤ん坊を背負いながら、畑の野菜などを売り歩いた。
あるとき闇市のようなところで売っていると、なんと米兵が来るぞと誰かが大声で叫んだらしい。周りの商売人は慌てて隠れたが、ばあさん隠れきれず。
米兵はばあさんと背中の赤ん坊を見てニカッと笑いチョコレートをくれたらしい。お咎めはないらしく、ばあさんは一安心だったようだ
赤ん坊が大きくなったかと思いきや、こんどは第二子懐妊。またしても女の子。
そりゃあこどもが出来るのは嬉しかったけど、ばあさんとおじいさんはやっぱり男の子が欲しかった。
おじいさんは相変わらず製材所で働いていた。子供達は自分の母親に預け、ばあさんもその製材所の仕事を手伝うことになった。
男にまじって木材を担いだらしい。
この話を聞いてから、ヨイトマケの唄を耳にするたびにばあさんとダブってしまうww
少し間が空いて、第三子を懐妊。
今度は男の子だったらいいな、と期待を膨らました。
ばあさんのお腹が目立ってきたころ、ばあさんの父親が「隣町の祭りをみに行こう」と誘ってきた。
お腹のことを考えると行きたくなかったが、父親が大好きだったばあさんは行くことにした。
が、しかし見に行き地元に帰ると腹痛に見舞われる。なんと流産だった。
泣きながら我が子の骸を見ると男の子。さらにばあさんとおじいさんは落胆した。
ばあさんは老いてからも「あのときまつりに行ってなかったらなぁ」と漏らしていた。
しかしばあさんとじいさんはめげない。第三子(まあ第四子だけど)を授かる。
いちばん上の子は12歳、2番目は7歳になっていた。
結果は女の子。
可愛がったが、やっぱり二人は男の子が欲しかった。
ふるいふるい話だから、やっぱり跡目が欲しいという気持ちが大きかったようだ。
そんで、一番上が15歳、つまりばあさん34歳の時に第四子を授かる。
二人が待ち望んだ待望の男の子だった。大喜びだった。末っ子長男は可愛がられて甘えられて育つ。
跡目が生まれたら安心したのか、おじいさんは東京や札幌へ出稼ぎに行くことになった。
ばあさんは、家長不在の家を守ろうと必死になった。汗水たらして働いた。近所や、ばあさんの実家の手助けもあって四兄弟はすくすく育っていった。
末っ子長男が一歳になったころ、ばあさんの父親が病気で亡くなった。六十そこそこでまだ若かった。
その父親の生前たっての希望で土葬した。燃やされるのが嫌だったんだと。
悲しみにくれるばあさんは赤ん坊を抱きながら、わざと街灯がない道や夜の墓場など暗いところを歩いた。
幽霊でもいいから、父親に会いたかったそうだ。
15 :
名も無き被検体774号+:2013/08/30(金) 20:53:32.93 ID:4nk4/qoX0
支援
さて、四兄弟がそれぞれ嫁に行ったり嫁をもらったりしてるうちに、ばあさんとおじいさんは定年になり末っ子長男夫婦と同居することになった。
しばらくして、末っ子長男の第一子、ばあさんとおじいさんの初内孫が生まれた。
そう、まぎれもない俺である。
初孫、つまり一番上の俺のいとこはもちろん長女のこどもで、俺と20歳近く離れている。
ちなみに、ばあさんの長女、次女、三女とみんな子宝に恵まれている。
つまりいとこ超多い。
そんなわけで既に孫はいっぱいいたばあさんだったが、内孫の俺をとくに可愛がってくれた。
四年後、俺に妹が出来る。
ばあさんは俺と妹を、仕事に出ているかーちゃん(ややこしくなったが末っ子長男嫁)のかわりに育ててくれた。
話を飛ばそう。
俺は高3のとき、第一志望の隣の県の大学に合格することができた。
ばあさんもおじいさんも超大喜び。
もちろんそれ以上に俺が大喜び。
なんてたってこの二世帯住宅から抜け出せる喜びが大きかった。
思春期の馬鹿な俺は、心配してくれるばあさんをめんどくさいと思っていたからだ。嫁姑の仲もあまりうまくいってなくてその板挟みも嫌だった。
さらに言えば、このころからおじいさんの認知症も進行していた。
おしっこが間に合わず、トイレまでの廊下がアンモニア臭いのが当たり前だった。そんなおじいさんの文字通り尻拭いやお世話はばあさんがしていた。
この家からおさらばだ!と本気で思った。
今日は終わり?
20 :
名も無き被検体774号+:2013/08/31(土) 01:25:03.17 ID:cbAoRAtl0
待ってるぞ!
21 :
◆J1nZ7r0SYM :2013/08/31(土) 06:34:48.75 ID:tsjxwfHP0
寝てたよ
かくして俺は大学に入学。夢の一人暮らしで毎日楽しかった。
大学で友達も増えて、サークルにも入ってまさにリアルが充実していた。
サークルはけっこうガチなやつで、練習とか超してたんだけど、みんな仲が良くて本当に楽しかった。
前期までは。
22 :
◆J1nZ7r0SYM :2013/08/31(土) 06:39:20.66 ID:tsjxwfHP0
後期になると、なんだか学校に行くのが辛くなっていった。
具体的な理由は伏せるけど、結果的に適応障害になってしまったんだ。
学校に行かなくちゃ行けないのに、なんにも出来ないんだ。課題も、家事も、日常的にやらなくちゃいけないことも本当にやる気が出ない。
ここにこう書いてると、甘えだなんだと言われそうだけど、過去の俺は本当に辛くて辛くて、それこそどうやって死んでしまおうか毎日考えてた。
もういやだ、大卒って学歴を捨ててでも、大学を辞めたい。
大学中退の先は楽なことばかりではないのももちろん承知だから、実家に帰らせて欲しい。
何度かーちゃんに電話したかわからない。
その度かーちゃんは「がんばれ」としか言わなかった。
1年生の年明け2月。
春休みに入った俺は実家に帰った。
ばあさんは笑顔で「よく来たな」と迎えてくれた。それでちょっと涙が出た。
あんなに出たかった家なのに、帰ってくると安心するもんだ。
何もせずにだらだら休みをつぶす毎日が続いた。
いつかーちゃんやとーちゃん(末っ子長男)に「本当に大学を辞めたい」と言おうか悩む日々が続いた。
早く死ねあのクズ女