1 :
代行:
ID:5BAE5Q2X0 [PC]
きっかけがあったので
自分語りですがお付き合いください
2 :
名も無き被検体774号+:2013/01/26(土) 17:00:08.55 ID:EeEDhOBV0
じーんせー、りせっーとぼたん
代行ありがとうございます
書き溜めてないので時間はかかりますが心機一転するために今までのことを振り返っていきます
うまれたのは普通の家庭の普通の長女として
地元では少しだけ名前が知れてるくらいの本当に普通の一家
こんな前のことは覚えてないけど写真や周りからの話を聞く限り必要以上に可愛がられてたよう
ま、覚えてないんだけどw
そして2つ下に弟ができる
一番古い記憶はいつのものだろう?
幼稚園くらいかな
その頃が一番活発に習い事なんかをしてた時期
月曜日から金曜日まで毎日習い事をしてたんだけど火曜日だけは幼稚園以外で習うプールでこれは本気で嫌がって泣いて暴れて
それでもやめさせてもらえず嫌々通う
プールがおわると駄菓子屋さんで100円分のお菓子を買ってもらえるから機嫌が直る
そんな繰り返しで結局一番長続きした習い事がプールになった
時期が前後するけど弟の3つ下、自分の5つ下に妹もうまれて普通の3人家族から5人家族に進化したw
父親は自営業の不動産屋、母親は主婦
寝るときは
父親→自分→弟→母親→妹
の順にみんなで並んで寝ていた
幼いながらにお母さんの隣に寝られる2人が羨ましかった
なんで自分はお父さんの隣なんだろうって悲しくなった(今考えたら失礼w)
ふむ
妹が生まれてまだベビーカーに乗ってる頃から両親が度々喧嘩をするようになった
父親が酒を飲んで帰ってきて喧嘩したり、家族でご飯食べに行って両親とも酒をひっかけて喧嘩したり
それでも普段は声を張り上げて喧嘩することもなく平和
平和じゃなかったのは自分と弟で毎日毎日よくそんな元気があるなってくらい喧嘩しまくって親に怒られてた
もちろん私は年上の権限で自分は悪くないーって親に言ってたけどwそんなんすぐバレて二人ともトイレに閉じ込められて反省させられる
閉じ込められるって言っても今考えたらすぐ出られるし愛情があってこそなんだけどあの頃は怖かったし
「私と弟のこと嫌いなんだね」とか反省もせずに弟と泣き始めちゃうようなちょっと考えすぎな子供だったw
父親が喧嘩した二人を怒る時には必ず私から怒る
「お姉ちゃんだから」
どれだけこの言葉を聞かされただろう
その度にこころのなかでは
「すきで一番最初に生まれたわけじゃない」
ってお経のように唱えてた
いくら止められようとも子供には通用しない、喧嘩は飽きもせず毎日毎日続いた
それでもいつもは仲がいい
何かあると喧嘩する
学ばない馬鹿な兄弟
あ、でも学んだこともある
それはトイレに閉じ込められて反省させられてるときは黙って時間が経つのを待ってトイレから出て父親に謝れば必ず許してもらえる
口裏合わせて必ず
「2人で話し合って反省しました。喧嘩してごめんなさい。もうしません」
こう言えばもう完璧
そうです、変なところは学べるガキだったんです
そんなことを学んで過ごしていくうちに少しずつ両親がおかしくなっていく
同じ家にいるのに喋らない
父親がビール飲みたい時は子供誰かをつかってもらいに行く
少しずつ外へ飲みに行く機会が増える
夜中目を覚ますと母親がいないことがある
そんなことにソワソワし始めたころ事件が起きた
長男として支援
詳しくは覚えてないけど父親が手を上げてそれに危険を感じたお母さんが子供3人に準備をさせて実家(ベビーカー押して歩いても20分かからない)に
内心"これで安全だ、でもずっとおばあちゃんの家で住むのかな?いやだな"
とか思ってた記憶が薄々残ってる
でも本当にこのくらいしか記憶がない
気がついたらいつもの暮らし
父親もいる、もちろんお母さんも
確かあのあとお母さんの実家に行って色々説明してたら父親が謝りにきて、おじいちゃんになだめられてまた帰った
(最近になって聞いた話含めてそう理解してる)
支援ありがとうございます!
なんとなくそれからは、ソワソワしながらたまには酔った父親に怯えながら、いつまたああなるのかと考えながら普通に過ごしていた
そんなことはありつつ私も成長する
小学3年か4年、中学受験を決意
理由は高校受験だと教科が増えるからw
そんな理由で塾通いスタート
いくつか塾に通ったけど5年生くらいの時に家から徒歩5秒くらいのところに塾ができ、女の子だからとかでそこに通うことになった
学校はたいして楽しくなく、人気者グループにもおとなしいグループにも馴染めずどっちつかず
でもいじめられたりとかしたことはなかった
やっぱりここも普通に過ごしていた
それとは変わり塾はすごく楽しかった
自分の世界が広がった感じで自由も手に入れた気がした
まあ子供ながらの自由で世間知らずだから遊んでも家から10分くらいのとこだったんだけどw
そんなある日お母さんが入院して手術することになった
お母さんが死んじゃうーとか不安になってたけど下の妹が小さいから自分は素直に泣いたりできなかった
夕飯は父親のお母さんが作ってくれたりして何故か塾は休んで毎日家にいた
ある時父親にお母さんのお見舞いにいきたいって頼んだら拒否された
理由は「妹が小さいから1回会って帰ってきたらさらに手が付けられなくなる」とかだったんだけど小さいころの私にそんなの理解できるはずもなく、ごねた
結果、お見舞いに行ってその時死ぬ程幸せを感じた
帰ってきて妹がぐずって父親から散々文句言われたんだけどね
無事お母さんも退院してまた可もなく不可もなく毎日を過ごした
そして人生最大の分かれ道5年生のクリスマスの日
お母さんと子供達は友達の家でクリスマスパーティに参加してた
子供同士ゲームしたりご飯食べたり
大きなスクリーンのある家だったから
「金持ちの家に生まれたかった!!!」
とか思ったり、楽しく過ごしてた
夜もふけてきた頃お母さんの携帯に父親から電話がきた、どうも帰って来いとかそんな感じらしい
何回も電話きて、こんな遅くに子供を連れ回してどういうつもりだとか言ってた
その途端泣きたいくらい怖くなった
手を上げた父親を思い出して帰りたくなかった
そんな願いも通じずに父親がタクシーで迎えにきた
コンビニで買ったお菓子やらをパーティ主催した家に手土産として持って
ここまでには書いてなかったけど父親は何よりも世間体が気になる人だった
それは父親の母親から受け継いだもの
タクシーにのり帰った
そこからまたあまり覚えてない
確かに覚えてるのはお母さんが手をあげられたこと
お母さんが死んじゃうって子供ながらに真面目に思ってそれを止めようとした私にまで父親が手を上げようとしたこと
そのとき父親が酒を飲んでいたかも覚えてない
でも父親が怖かった
子供に手を上げようとしたことで母親が決意して2回目の実家への避難
なんとなく予感がしてた私は寝ててね、と言われたけどパジャマに着替えずによそ行きの洋服のまま布団にいた
結果正解だった
お母さんがかわいそうだった
父親が怖かったし憎かった
死ななくてよかったと本気で思った
おばあちゃんの家に着いてしばらくして父親が来たのが分かったけど怖くて寝たふりした
そしたら何時の間にか本当に寝てて朝になった
次に覚えてるのは窓際にいたお母さんが傷ついた爪やひっぱられた髪を気にしてるとこ
この瞬間父親への思いは一気に冷めた
なんとなく前回のように家にすぐ帰ったりしないことも察したし荷物を家に取りに行くか買うかみたいな話を聞いて"離婚"て文字も頭に浮かんだ
この日からおじいちゃん、おばあちゃん、お母さん、私、弟、妹の生活が始まった
一段落ついたしまた後で
みてる人居なくても勝手に続けますー
20 :
名も無き被検体774号+:2013/01/26(土) 17:59:33.71 ID:HlYeal+s0
あげ
21 :
名も無き被検体774号+:2013/01/26(土) 19:53:03.07 ID:wpAAa1yD0
r ‐、
| ○ | r‐‐、
_,;ト - イ、 ∧l☆│∧ 良い子の諸君!
(⌒` ⌒ヽ /,、,,ト.-イ/,、 l
|ヽ ~~⌒γ⌒) r'⌒ `!´ `⌒) 人生にはリセットボタンは無いが
│ ヽー―'^ー-' ( ⌒γ⌒~~ /| 電源ボタンは付いているんだ。
│ 〉 |│ |`ー^ー― r' |
│ /───| | |/ | l ト、 | めんどくさくなったら押してみるのも良いかも知れないな!
| irー-、 ー ,} | / i
| / `X´ ヽ / 入 |
気になる。
おいおいまさかこれで終わりなのか??
24 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/27(日) 01:24:07.47 ID:j4mHjp0P0
遅くなったけど続き書きますー
気にしててくれた人ありがと@ 'ェ' @
生活環境が変わっても生活は変化しなかった
学校までの距離は近くなったし塾までは過ごし離れてしまったけど自転車ですぐ
なにも困ることなく生活していけた
普通過ぎて記憶があいまいだけどお母さんが仕事を探し始めたことには少し焦りを感じた
今までのようにはいかないのか、とさみしくなった反面父親と暮らさなくていいのかも、という期待もあった
25 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/27(日) 01:27:13.08 ID:j4mHjp0P0
朝起きて学校行って帰ってくれば塾へ行く
暖かいご飯に笑顔の絶えない家族
きっとこの頃が幸せのピークだったと思う
何事もなく時が流れて春には妹が小学生になった
私が6年生弟が4年生妹が1年生
みんなが同じ学校に通って6年生の私たちが妹達のクラスの世話を色々する
1年生からしたら私たちは大きくて何をしても興味を持ってもらえたし自分の妹がいるってことで私も楽しく毎日を過ごしていた
もちろん、普通に生活しながら
みてるよ
あんまり思いで深い話もないけど、いくつかそのころのエピソード
ある日校庭開放のとき妹が泣いて私に助けを求めて来た
何事かと思って話を聞くと上級生(3年)に嫌味を言われいじめられたと言う
その上級生は日頃私に媚びをうってきてた子たち
きっと私の妹だと気がつかずに意地悪をしたんだろう
でも私は許せなかった、可愛い妹がこれ以上何かされたら困ると思いすぐにその子達を呼び出して注意した
その勢いが凄かったのか分からないが相手の子は号泣し、それでも自分は悪くないと言う
そんな訳はない、他の子達もみていて証言してくれてた
怒りがさらに出てきて永遠問いただした
泣いてもシカトした
結局謝らせて、次何かしたらこんなもんじゃ済まないよと脅しをかけて終わった
きっとこの頃からだろう自分の怒りや感情を自分でコントロールしてためることが出来なくなったのは
>>26 ありがと@ 'ェ' @
他には特に思い出せないけど、唯一私が目立ってお母さんが他の親に絶賛された出来事がある
最後の運動会で終わりの言葉を話した
今考えたら作文用紙2枚くらいの小学生の考える文を丸暗記して話しただけだけど、その頃は誰にあってもそれを褒められるのでとても誇らしかった
自分は何でも出来ると思い込んだ
そんなこんなで小学校は卒業した
2月に受験も終わり晴れて春からは女子校の中学生
小学生の頃から制服はあったけどそれとは違ってもっとかっこいい制服が着られることが嬉しかった
その反面やっぱり知らない人だらけの学校は不安だった
家庭環境は特に変わらず、それでも変化としてお母さんが働き夜に帰ってくるから子供に構いっきりじゃなくなった
学校の話をしたくても順番
途中おばあちゃんや弟妹がチャチャを入れる
たまに寂しくも感じたけどそんなに大したことだとは思わなかったし普通に楽しかった
>>29 文章力欲しいと思ったわ
昔教師に「感受性ゆたかだけど、文は下手ね。それが良くなれば物書きになれる。」
と言われてけなされた気になって落ち込んだことがあるw
春からの中学生活も普通だった
勉強も普通に出来たし友達も出来たし普通に楽しかった
部活は特に入らなかったけど何だかんだ運動部に入ってない子達で遅くまで教室で話してたりパソコンで遊んだり退屈しない毎日を送った
ただ小学校とは違い通学が電車になったせいで毎日朝早く起きるのが苦痛で仕方なかった
何故かうちは夜寝る時間が9時と決まってて金曜土曜以外は9時以降テレビを見させてもらえなかった
金曜土曜は11じまでOKでみんなでサスペンスをみた
流行りのドラマはビデオで録画して昼間学校が終わってから夕飯までに見るのが決まりになってた
1年の頃は思い出がない、というより覚えてない
5月くらいに学校行事でのお泊り会したり文化祭したり体育祭したり覚えていることはあっても印象に残ることがなかった
小学校に思い入れがなさすぎて携帯は持ってたけど特に連絡先を交換した子もいなかったし、遊ぶと言えば大抵クラスメイトで朝から夕方まで同じ仲間で騒いで遊んで、その辺にいる普通の中学生を満喫してた
34 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/27(日) 01:51:00.99 ID:j4mHjp0P0
2年に入ってからも勉強したりして遊んで帰って家で家族と笑って
そんな生活があるはずだった
でもこの頃から何かが変わった
変わったというより確実に壊れていった
ことの発端は出会い系
特に意味はなかった、きっと暇で多少の異性への興味や寂しい想いがあったんだと思う
今でもあるであろうちょっと名のしれた出会い系っぽかったけど今みたく厳しくなかったし何より年齢を誤魔化してJKくらいにしてたから男が余る程連絡して来た
完璧な暇つぶし相手を必要以上に手に入れたわけだ
>>31 感性は持って生まれたセンスだが
文章力は努力で身に着けるスキルだよ
いっぱい本を読んで、いっぱい書けばいまよりも上手くなる
今でも十分だと思うが
そんな中知り合った人に恋をした
あったこともないのに
会う約束もしてないのに
何故惹かれたのかは簡単で、認めてくれた気がしたから
家族の話をしたら優しい言葉をかけてくれて
今までそんな話人にしたことなかったから何故か泣けてきて、彼も似た環境だったことに親近感を覚えて恋をした
毎日メールしてたまに電話して、それだけで私のすべてが満たされる気がした
そんなある日バレンタインにチョコを渡したいと話したら学校の最寄り駅まできてくれることになった
天にも昇る心地だった
でも良く考えると恋人でもないし顔もよくわからない会ったことのない人と会うなんて、例えそれが駅のホームだったとしても怖かった
だから友達と行った
友達も余り物のチョコを持って二人で渡そうということに
37 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/27(日) 01:59:28.35 ID:j4mHjp0P0
>>35 本を読むことも何かを書くことも学生じゃなくなって久しくしてないなー
でも必要なことだとこれ書き始めて気がついた
当日はあっさり終わった
それからも毎日メールして電話して充分幸せで、付き合いたいとかそういった意識がなくてただただ、幸せだった
でも1ヶ月か2ヶ月かして急にあんまり構ってくれなくなった
理由はわからないし、もしかしたら何かしてしまったのかなとも考えたけど
今考えたらたぶん飽きたんだろう
それでも何か失った気になって気にかけてもらえる何かがないといけないと思った
そして気がついたらカッターを腕に当ててた
当てるだけ、少しだけズラすだけ、気の小さい興味本位の出来心だった
そしてそれを彼に報告したらいつも遅くならないと返ってこないメールの返事がすぐに帰ってきた
このとき安心を覚えた
死にたいとか生きたいからとかじゃなく、彼に構ってもらってうまれる安心を得るために自分を傷つけることを覚えていった
>>37 図書館で借りて読めば無料
青空文庫でダウンロードすれば無料
そして、書くのはいつでも無料だ
40 :
名も無き被検体774号+:2013/01/27(日) 02:16:05.71 ID:dJV1ZzJMO
これいつになったらリセットしたいまでたどり着くの
文章は上手いけど前置き長すぎ
42 :
名も無き被検体774号+:2013/01/27(日) 02:22:16.77 ID:dJV1ZzJMO
前置き長い上に眠くて文章が進まないから今日は断念します
これは自分語りするために書いてるから長くもなるし書きたいことがあれば長さ気にせず書くつもりです
もし、長いと思ったら全部が書き終わった頃覗いて最後の結末だけ読んでくれたら嬉しいです
ではまた明日の晩に@ 'ェ' @
>>43 2ちゃんなんだから、好きに書けばいいさ
おやすみ
またね
見守るよー。
46 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/28(月) 00:51:56.25 ID:lQcUj6v20
今日も細々続きかきますー
>>38の続き
安心を覚えたら後は簡単で、もう流れ作業のように続いていった
カッターを当てて彼に安心をもらって、みたされて眠る
それでもまだ友達や親には気がつかれることもなく長袖の時期に感謝して過ごして行った
でも、こんなことも続くはずがなく終わりを迎えた
何かの拍子に完璧に振られ連絡がまた返ってこなくなった
もうそのときにはカッターを当てることで安心を得ていたから彼を引き止めることもせずに平気なふりをした
きっとこれが小さな私の初恋
そして何もかもが変わった最初の出来事
彼と関係がきれて私は焦った
自分をみてくれて気がついてくれる人がこの世に存在しない気がしたから
そう思い込んでまたひたすら出会い系サイトにハマって行った
ほとんどはメールするだけ
たまには電話も
そしてそれでも気が合えば直接会う
JKって年齢の設定もいつしかうやむやになって中学生だとばらす
それでも相手にしてくれる人に構ってもらう
そうやって携帯の中でだけ自分の居場所を作って行った
相変わらず文章上手いな
支援
>>48ありがと@ 'ェ' @
暇さえあれば出会い系
その頃から勉強をしなくなって生きてきて一瞬もなくしたことのない普通から遠ざかりはじめた
普通、真ん中のラインこれが私を示す言葉のはずが
気がつけば勉強の成績はしたから数えた方が早い
学校生活も携帯の中の世界の方が大切で放課後はすぐ帰る
家でも部屋に引きこもり
それでも何とか親の顔を伺いつつ毎日を過ごしていた
50 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 01:48:32.02 ID:5/XO5uEr0
何人もの人と出会い系で知り合ってデートして相変わらず依存して腕に傷を付けて同情で構ってもらって
そんなことを繰り返してた
中学3年生では学校で外国へ1週間ホームステイに行ったりした
楽しかったけど特に未来につながる何かを感じたわけではなかった
進路を考える時期もやってきた
私の中学は高校もついてるエスカレーター式の学校だったけど、その頃は意味もなく高校は別のところに行きたいと思っていた
それも通信制の高校に
お母さんに相談したら「修学旅行とか友達との学生生活を味わって欲しい」と拒否され結局そのまま高校へ上がることに
51 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 01:53:49.01 ID:5/XO5uEr0
そんなある日お母さんと出かけて二人とも携帯をマナーモードにしてて、さて帰ろうと携帯を見た瞬間家や知らない番号からの鬼電がきてた
一瞬で嫌な予感がした
すぐにお母さんが掛け直すと
"おじいちゃんが倒れ、病院に運ばれた"
とのこと
昔、小学校の頃変な胸騒ぎがしたあと急に電話(まだ別居始まる前)が鳴っておじいちゃんが倒れたという報告をうけたことがあった
でもこの日の朝からしてた胸騒ぎはこのときより確実に激しくてこの電話の内容を聞いたとき私は心の奥底でもうダメなのだと気がついた
それでも走った
電車を乗り継いで病院へ
乗り換えの途中駅のコンビニで「この先長いからおにぎりでも買いなさい」とお母さんに言われた
そのときは腹が立った
1秒でも早く行きたいのに!行かなきゃいけないんじゃないか!お前の父親だろう!
ただ、落ち着いて今考えたらそれが正しかった
お母さんも手遅れだと気がついていたんだと思う
52 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 01:56:30.61 ID:5/XO5uEr0
病院について案内された救急の手当室みたいな所に入った
気がつくと目の前には横たわってるおじいちゃんと、椅子に座ってるおばあちゃん
おばあちゃんは目を真っ赤にしながら一言
「お父さんいっちゃった…」
この一言を聞いて泣いた泣き叫んだ
神様に「やだやだ!兄弟仲良くするから連れてかないで!大好きなの!やだやだ!」
と大声で頼んだ
53 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 01:59:24.26 ID:5/XO5uEr0
そのあとは親戚が来たり家に帰ったり
お風呂場で倒れてそのままだったから警察の人が家に来た
なんだかんだしてるうちに家で落ち着いて翌日の話になった
朝に病院に行って警察が判断して事件性があれば解剖する
解剖でなければそのまま家に連れて帰って来られるとのこと
私は学校を休んで着いて行くことにした
弟妹はまだ状況がうまく飲み込めずとりあえず午前中だけは学校に行くことになった
その夜寝られず泣いた、たぶん
あまり覚えてないけどとにかく一瞬でも一人を感じないように色々な人とメールしたりしてた
54 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 02:03:39.28 ID:5/XO5uEr0
ここにはあんまり書いてなかったけど、私はおじいちゃんが大好きだった
中学に入って軽い反抗期で口うるさいお母さんやおばあちゃんがうざったくなってもおじいちゃんは何も言わずにドシッと構えて新聞を読んでいる
それだけで何もかも分かってくれてる気がしていた
一度おじいちゃんとおじいちゃんが大げんかしておじいちゃんは物投げるは殴るは暴れたことがあった
その時私が仲裁に入って力一杯おじいちゃんの手首を掴んだ、捕まえた
きっと痛かっただろう、辛かっただろう、手も心も
孫娘に掴まれてたんだからね
父親と重なり私も辛かった、それでも泣きながら離さなかった
そのあと何食わぬ顔でご飯食べてたら
「ごめんな、さっきは」って言われて泣きそうなのを食いしばりながらご飯を食べた
おばあちゃんはよく「あたまの手術してから怒りっぽくてね」と言ってた
その日もそう言って目を赤くしていた
55 :
名も無き被検体774号+:2013/01/29(火) 02:28:14.50 ID:jhPRMKlYO
追いついた
うーん、
若くしてネットで出会い求めるような子って、やっぱり何かしら満たされてなかった要因があるのかな?
不純な動機ないって言ったら嘘になるけど、そんなJCJKを慰めてあげたいw
そこそこの年になってからのことでも、結構覚えてないことが多いようだね
57 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 02:54:13.36 ID:5/XO5uEr0
気がついたら書くの休んで1時間近く部屋片付けてたw
>>55 うーん、そうなのかな?
でも今はネットが身近だから暇な人は年も生きてきた背景もあんまり関係ない気がするなあ
>>56 この時期プラスもう少し後までは大きい出来事しか覚えてなくて
出会い系サイトでも知り合った人がいたはずなのになんとなーくしか覚えてないし、大きい出来事ですら記憶が抜け落ちてます(´・_・`)
58 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 02:59:55.55 ID:5/XO5uEr0
おじいちゃんが亡くなった次の日朝一で病院に行った
亡くなった人がいる部屋に寝かされてて
あー、寂しくないのかなと、なんとなく感じた
で、書類にサインして警察がおじいちゃんを調べて結果的に解剖せずに連れて帰ることが出来た
警察が調べてるとき警察の見ず知らずの人がおじいちゃんに触るのがいやで悲しくて一人離れたとこにいた
葬儀屋を決めて家の場所を確認して別々の車で帰宅
布団を敷いてその上に保冷剤みたいなやつと一緒に寝かせて掛け布団をかける
単純作業だけど家に帰ってきてくれたのが嬉しくて少し泣いた
59 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 03:06:11.55 ID:5/XO5uEr0
家に帰って来てからは色々忙しかった
葬式の準備や関係者への連絡
子供はそれができないから家に人がくる用に掃除したりお茶出したり
葬儀屋さんがいたと思ったら帰って親戚が来て
親戚が帰ったと思ったらマンションの人が心配して来てくれて
知り合いも来てくれて
次から次にたくさんの人が来てくれて忙しく日がくれて行った
よく葬式が終わるまで悲しむ暇がないって聞くけど、このときは準備する大人が4人いたからなのか夜になると悲しむ暇しかなかった
大人はメソメソしてなかったけどね
大きい部屋におじいちゃんが寝て
そこを閉めて事務的な話をしてたから
一人おじいちゃんの枕元に行って悲しんでないて
また部屋に帰る
こんなことを繰り返して朝を迎えた
60 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 03:09:28.20 ID:5/XO5uEr0
季節の関係もあって夏じゃなかったからその日から3日くらいかな?そのまま家におじいちゃんがいた
その間は学校休んでずっとそんな感じ
高校は別に行きたかったのに行けなくなったからそれも嫌で特に行きたくないしそうした
あ、亡くなった次の日かそのくらいに父親も来た
来たことに怒りを覚えた
おじいちゃんに合わせる顔ねーだろって
まあ何も言えなかったけど
お母さんとお葬式に並べる花を出すださないで話し込んでた記憶がある
そんなこんなでお通夜になった
この日と次の日で更に父親が嫌いになる
周りの大人がしっかりしなきゃ・・・
62 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 04:01:09.44 ID:5/XO5uEr0
>>61 身近な大人はしっかりしてましたよー!
お通夜が始まる前親族席には何故か父親
まずこれが嫌だった
でもまあ仕方ない、離婚してるわけでもないし
そしてたんたんと時間が進む
途中何度も涙が出た
予想よりはるかに多くの人が手を合わせに来てくれて驚いたし人脈に感動した
式が落ち着いてからおじいちゃんの思い出話とかを聞くんだけど、どれも家にいるおじいちゃんとは大違いでおおらかで気の利く大人って感じだった
家では亭主関白でテレビしか興味を示さないような人だったから少し面白かったw
>>62 いや、、、潜在的に何か・・・
続けてクレ
64 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 04:12:35.15 ID:rIqBpU+x0
お葬式の日父親に激怒した
親族席に座って式が始まるのを待ってる時
「昨日◯◯と飲んでさー、二日酔いなんだよね」
と堂々と私に言って来た
は?と思った
仮にも今日は父親の葬式だよね?なのになんでそんなこというの?私は孫だよ?なんなの?と
これは今でも許せない一言
式が終わって焼くために火葬場へ運ぶ時歩いて30秒くらいなんだけど棺をみんなで持って運ぶって感じでそれを男の人で、みたいになった
そこに見えたのは一番前で手を添える父親
私は手を添えるのを我慢した
女だから
なのになんであいつはできるの!我慢できなかった
きっとそれを察したんだろう、おばさんが私の手をとって一番足に近いところに手を添えてくれた
この日女に生まれたことを悔やんだ
父親を一生許さず愛さないことを決意した
と、まあこんな感じで一段落ついたから今日は寝ます
また明日@ 'ェ' @
66 :
◆8gElPbfZQ2 :2013/01/29(火) 04:14:06.61 ID:rIqBpU+x0
変なとこ事細かく書いちゃってるから知り合いが読んで身バレしませんよーにw
あ、おやすみなさい@ 'ェ' @
>>66 ダイジョウブデショw
おやすみ〜
あすもたのしみにしてます