1 :
1:
もう20年も前のことなんだけど。
2 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 17:33:49.78 ID:/1PYrgwp0
じゃあしなくていいです
3 :
1:2013/01/20(日) 17:34:40.91 ID:eY1EDxO7P
ごめん、ニーズないかもしれないし、文もまとめてないけど、
誰か読んでくれそうなら書く。
スペック:アラフォー女
父が亡くなった当時:私大学生、妹高校1年生。
4 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:8) :2013/01/20(日) 17:34:59.38 ID:zCqgFEIx0
てす
5 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 17:39:29.58 ID:Y24drRvf0 BE:3984379586-2BP(0)
読む
6 :
1:2013/01/20(日) 17:41:33.20 ID:eY1EDxO7P
当時父は52、いや53だったかな。
地元で名前を言えばおおっ、と言われる会社にはいたけど、
私らの親世代のお約束で、中卒即就職だった。
若い時に2〜3回転職したらしいけど、
職場の中では一番のベテランだった。
そんな父が前触れ無く職場で突然倒れた。
夏休みが開けた頃だたっと思う。
7 :
1:2013/01/20(日) 17:43:48.12 ID:eY1EDxO7P
>>5 ありがとう。
「男は黙って」のタイプだったので、体調が悪いとか何とか自分からは言い出さなかった。
ただ、あとで聞いた話では
その症状では相当の痛みがあったはずだったらしい。
かかりつけの病院から、山手の方にある大きな専門病院を紹介されて診察を受けた父。
すい臓がんだった。
8 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 17:44:30.53 ID:/1PYrgwp0
(゚Д゚)ガーン
9 :
1:2013/01/20(日) 17:45:50.83 ID:eY1EDxO7P
告知を受けたのは母。
ことがあまりにも重大なので、父方の祖母は私には知らせず、
父のすぐ下の弟と聞いたらしい。
祖母は長男(父の兄)も数年前に癌で亡くしていて、
さすがに伝えるのはしのびないと感じたんだと思う。
10 :
1:2013/01/20(日) 17:48:49.40 ID:eY1EDxO7P
検査を受けた病院はバスと地下鉄を乗り継いで30分以上かかる所。
そんな所では看病できない、と思った母は
自転車でなら何とか通える近くの病院への紹介状をもらい、
父も何とか言いくるめて入院手続きをした。
私ら姉妹も含め、家族では病気にほとんど縁がなく、
入院経験もない。
母が慌ただしく支度をしているのを、妹ときょとんと見ているしかなかった。
11 :
1:2013/01/20(日) 17:52:53.02 ID:eY1EDxO7P
母は当時メーカーの孫請け会社で働いていた。
私と妹を送り出し、自分も出勤し、
帰りに病院に寄る、それが母の日課になった。
土日はつきっきり状態になった。
少し体調が崩れれば病室に泊まりこむ。
いつもはヒステリー気味な母が勤めて朗らかに父に接していた。
私と妹は病状も病名も、そして余命も知らされぬまま、
半月くらい過ぎていった。
12 :
1:2013/01/20(日) 17:53:37.33 ID:eY1EDxO7P
ちなみに、知らされた余命は、2ヶ月。
命日かなんかなのか
14 :
1:2013/01/20(日) 17:57:37.22 ID:eY1EDxO7P
すい臓がんは、今はもっとわかりやすくなっているのかもしれないけど、
発見されたらもう手遅れっていうものだったそうだ。
短期間だったが病院づとめ経験のある母は
余命を知らされてからも気丈に過ごした。
ただ、そのことを私達娘に知らせるのには相当悩んだと
あとで話していた。
15 :
1:2013/01/20(日) 17:58:36.24 ID:eY1EDxO7P
>>13 亡くなったのは12月なんだ。
今日偶然、父と同じ病で亡くなった方の話を聞いて、
ブワッと思いだしただけ。
16 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:00:05.67 ID:CsNVZwFA0
BBAのパンツがみたいにです!
お願いします!
17 :
1:2013/01/20(日) 18:03:23.67 ID:eY1EDxO7P
ある日たまたま、家で母とふたりきりになる機会があった。
ほんとに他愛のない話をしてたら、急に母が私に向き直った。
「Mちゃん(私)、お父さん、がんなんだって。」
一言一言、いい間違えないように、慎重に話す母。
私はすぐに理解できなかったものの、
父ががんであり、生きられても11月いっぱいであろうこと、
ここまで理解したあと思考停止した。
母は私を抱きしめてわんわん泣いていた。
私は「父さんがいなくなる」ということだけぼーっと考えていた。
18 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:04:47.67 ID:ruhnQkq6O
19 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:06:35.50 ID:CsNVZwFA0
遺族年金考えたら一番良い時期に無くなったといえる
生命保険もかけてるだろうし
20 :
1:2013/01/20(日) 18:07:34.87 ID:eY1EDxO7P
母は落ち着いたあと、私にこう問いかけた。
「Hちゃん(妹)にも話したほうがいいのかな…」
妹は高校に入って半年ちょっと。
もし中学生であったら私も迷ったかもしれないけど、
「私に伝えたなら、Hにも伝えないとおかしいよ」
こう話した。
高校生なら、きちんと向き合えるはずだ、と。
母は頷いて、その1週間くらい後、私がいない時を見計らって、妹に伝えた。
妹も呆然としていたらしい。
21 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:07:47.08 ID:AsSd7xDq0
あなたにお子さんがいるなら気をつけた方がいい。遺伝するから。
22 :
1:2013/01/20(日) 18:08:45.21 ID:eY1EDxO7P
>>19 遺族年金とかは覚えてないんだ。生保も。
大学は一応奨学金でいってたから。
23 :
1:2013/01/20(日) 18:11:33.39 ID:eY1EDxO7P
>>21 私には子どもはいないです。
妹のところに娘が2人います。
24 :
1:2013/01/20(日) 18:14:36.25 ID:eY1EDxO7P
私たち姉妹に告知する前後のこと。
母が病室に行くと、父が病室の荷物をまとめて、身支度を始めていた。
「こんなところじゃ治る病気も治らん!転院するぞ!」
こう言って母を急き立てた。
母が行ったのは夕方のこと。
当時既に父は個室にいたので、看護婦さんに簡単な事情を話し、
母はなんとか父をなだめようとした。
25 :
1:2013/01/20(日) 18:18:58.68 ID:eY1EDxO7P
仕事一筋で、職場でも古参であり、責任あるところを任されていた父。
一刻も早く仕事に戻りたかったんだと思う。
「お父さん、そんなこと言ったら、紹介してくださった病院にも、ここの先生にもご迷惑がかかるよ」
「まだ治療し始めたばかりなのに、また1からやり直すのはかえって大変になるよ」
「ここの病院から離れたら、MもHもすぐにお見舞い来られなくなるし…」
頭に血が上っていた父は、喧嘩にならないよう努めて話した母の口調でようやっと落ち着いた。
しっかり体治して、また家族で川釣りに行こう、
川辺で取った魚を焼いてみんなで食べよう、
そのために絶対に元気になろうね、
一晩中話し続けていたと母は言っていた。
26 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:20:29.25 ID:CsNVZwFA0
27 :
1:2013/01/20(日) 18:24:07.44 ID:eY1EDxO7P
私も妹も父の余命を知ることとなり、
それぞれに学校帰りは病院に寄るのが習慣になった。
自宅からはそうでもないが、私たちが通学に使っていた駅から病院までは結構距離があった。
私は大学帰りの川べりの道を自転車で走っていった。
幼い頃にハゼ釣りを毎年やった川が眼下に流れている。
ちょうど秋。
あの頃の父や私と同じように、ハゼ釣りに興じる親子が複数組いた。
時間って永遠じゃないんだな、とぼんやり思っていた。
28 :
1:2013/01/20(日) 18:28:51.48 ID:eY1EDxO7P
入院初期、父は自力で問題なく歩けていた。
余命を知らされてからしばらくも、点滴を自分で持って歩いてお手洗いに行けていた。
「嘘だと思うでしょ…」
父がいない場で、見舞いに来ていた私たちに母がつぶやいた。
しかし、父は急速に、ほんとうに見る間に弱っていった。
お手洗いに自力で行けなくなり、
やがて立ち上がることすらままならなくなった。
もともと細かった身体は更にやせ細っていった。
私は、どんどんお見舞いに行くのが怖くなった。
弱っていく父を直視できなくなっていった。
29 :
1:2013/01/20(日) 18:35:30.52 ID:eY1EDxO7P
大学が遅くなる、というのを理由にしても、父のお見舞いに行く言い訳にはならない。
気持ちの重いまま大学帰りに自転車を走らせた。
入院も1ヶ月を過ぎた頃から、父の言葉が聞き取りづらくなっていった。
「お前、大学は?」
こう聞かれているであろうことはわかるが、言葉が途切れる。聞き取れない。
「今日4限なかったから」
「…ちゃんと勉強しろ」
言葉が続かなかった。
この頃から、母は休職し、ほぼ泊まりこみ状態になった。
30 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:40:55.77 ID:kxwRGY3T0
家の親父思い出すわ
31 :
1:2013/01/20(日) 18:41:31.71 ID:eY1EDxO7P
家では妹とふたりきりの時間が圧倒的に増えた。
示し合わせたわけではないが、父の病気の話は出なかった。
11月に入った頃、主治医の先生と話す母に頼まれ、その場に同席した。
「顔を合わせたい方がいらしたら、今のうちに…」
その場で泣き崩れるわけに行かない母は努めてはっきりと答えていた。
どう反応していいかわからない私はただドクターに深く一礼した。
幸いだったのは、
入院したと聞いて訪ねてくださる方のほうが多く、
こちらからわざわざ連絡する必要が殆ど無かったことだった。
32 :
1:2013/01/20(日) 18:45:52.94 ID:eY1EDxO7P
父の意識が薄れないうちにと、病院の許可を特別に頂いて、
当時の愛犬(プードル)を病室に連れて行った。
犬を溺愛していた父は娘にも見せたことがないような満面の笑みだった。
母には、
「Mちゃん、成人式の振袖、お父さんに見せよう」と勧められ、
病院の近くの美容室で着つけてもらった。
父はただ頷くばっかりだった。
看護婦さんが撮ってくれたツーショットの写真は、
今父の仏壇の中にまとめて収められている。
33 :
1:2013/01/20(日) 18:47:36.07 ID:eY1EDxO7P
この辺りで、父はもうわかっていたんだと思う。
普通の入院ならありえない見舞いがある。
長くないのだなと。
11月の中頃。
父の意識が混濁することが増えた。
病棟に折りたたみベッドを余分に用意してもらい、
家族4人で泊まり込んだ。
34 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:52:43.94 ID:wEEYqyqWO
>>32 昔は自由やなー
今は子供の見舞い禁止の病院もあんねんで
35 :
1:2013/01/20(日) 18:52:58.27 ID:eY1EDxO7P
真夜中だったと思う。
不思議なものを見た。
きちんと閉じられているはずの病室のドアの向こうが見え、
二人の人物が立っていた。
シルエットしかわからなかったが、何故か「男の人2人だ」と直感した。
二人の男性は身じろぎもせずこちらを見ていた。
怖さは全く感じなかった。
夢だったのかただの幻視だったのか、今ではわからない。
その後、父はゆっくりと病状を悪化させた。
意識のある時間のほうが圧倒的に短くなった。
がん細胞はその人の身体が若いほうが増殖は早い。
50代の父は、70代以上の人より早く弱っていった。
36 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 18:53:02.33 ID:CsNVZwFA0
親父が胃がんで入院した時、両親と喧嘩別れして3年間音沙汰なしの勘当状態だった
携帯番号教えてなかったのにいきなり母親が泣きながら電話かけてきたから「どちら様ですか?迷惑電話ならかけてこないでください」って言って電話切ったったwww
おまえら子供とは仲良くな!
37 :
1:2013/01/20(日) 18:54:10.88 ID:eY1EDxO7P
>>34 当時でも、かなり特例だたと思います。
子どもといっても私たちが実の娘であり、
また高校生・大学生でひと通りの常識がわかるだろうと思われてたのかもしれないです。
38 :
1:2013/01/20(日) 18:58:54.08 ID:eY1EDxO7P
父は、母の兄弟姉妹とは仲が良かった。
伯父(母の兄)とは同級生で気が合っていたし、
叔母たちとも軽口を言い合う仲だった。
伯父叔母たちも車で来られる範囲にみんな住んでいたので、
代わる代わる見舞いに来てくれた。
バスで10分ほどのところに住む祖母…父の母も、杖をつきながらやってきた。
「Y(父)は一体どうなってしまうんか…」と嘆く祖母を母が励ました。
祖母は後に、
「Kちゃん(母)があれだけしっかりしとるのに気づかなならんかった。
あれは普通の状態じゃあなかった。
わしにはなんも出来んかった…」と
父の仏前で泣き崩れた。
39 :
1:2013/01/20(日) 19:03:26.90 ID:eY1EDxO7P
12月になろうとしていた。
いつ急変してもおかしくない、とドクターには既に知らされていた。
私は担当教官と教務課に事情を話し、出来る限り病院に向かうことにした。
もう気が重いとかいっていられる状態ではなかった。
妹はさすがにそうもいかないものの、母が事情を担任に電話し、
何かの時にはすぐ病院に駆けつけられるような手配をした。
父はもう酸素なしでは呼吸ができていなかった。
時々絡むたんの吸入も徐々に頻度が増した。
吸入したたんがなんとも説明しがたい緑色だったことは鮮明に覚えている。
40 :
1:2013/01/20(日) 19:06:58.59 ID:eY1EDxO7P
父の弟は当時近所に住んでいた。
時々私たちを送り迎えしてくれることもあった。
「姉さん(母)があの状態では、もしもの時の場所の事も考えておかないと…」
当時まだ葬祭ホールなんてない。
ある程度の葬儀なら自宅でするのが普通だった。
ただうちは弔問客を迎えるにはあまりに狭い。
察してくれた町内の方が、公民館を使えるように話をしてくださっていた。
大学生の身分ではこのあたりのことは何も出来ようがない。
ただ心配りに頭を下げた。
41 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 19:08:14.43 ID:svQn5upb0
なみだがとまらん
42 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 19:13:22.53 ID:IHLGXx7Q0
周りが声かけてくれるなんてなー
お父さん素敵な人だったんだな
43 :
1:2013/01/20(日) 19:13:47.11 ID:eY1EDxO7P
12月に入ってすぐ。
来てほしくない日が来た。
父には数々の器具が付けられ、青黒い表情のまま僅かな呼吸をしていた。
誰が連絡したのだろう、いつの間にか父の姉、弟、妹とその家族、
近くに住む従兄弟も駆けつけて、個室周りには20人弱いた。
ずっと心電図を見守る叔父たち…。
母は2ヶ月間の根を詰めた看病が祟り心臓を弱くしていた。
たださすがにこの時は父の真横に座り、
私と妹がそれに続いた。
ただただ動揺するばかりの妹。
心の置き場がなくウロウロする私。
夜10時を過ぎようかという頃、
心電図が止まった。
44 :
1:2013/01/20(日) 19:17:31.26 ID:eY1EDxO7P
ドクターの心臓マッサージが始まった。
母はただ嗚咽するばかり、
妹は父を揺さぶり、
「お父さんまた川釣りに連れてってくれるんじゃないの!?
行くんでしょ!?
またみんなでヤマメ釣るんでしょ!?」と絶叫。
私は言葉も出せず父を見ているしかなかった。
むしろドクターの手を止めたかった。
楽にさせてやってくださいと言いたかった。
何も言えないまま、その時がきた。
22時3分。
父は他界した。
45 :
1:2013/01/20(日) 19:18:53.19 ID:eY1EDxO7P
>>41>>42ありがとう。
あとで書こうと思うけど、父の葬儀には信じられない数の人が来てた。
いい人だったんだってそこで改めて痛感した。
46 :
1:2013/01/20(日) 19:21:56.29 ID:eY1EDxO7P
あかん葬儀の話書こうとしたら頭が真っ白になってしまった…。
ご飯作ってくる。
落ち着いたら続き書く。
47 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 19:22:22.80 ID:wEEYqyqWO
>>45 アフィリエイトブロガー来たはるよーやから名前欄に『転載禁止』した方がええかもです
大事な父ちゃんの思い出、都合ええ部分だけ変にまとめられたら嫌やろ?
48 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 19:31:23.67 ID:gsGbwr6a0
うちの親父も俺が中2の時死んだ...
俺も高一の時母親がガンで死んだよ
自分も知らされてなかったし本人にも最後まで告知しなかったんだけど
本人もやりのこした事があるだろうし最後の入院までに告知してやれば良かったのにと思ってる
ありがとうです。名前こうする。
52 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 21:41:40.03 ID:Ez7zO+dm0
三ヶ月前、父子家庭で必死に大学生の兄と高校生の私を育ててくれていた父が急死した
笑顔がたえない父親で前日に仲良くみんなでご飯食べてたのになぁ
本当に急死だった
お父さんしか飲まないコーヒーがずっと残ってる
>>1 辛かったね。
53 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 21:57:55.11 ID:b0b5EgXr0
続きはよー(´;ω;`)
54 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 22:09:47.51 ID:QEnezwb+0
まだ父ちゃんも母ちゃんも死んでない どっちもすごく好き
だからこういう話があるとつい見ちゃうんだけど
来る日を想像して悲しくなる
55 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 22:12:33.70 ID:lp9XCbgp0
(゚Д゚)ガーン
56 :
癌患者:2013/01/20(日) 22:14:32.13 ID:CfCv4MljO
昔は動物OKだったの?
いいなあ、私も溺愛ぬこに会いたいよ。
今は子供もだけど、生花すらだめだから。つらい(T-T)
57 :
名も無き被検体774号+:2013/01/20(日) 22:22:12.19 ID:BTqoFEPx0
お父さん大好きっ子だから涙出てくる。。。
私もお父さんと釣り行った思い出あります。
58 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/20(日) 22:48:42.47 ID:eY1EDxO7P
早く書きたいけどちょっと遅くなりそう(T_T)
父親は中三の時、母親は高三の時
それぞれガンで亡くしたわ
目に見えて症状が悪くなってくのは辛いよね
昨日までは割りと普通に話せてたのに言葉聞き取りづらくなったり、字かけなくなったり
自分はいよいよってなって病室に心電図とか持ち込まれた時が嫌だったなー
本人が気付いたらどーすんだって思った
もっと頻繁に見舞い行っとけばよかったってたまに後悔する
60 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 00:06:30.38 ID:cC0ZaguNO
61 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 00:47:26.29 ID:IehFjCDq0
>>58 いいよ、ゆっくりいこう。今日はオレは寝る。おやすー
62 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 00:48:49.51 ID:R0V9IB3aP
>>60 なかったです。
一応政令指定都市だったけど、隅っこだったので。
思い出したら何か頭が回らなくなってます。
勢いでいっぱい書いたからかな。
父がこと切れて、母はもう見る影もなく憔悴、
遠方の親類への連絡役は私になった。
渡された電話帳を片手に、病院の公衆電話から一件ずつ、
「父が亡くなりました」と。
何だか他人事みたい、と思いながら、立て続けに電話してました。
隣の電話では妹が
「何でお父さんが死ななきゃいけないの!?」と
友達に電話してました。
危篤の知らせ後大急ぎで飛んで来て間に合わなかった叔母二人、
病室に入り私を見て「Mちゃん!」と駆け寄って来て、
私がただ首を振って「もう…」と言った直後、
床に崩れ落ちて泣き伏してた。
遠縁の叔父たちも駆けつけ、
「Yさんなんて早く行ったんだ!!」
挨拶とお礼は私と妹が、
葬儀の手配は叔父がしてくれた。
その葬儀場のことで、まず一つ驚かされたことがあった。
65 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:01:42.72 ID:R0V9IB3aP
当初、葬儀は近くの小さな公民館を借りる予定だった。
叔父もそのつもりで町内会に話をしていてくれた。
しかし、町内の方から
「Yさんのお葬式ならここでは広さが足りない。隣の地区の公民館を借りる手配をしたからそちらを使って。」
と心遣いを頂いたらしい。
結果としてその判断は正しかった。
それはあとで書くことにする。
66 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:05:30.39 ID:R0V9IB3aP
亡くなったのが夜だったので、その日は仮通夜、翌日お通夜、そして告別式と言う順になった。
父の遺体は小さな我が家に運び込まれ、10ほど年上の従兄、1つ下の従弟、私たち姉妹で見守ることになった。
母は疲労のピーク、そして無理をしたため心臓にも負担がかかったため病院に一泊。
父の横でろうそくと線香を守りながら、従兄が昔話を始めた。
67 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:11:08.38 ID:R0V9IB3aP
「M、H、この叔父さんな、俺らがガキの頃は無茶苦茶怖かったんだぞ。俺は親父(父の兄)より叔父さんの方が怖かった。」
父は私たち姉妹にはかなり甘い父親だった。
従兄にはそれが衝撃だったという。
「どんな厳しい育て方をするのかと思ったら、激甘だもんな。M、お前ができるまで長かったしな。」
結婚後数年、流産と死産が続き、母は「子どもができないなら出ていけ」とある親戚に言われたことがあるという。
自分の娘、しかも待ちわびた子どもはやっぱり違ったんだろうな、と、父が好きなタバコをふかしながら従兄は話していた。
68 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:14:00.01 ID:R0V9IB3aP
真夜中になろうかという頃、叔父が家に来た。
「M、お前、喪主の挨拶を代わりにしてくれんか」
母のあまりの具合の悪さを見兼ねて、母と相談の上で私に、となったらしい。
無理、と思ったが、まさか断って妹にやらせるわけにもいかない。
黙って引き受けた。
多分それが私の役目なんだと思った。
69 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:22:39.29 ID:R0V9IB3aP
>>56 最期がわかってたから、病院も認めてくれたんかなと思ってます。
ネコさん会いたいですよね…。
70 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:33:02.79 ID:R0V9IB3aP
あっという間に朝が来た。
寝たんだか寝てないんだかわからないまま、葬儀場になった公民館まで。
お花も祭壇もお棺も、叔父と母方の叔母たちが手配してくれていた。
喪服も急遽近くの店で買った物を着せられた。
高校生の妹は制服。
母はお通夜と葬儀の時間帯だけ外出許可をもらい、病院から往復になった。
弔問客への挨拶は、母と、その横に私。
妹は訃報を聞いた同級生に囲まれ、同級生たちもどう慰めれば良いのかわからないまま話をしていた。
お通夜が始まり、あっという間に終わった。
あんなに真剣にお経と説法を聞いたのは初めてだった。
私は今もお経本を持っている。
71 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:37:02.33 ID:R0V9IB3aP
母は病院に戻り、私と妹は公民館で交代で寝ることになった。
「Mちゃん」と声をかけたのは、母のすぐ下の叔母。
「お通夜、すごい人の数だよ。広めの公民館にしてもらえて良かったよ。」
その公民館は、小学校の校庭のトラック三分の位置くらいの敷地の広さがあった。
そこが焼香の列で埋まったという。
町内の葬儀でこれだけの人が来るのは前代未聞だと、お世話になった酒屋の店主さんが言われてた。
72 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 01:38:07.01 ID:R0V9IB3aP
何か変にテンションが上がってるみたいです…。
寝た方がいいかな…。
明日ぼちぼち続きを書きます。
73 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 01:42:42.83 ID:1tAjeQYV0
ゆっくりでいいよ〜
お休みなさい
全部読んだよ。無理せずゆっくり書きや。
おやすみ。
おやすみ。
また明日。
76 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 01:57:53.78 ID:m1lA6zlA0
おやすみなさい。
当時の1さん大学生にしてはしっかりしててすごい
ゆっくり読ませて頂いてます 続きもゆっくりお待ちします
78 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 08:53:50.97 ID:R0V9IB3aP
おはようございます。
あんまり寝れてないですけど…。
お通夜の日のことまで書いたのかな。
勢だけで立てて書いたので、どこを着地点にすれば良いやら…
79 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 08:57:32.08 ID:R0V9IB3aP
>>73-77 ありがとうございます。
>>76 しっかりしてて、と言うか、結果的にそうなるしかなかったんかなと思います。
80 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:02:04.08 ID:R0V9IB3aP
お通夜が終わったあと、母は病院へとんぼ返り。
叔母の一人に付き添いを頼み、集まった残りの親族で夜を越した。
さすがに疲れてる妹に
「私と交代で寝よ。あんた先に寝なさい。」
と声をかけて寝かせ、私も柱にもたれてぐたっとしながら何とか起きてた。
周りは棺を囲んでお酒の酌み交わし。
日本酒が苦手だった私は遠慮して見てた。
馴染みの酒屋さんが父のためにいつも配達してくれてたお酒を、その日はみんなが飲んでた。
81 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:10:02.51 ID:R0V9IB3aP
Mちゃんも寝なさい、と促され、起きてきた妹も布団に戻され、
2時間くらいは寝たんだと思う。
朝が来て、ご住職がいらして、告別式。
母は何とかしゃんと見せてはいたものの、あとから考えればよく立っていられたなっていう体調だった。
母、私、妹の順に控え、隣県に住む遠縁のお寺さんも来られ、ご焼香してくださる方に順に頭を下げた。
誰が来られてどんな挨拶をされてたんだかは全く記憶にない。
ただ母が言うには、当時の父の上司が「働かせすぎたんだ…」と遺影前でうなだれていたと。
82 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:17:29.80 ID:R0V9IB3aP
司会は葬儀社の方にお任せしてたんで、私は一先ず考えを止め、進められるがままに聞いてた。
ただうるさくて長いだけのものだと思ってたお経を真剣に聞いた。
浄土真宗のあの歌みたいなお経、これは後々七日ごとのお参りで自然と覚えた。
暗唱となると無理だが、お経本を読むことは今も出来る。
読経が終わり、遺影や位牌を持って外に出た。
どれだけ人がいるんだと思った。
目測では不可能だった。
83 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:18:18.20 ID:R0V9IB3aP
あの、黙々と書いてますけど、適当に謎なところがあったら聞いてください。
84 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:26:14.80 ID:R0V9IB3aP
ずらりといる人たちの中で、大学の同級生と、先輩と、バイトしてた購買部の店長がいた。
式を通してこの瞬間だけ涙が出そうになった。
堪えて、深く頭を下げた。
司会の方のご挨拶のあと、
喪主である奥様Kさんに変わり、ご長女のMさんからご挨拶でございます、
と、マイクを渡された。
母に変わりご挨拶申し上げます、と頭を下げ、
たくさんの方にお越し頂いたこと、
妹も私もまだ学生であり、どうぞ今後もご指導いただきたいこと、
母も含め今後もどうか見守っていただきたいこと、
何とか話すことができた。
話し終わったあと、叔母の一人が声を上げて泣き始めた。
何でっ?と思ったが、返ってそれで冷静になれた。
マイクをお返しし、改めて深く頭を下げた。
とても冷えた、でも日差しの暖かい、よく晴れた日だった。
85 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:35:17.99 ID:R0V9IB3aP
斎場に行って返って来て、改めてお骨として父を迎え、もう一回公民館で初七日。
帰宅して、服を着替えて、ぺたんと座って、
父さんほんとにいないんだ…と、
なんかいろんなものが抜けた状態に、姉妹してなった。
母は病院に逆戻り、狭心症と診断されてたのでもうしばらくの入院となった。
ぽかんと穴が空くなんてもんじゃない、
家の中に巨大な通気口でもできたような、
そんなすかすかな感覚を2ヶ月くらい味わった。
86 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:38:44.33 ID:R0V9IB3aP
人ってこんなにあっけなく亡くなるもんなんだ、と
たった2ヶ月で逝ってしまうものなんだと、
したくない実感をした。
そして父の死は、徐々にいろんなところに影響して来た。
87 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 09:39:45.08 ID:R0V9IB3aP
ちょっと休憩します…目疲れてきた…
88 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 09:45:26.82 ID:TqNSVXk30
俺も父を中3の時に亡くしてるから
なんとなく気持ちは分かります
ゆっくりでいいんで頑張って下さいね
90 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 11:08:55.41 ID:k8YnefanO
>>29 胃がんで亡くなったばあちゃん思い出す。
辛いよね。
うちの親父も地震の前日に胃ガンで亡くなったなぁ
治療してるうちに徐々に衰弱して立てなくなってしまって、
病院に送る途中に「もう俺はだめだ。後は頼む」と言われた時が一番辛く悲しかった。
その時に覚悟が出来たからか亡くなった時はそれほど悲しくなかった。
92 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 15:14:16.46 ID:R0V9IB3aP
>>88-91 ありがとうございます。
そして上の方のレスできなかったみなさんもありがとうございます。
少し眠れました。この後仕事がらみで出かけるので帰りは夜です。
移動中にかけそうだったら書きますね。
93 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 17:25:26.78 ID:BVZagvq8O
親戚がいい人ばかりみたいで良かったね
親父さんが遺してくれた大切なものだよね
95 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 19:05:20.37 ID:R0V9IB3aP
>>93 ところがそうでもなかったのが後でわかってくるんです。
父の力はここまででかかったのか、と思えるほど、
特に父方の親戚はバラバラになって行っちゃいました。
それは早ければ今夜にでも。
96 :
名も無き被検体774号+:2013/01/21(月) 20:00:33.50 ID:J46NUfXE0
き、期待
中3の時にばーちゃん死んだのを思い出すな。
息を引き取った時は家で受験勉強してたわ。
知らせを聞いて、呆然として、もっと病院行けば良かったって後悔して。
棺に入ったばーちゃんを霊柩車まで移動させる時に初めて実感してボロ泣きしたわ。
人の死に目ってのは本当に辛いよなぁ。
98 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 23:24:16.54 ID:R0V9IB3aP
父の死の影響を順に書く。
まず父方。
それまで表面化していなかった、
叔父夫妻vs祖母
母vs伯母&義叔母
がじわじわと表に現れ出した。
それまで聞いたことのない、母の伯母と義叔母への怒りのセリフを聞いた。
「義姉さんとT子(義叔母)は絶対信じるな!」
私たちも何か違和感は感じ取り、自分から伯母たちに近寄ることはなくなった。
99 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 23:53:53.07 ID:R0V9IB3aP
叔父(父のすぐ下の弟、近所に住んでた)夫婦は中古ながら一応戸建に住んでいたが、
どういういきさつだか同居していた祖母を精神的に追い詰め家から出す暴挙に出た。
先に亡くなっていた父の長兄の家は過去に嫁姑問題があり(これも私たちには初耳)、
二番目である伯母宅は義伯父自身が体が悪いのと、物理的狭さ入りにくさで、
結局父の末妹(私から見て叔母、比較的まとも)夫婦の所に身を寄せる事になった。
叔母宅は山の中の工場。
義叔父が車で迎えに行った時、着の身着のまま、手荷物は風呂敷一枚の状態で座り込んでいて、
車で走る間ずっと
「わしはどこに連れていかれるんじゃ」
と涙を流し続けていたという。
祖母は100歳近いけど健在。
足を悪くしたためホームには入っているが、
一応家族や孫たちの記憶はある。
母と妹一家、私で見舞いに行った時、
ホームの祖母の部屋にあった、祖父(父が子どもの頃他界)の写真があり、
「父さんに似てるよね」と妹と言いながら見ていた。
100 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/21(月) 23:57:19.15 ID:R0V9IB3aP
盆正月といえば祖母のいる叔父の家に集合するのが習慣になっていた家が、
「父」一人いなくなるだけで、
本の数年で瓦解した。
祖母を引き取った義叔父はしみじみ、
「Yさんが睨みを効かせとってくれたから、抑えられてたんだ」と
母に話していたと言う。
101 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:06:39.31 ID:R0V9IB3aP
母方の話に移る。
伯父は父と同い年で大親友であり、仕事帰りに立ち寄っては酒を酌み交わしていた。
陽気とはいかないものの、甥姪の相手もよくしていた伯父は、
私の家には全く立ち寄らなくなった。
そして無口になって行った。
晩婚だった伯父は妻である義伯母にも話をしなくなっていった。
10年くらい後に母方の祖母が亡くなって葬儀のおり、
本来なら最後の喪主挨拶をするはずの伯父が忽然と消えた。
義叔父の一人が代役になった。
急速に孤独になり急速に老け込んだ伯父は、
7年ほど前に他界した。
102 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:10:16.10 ID:NRhEux2VP
母の妹たち、私の叔母たちはもともと結束が固く、
連れ合いをなくした母に何くれとなく世話を焼いた。
父方の愚痴も全部姉妹の語り草。
母以外は全員運転免許を持つ叔母たちは実にアクティブだった。
この叔母たちがいなかったら母はやばかっただろうと、本気で思っている。
103 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:15:52.21 ID:NRhEux2VP
父が亡くなって5年後だろうか。
叔母の一人が職場で倒れた。
脳溢血…だったかな。
2〜3日持ちこたえるも、こときれた。
知らせを聞いた母は、父の仏壇に
「お父さん、なんでそんなに早くあの子を連れてくの…」と号泣した。
可愛がってもらっていた私たちも呆然とした。
ただ、
ああ、こんな運命もあるんだ、
と、
天を仰ぐだけだった。
104 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:20:53.10 ID:NRhEux2VP
で…うち。
妹は何故かいきなり男づきあいがひどく(?)なった。
あれいつの間に彼氏変わってる?と姉は何度思ったことか。
まぁ姉と違い社交的な妹で友達も多く、のちにその中の一人と結婚した。
今は小学生の娘二人を持つママ。
娘たちを叱る姿がかつての母そっくりで笑ってしまう。
105 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:24:15.61 ID:NRhEux2VP
母。
心臓を悪くしたせいもあるが、急激に痩せた。
狭心症はまだ付き合っている。
父が亡くなったあと、家の食事が急にランクダウンした。
いくつもいくつもあるのが当たり前だった夕食のおかずがなくなった。
すべて父のために作っていたんだとあとでわかった。
106 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 00:30:33.63 ID:mQNQC12d0
あー食事あるある…
107 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:32:22.16 ID:NRhEux2VP
私。
告別式の挨拶が何故か周りにとても評判だったらしく、
(私はほとんど原稿通りに言っただけなんだけど)、
そしてそれは何故か私の耳より早く母の耳に入り、
まぁMちゃんの挨拶が立派で、
まぁMちゃんのお礼で涙が出てきて、
ありがたい話なんだが母からエンドレスで聞かされた。
あまりにも長く長くずっと聞かされるので、
聞き飽きた、などと吐いてしまったこともあった。
108 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 00:33:41.34 ID:NRhEux2VP
少しお休みの気配です…。
でももう続き書くことがあるんだろうか…。
109 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 00:36:17.32 ID:eMyuRo0K0
>>1さんはどうしてこの話を書こうと思ったん?
(´・ω・`)わたしは聞きたいから書いてくれて嬉しいんだけど
辛くない? だいじょぶ?
自分も父親を亡くしてるから、スレタイ見てつい読んでしまった。
親を亡くした時の気持ちは、まだ親を亡くしてない人にはわからないよな、と時々思う。
111 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 01:13:42.22 ID:bpeZ3GyW0
うちは亡くなったのが父親じゃなくて祖母だけど、共通する点が結構あるなぁ。
親戚の集まりがなくなったこととか、対立とか。
私の母&母妹VS母弟嫁の対立があったみたいだった。
当時小学生で、理由がいまだにわからん・・・。今もほとんど母弟夫婦には会ってない
親戚と希薄になってくのって、なんか悲しよね・・・。
112 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 02:22:38.77 ID:+swXNTfd0
あなたの所為ではないし、
父親云々でもないと思うよ。
113 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 05:55:07.97 ID:OzX014YsO
主さんは今、幸せなの?
114 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 07:16:35.43 ID:EQWdo2VD0
俺は肝硬変で父親を亡くしたよ
今でも棺の中の顔が脳裏に焼き付いてる
115 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 14:11:10.35 ID:NRhEux2VP
>>113 いろいろ紆余曲折ありましたが、幸せだと思いますよ。
母妹とはちょっと離れたとこに夫婦で暮らしてます。
母とは何かとぶつかることが増えてしまって、
その度に妹が間に入って、
迷惑かけました。
116 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/22(火) 19:31:53.03 ID:NRhEux2VP
>>109 うーん、父と同じ病気の方のお話を聞いたのと、
あと別件で母が入院中だからかな…。
なんか一気に思い出したんで、一気に書いてしまいました。
117 :
名も無き被検体774号+:2013/01/22(火) 20:52:01.29 ID:sj3M7InO0
彼氏はいるのか?
119 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/23(水) 02:30:59.16 ID:tgEXi/atP
>>117 夫がおりますwww
皆様
もし何かお聞きになりたいことがあればどうぞ〜
120 :
1※転載禁止 ◆XnqfceTVh. :2013/01/23(水) 02:33:13.63 ID:tgEXi/atP
母と大げんかしたあと、叔母の一人にこっそり仲裁を頼んで和解した時、
「あんたは私の自慢の娘なんだから!」
と抱きしめられおいおい泣かれたことを思い出しました…。
あーやばい涙が。・゚・(T_T)・゚・。
父が亡くなった時のこと思い出して泣きながら読ませて貰いました。
小脳梗塞→脳管梗塞で亡くなりました。
倒れてから三週間でした。
気付いたときにはもう、手遅れだったんです。
生きてるときはわからなかったけど、自分にとってはとても偉大な存在だったんだなと、亡くなってから気付きました。
孫の顔を見せられた事だけが唯一の親孝行でした。
お互いに母を大切にして生きましょう!
ありがとうございました。