命って、「電池」ではないか
2 :
名も無き被検体774号+:2012/08/27(月) 19:55:31.63 ID:krxeV5Ki0
>>2 「死」っていうのは、電池がなくなる事じゃないんだな。
何が言いたいかっていうと、「死」ってのは、電池をいれてた機械が壊れること。
電池は精神で、電池が無くなるってのは、輪廻の役目を終える事。
4 :
名も無き被検体774号+:2012/08/27(月) 20:04:51.67 ID:krxeV5Ki0
>>3 なるほど
「電池」という表現を使ってるってことは魂にも「死」の概念があって「有限」だって解釈でいいのか?
つまり、「充電」が出来る「不死」もいずれ出るということ…?
さらにいえば、精神は記憶や思考ができない。
だって目が見えない人が霊になってものが見えるようになるのはおかしいし、
池沼が死んでから何かを考えられるようになるのもおかしい。
植物人間が死んでから意識を持つのもおかしい。
>>6 うーん、エボルタ式精神か、、、そこまでは分からんがあるんじゃない?
輪廻は「罰」ってのは知ってる?つまり罰を犯せばいいってわけ。
>>7 つまり、霊は意識がない。霊って多分、電池の液漏れのような感じかも。
因みに幽体離脱ってのは鮮明な夢らしい。
10 :
名も無き被検体774号+:2012/08/27(月) 20:19:34.28 ID:krxeV5Ki0
>>7 難しいな…
「精神」自体が記憶や思考はできないっていうけど、下の3つの例は「入れ物」が壊れている状態じゃないか?
>>10 まあ機械でいえばカメラとか記憶回路とか。それが(電池)精神には無いって事かな。
精神が目がみえたら、そもそも失明しないだろう。
よくアニメで人格入れ替わりネタあるが、あれは多分、ありえない。
電池論で考えたら分かるはず。電池変えても動きは一緒だろ?
AはBとして、BはAとして違和感無く生きる。
13 :
名も無き被検体774号+:2012/08/27(月) 21:03:39.95 ID:OyiddAT40
電池交換や修理出来ないなら同じ使え無い物だな
14 :
名も無き被検体774号+:2012/08/27(月) 21:17:30.89 ID:v3nNDpi+0
まぁコレはSFやなんかで散々議論されてきた事だけれど、せっかく蓄えた経験や知識の記憶情報を破棄して
次の世代に残すのはDNAとしての遺伝情報だけ、ってのはどうなの?って奴ね。
最近になって「心臓が記憶の一部を担っている可能性がある」って説が出てきたよね。心臓移植を受けた人が
ドナー情報を一切教えられていないのに、ドナーの嗜好や癖を受け継いでしまう症例が、判明しているだけでも
いくつかあると。
確かに命そのものは電池のような物かもしれない。だけど本来絶命するはずだった人が、臓器移植で延命されて
尚且つ記憶の一部までも受け継いでしまったとしたら、電池の再充電と共に記憶情報も注入された事になるよね。
言い換えれば「命」と「魂」は共にあり、精神自体が物理的に記憶される可能性を示唆しているのではないかな?
オカルトじみた話しで、例からして頭から信じられるものではないし、医学的根拠も全くないから、コレ以上の議論に
はならないけどね。
じゃあ使い捨ててどんだけでも動くな
>>14 それは電池の充電じゃなくて、劣化した機械を修復しているだけだと
電池が切れるまでって子供闘病物のドラマがあったな
かなり可哀そうな話が多かった気がする