【自分】20代♀人生色々♪とりま生きてるwww★3【語り】

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24名も無き被検体774号+
そう言ってくれると嬉しい。涙腺緩んだよ。ありがとう!

学校でも色々あったが、友達もいて楽しかった。
本当に私は友達がいなかったら生きてなかったと思う。感謝してる。父との生活も楽しかった。ちゃんとしたご飯にキレイな家。
母と暮らしてた時は、病気の症状がひどく、家事もまともにできなかった為、私がお金の計算から家事まで全てやっていたから、天国だった。
当時、父の彼女?らしき人が毎日家に来て私の面倒をよく見てくれた。
すごくいい人で、まき姉(仮名)と呼んで、一緒に買い物行ったり、まき姉の家に一人で行ったりして、かなり懐いてた。

病気でちゃんとした躾もされてなかった私は、いろんなことを教えてもらった。
本当に初歩的なこと。ごはんの食べ方から、お金の使い方、もうあらゆることを教えてもらった。

小学生でも知ってるようなことも、本当になにも知らなかった。
例えば、お風呂からあがったら、浴室の外が濡れないように中で拭いてから出ると思うんだけど、そんなことさえできてなかった。
父は「なんでそんな当たり前のことを知らないんだ!」って怒ったけど、知らないもんは知らない。

私の性格のせいもあるだろうけど、なんか腹が立った。
ずっと放っておいたくせに、って思いがあったんだ。その頃は。

私がアホなだけかもしれないけど、自分の子供ができたら、躾とか教育はちゃんとしようと思った。
大人になったら全て自分の責任だし

父とまき姉との生活も、だんだん父と私の衝突によって壊れ始める。
反抗期を迎えた私。今までのストレスが一気に爆発した。
何を言われても、母と私を放っておいたあんたには言われたくない!!と、聞かなかった。

今思えば、ずっと他に女がいたのも(まき姉ではない)、知らない土地で会社おこしたばっかの時に、私が産まれてプレッシャーも感じながら、母も精神病だったから、心の拠り所を他に求めたと言えば気持ちはわかる。
父からすれば放って置いたつもりはなく、裕福な暮らしをさせてあげることが愛情表現のようなところもあったから、余計に仕事も頑張ったんだと思う。
ただ、母にはそれがわからなかっただろうし、信じてついて来たのに、知り合いもいなくて精神的にも不安定な時に女までいて、更におかしくなっていったのもわかる。
ただ反抗期をむかえた頃には、父も母も死ぬ程嫌いだった。顔を見るだけで発狂するレベル。

んで、例のごとくグレた。中3だった。
一生懸命してた勉強もやめ、学校に行かず遊んだ。
仲の良い仲間たちとみんなで遊んで過ごす毎日は本当に楽しかった。

高校も入学はしたものの、行ってなかったら父ブチ切れ
退学届をだされてしまった。
(この頃はもう父とは暮らしてなく、父の所有してるアパートに住んでいた。反抗期のくせにとんでもない甘ったれw 父はまき姉と別れ、昔からいたらしい女の人と住んでる。今も続行中ww)
焦る私。将来は美容関係の仕事につきたかったから、高校は出ておかないとまずかった。
結果、通信制の高校に行くことになった。

その後は、バイトしながら高校のレポートだして、遊んでっていう毎日。
専門学校に入学する頃には、父との関係も修復。

母とは音信不通だった。もう関わりたくなかった。縁をきりたい、母が死んでから後悔するのは目に見えているけどそれでもいい、なんてバカな覚悟をしていた。
たまに母方の従姉妹に様子を聞くくらいだった。(母は私と離れてすぐ精神病棟に入院し、その後、実家に帰っていた)

この時点で母と離れてから7年。そんな気持ちも少しずつ薄れ、専門を卒業する頃には、一度会いに行ってみようと思った。