してくれ
抜ける話ならあったんだがな 残念だ
3 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/23(金) 19:51:21.93 ID:V03X0FUm0
4 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/23(金) 19:54:28.84 ID:nha3uSpZ0 BE:1804339384-2BP(0)
どっちでもええんかいwww
5 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/24(土) 11:06:46.69 ID:3vTFM7Nn0
>>4 どっちでもいいぜwww
何か話を聞ければいいなというだけだからなw
6 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/24(土) 16:48:56.47 ID:KLpxR1Bw0
お前の母ちゃんみてこいよ
多分ないてるから話きいてやれ
7 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/24(土) 17:01:59.34 ID:xTCPhezNO
タマネギを用意します。
目が悪いので顔を近づけて手元をしっかり確認します。
切り刻みます。
イチローと自分の違いを思いつくだけ紙に書き出していけば泣けると思うよ
ちょうどまとめを読んで書きたくなったから長いけど書かせてくれ。
一昨年、姉が白血病になった。
その冬、病状が悪化していた姉が私と2人で海に行きたいと言った。彼女の体調を考えると不可能に等しいようなことだったけれど2人で必死に医者に頼みこんで向かった。
その海は、昔2人で家出した時に行った海だった。2人でその時みたいに砂浜に座って、色々な思い出話しをした。話してるうちに姉が、「これが最後の思い出になっちゃうのかな」なんて言い出して、「そんな事言うな」怒ったけど悲しくて2人で泣いた。
泣きながら、「家出した時はここで泣いてたら迎えにきた母さんが平手打ちした後抱き締めてくれて、3人でわんわん泣いたね」なんて話してもっと泣いた。
そしたら後ろからも泣き声がして振り返ったら母さんがいたんだ。不安だからやっぱり様子を見にきたらしい。「2人きりにさせるつもりだったけどごめんね」と言った後平手打ちじゃなくて、優しく自分達の頭を撫でたあと抱き締めてくれた。
あの時と全く一緒だった。あの時と同じように、もう離れたくないと思いながら、泣いた。
その後間もなく姉は亡くなった。この間7周忌にそれ以来初めて母とその海を訪れてた。あんなに離れたくないと願った姉はもういない。
10 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/27(火) 00:23:15.00 ID:jLoQ1Hl/0
なんか、書きたいので書きます。
うちに もも っていう犬がいてさ、11年生きてたんだ。
死ぬまで残り一週間。元気がなくなってた犬を見て最初は死ぬなんて
思わなかった。世話とかめんどくて、おしっこしまくってたし、
なにより年寄りだったから、イラついていじめてしまったこともあった。
学校で友達と犬の話しをしてた時に「できれば早めにしなないかなあ」と抜かしてしまった。
自分では冗談のつもりで言い放ったけど、なんだか後ろめたくなった。
けど、笑って会話を流していた。自分や家族と付き添って11年もする愛犬なのに。
あの言葉を撤回したい。言ってから4日後愛犬は死んだ。実家に姉が帰ってきた翌日の朝10時半頃に。
朝の8時くらい目を覚ました自分は、一生懸命奮い立とうとする犬をみて、
もしかして・・とは思ったが、冗談でも親には「死ぬかもな」とは言わなかった。
ふっと4日前の醜い自分と憎い言葉が脳裏を横切った。死なないかなあなんて
簡単に言うもんじゃなかったと本当に後悔した。犬を抱っこしてみると、
体に重みなんてなかった。紙のように軽い愛犬をそっと座布団の上にのせた。
ごめんと謝っても犬には通じない。でも必死に心の中で謝った。
その後まもなく2,3時間後には息を引き取っていた。愛犬は鳴き声を大きく
あげて家族にさよならを言ってくれた。
自分のあの一言がすごく引っかかっている。死ねという言葉の重みが
自分を押しつぶすようにのしかかってくるのを感じながら。
愛犬には天国で安らかに休んでほしい。 もう二度と もも とは
呼べないけれど、あなたがいたことは絶対に忘れないよ。
出会えて本当によかったよ。そして色んなことを教えてくれてありがとう。
なんか思い出したら泣いてしまった。乱文すまん。
11 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/27(火) 01:19:19.34 ID:zu/+BTp0O
>>7 マジで面白くない。涙で玉ねぎの発想して、それを書き込む事が
出来る勇気ってスゴいよ!
京都市伏見区桂川河川敷で2月1日、無職片桐康晴被告が、
認知症の母親を殺害して無理心中を図ったとみられる事件の初公判が19日に行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、母と相談の上で殺害したというもの。
片桐被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され一命を取り留めたとの事。
片桐被告は両親と3人暮らしだったが、95年に父が死亡。その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は05年4月ごろから昼夜が逆転。徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
片桐被告は休職してデイケアを利用したが介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、12月に失業保険の給付がストップ。カードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、06年1月31日に心中を決意した。
「最後の親孝行に」
片桐被告はこの日、車椅子の母を連れて京都市内を観光し、2月1日早朝、同市伏見区桂川河川敷の遊歩道で
「もう生きられへん。此処で終わりやで。」などと言うと、母は
「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と答えた。片桐被告が
「すまんな」と謝ると、母は
「こっちに来い」と呼び、片桐被告が母の額にくっつけると、母は
「康晴はわしの子や。わしがやったる」と言い、強く抱きしめた。
この言葉を聞いて、片桐被告は殺害を決意。母の首を絞めて殺し、
自分も包丁で首を切って自殺を図った。
冒頭陳述の間、片桐被告は背筋を伸ばして上を向いていた。肩を震わせ、
眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官が片桐被告が献身的な介護の末に失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、 「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
13 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/27(火) 01:50:26.33 ID:wvB4YU5aO
日付と時間のマジックか…
16 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 11:10:34.28 ID:jSSAFev60
岡田外務大臣キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku2ch/1256630318/1
早く記念カキコしないと埋まっちゃうwww
17 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 11:49:11.59 ID:kxwnW9oGO
18 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 16:17:03.55 ID:t8hF7xLqO
2年前に別れた彼女と駅の改札口でばったり会った。
彼女は咄嗟に背中を向けて少し俯き加減で振り返り「じゃあね、元気で」と一言。
「綺麗になったな、じゃ」
今も定期入れの中に入っている彼女の写真を見てたら後悔して泣けた。
19 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 19:09:04.41 ID:tgdEh490O
この前昔からの友人の娘の結婚式に出席した
私と友人は高校からの友達で、かれこれ30年以上の付き合いで、その娘の事も知っている。
その子の結婚式という事で電話が来て出席することにした。
しかしその子、本当は友人の娘ではなく、友人が20歳の時に生まれた妹だ。
なぜ妹を娘としていたのかというと、友人が21歳の時に両親が事故で他界、家族は兄妹二人となり、
親のいない家族として育てるよりも、片親ではあるが父親のいる家族として育てたほうが妹のためにもなるのではと、
彼なりに判断したからである。
当時そのことで友人から相談された時は私はすごく反対した。
確かに妹のことを考えればそれがよいのかもしれないが、お前自身はどうなるのか?
21才やそこらで子供一人、しかも片親として育てる事は幾らなんでも無理がありすぎる。
母親のことを尋ねられたらどう答えるのか?そもそも戸籍を見られた際気がつく。
祖父の元で育ててもらったほうが良いのではないか?
それに友人自身の将来の結婚などのこともどうするのか?
それらの事を友人に尋ねると、友人は父親母親方の祖父はすでに病気で他界、親戚に預けるのも嫌、
それ以前に自身、両親の他界しつらい時妹の笑顔に救われた、この子が無事育ってくれるのならば
自分の幸せは二の次でも構わない。
そういわれたら私自身何も言い返せず、ただ
「つらい道なのかもしれないが、頑張れ」
としか言えなかった。
それから友人は一家事と仕事、妹の育児とで一生懸命だった。
私も何か手伝えることはないか?と時折聞いてはみたものの、酒に付き合い話を聞くぐらいしか出来ることは何もなかった。
私の知る限りその子が友人が父親ではなく兄という事を知っている様子はなく
又友人からそのような話を聞いた事もなかったので、うまくいっているのであろうと思っていた。
式も順調に新郎の会社の方、友人のスピーチなどすべてが順調に進んでいた。
そして新婦が友人に手紙を読み始めた。良くある内容の父への手紙である。
「お父さん今まで本当にありがとう」
そう言って娘さんは泣いていた。泣きじゃくっていた。
しかしそこで事態は変わった。娘が一向に続きを読まないのである。
そして首を横に振りながら何か訴えてる。何が起こったのかわからず周りはざわつきだした。
20 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 19:10:33.80 ID:tgdEh490O
次の瞬間彼女の口からお兄ちゃんという言葉が出てきた。
私は口から心臓が飛び出るかと思った。きっと友人もそうに違いない、なにせ顔色が一瞬にして変わっていた。
彼女はすべて知っていたようである。
何でも高校生の時、書斎を整理している際に偶然友人の日記を見つけ読んだようで
その時自分が娘ではなく妹である事を知ったようである。
彼女は言葉にならないぐらい、泣きながら友人に感謝の言葉を言っていた。
そしてそれと同時に謝罪もしていた。自分のせいで兄の人生を狂わせてしまった。
本当にごめんなさいと何度も謝っていた。
友人は「それは違う。俺の人生はつまらない物じゃない。お前がこんなに大きく育ってくれた。それだけで俺には十分だ」
そういっていた。俺も自分のことではないのにもかかわらず涙が流れていた。
そうして周りから拍手が送られ何事もなかったかのように式は進んでいき、結婚式は終わった。
私は友人とその後居酒屋へ行き酒を飲みながら話をした。
話をしながら友人は妹のことを思い出しながら涙を流していた。
私はその時友人におつかれさまと言ってやった。
友人は笑いながら、いえいえと言い泣いてた。
そんなこんなな話。友人が今一番楽しみにしているのは孫が生まれることらしい。
22 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 20:55:58.30 ID:Mcd6I5tDO
ちょっと無理あるけどまぁ感動した。
23 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 21:08:04.89 ID:6k0BkaFyO
無理がありすぎてシラケた
24 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:2009/10/29(木) 21:22:05.13 ID:msBuJ8yc0
幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
J('ー`)し
( )\('∀`)
|| (_ _)ヾ
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学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな
仕事で生計を立てていた。
┌─────────┐
│ 個 人. 商 店 │
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│ J('ー`)し |
│ ( ) ┌─|
│ || │ i|
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それでも当時住んでいた土地は、まだ人情が残っていたので
何とか母子二人で質素に暮らしていけた。
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│
│
│ J('ー`)し_____________
/ ̄ ̄ ( ) ('∀`)
/ || (_ _)ヾ
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を
持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
///////ww w ww
//////w ww J('ー`)し
/////w w ww. ('∀`) □ノ( )
////w w w ( ヘヘ ||
///w ww ww w
給料をもらった次の日曜日にはクリームパンとコーラを
買ってくれた
J('ー`)し ワーイ コーラ ダ
( )ヽ□ ヽ('∀`)ノ クリームパン ダ
|| (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた
J('∀`)し
(ヽロロ ヽ('∀`)/
|| (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
俺は生れて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつも
より少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。
J('∀`)し
t─┐ノ( ノ) ヾ('∀`)ノロロ
│■| | . (_ _)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
野球場に着き、チケットを出す財布がマジックテープ式だった
J('∀`)し よし入るぞー
バリバリC□l丶l丶
/ ( ) やめて!
(ノ ̄と、 i
しーJ
--
29 :
ローカルルール変更議論中@VIP+:
〉〉25
他で見たから駄目www