日露戦争についてつらつらと語っていく

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44以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:01:12.93 ID:kWNbyy6B0
日本海海戦は勝つべくして勝った感じ
45以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:02:27.27 ID:sGHoY4HB0
>>41
>漁船軍の中に日本の潜水艦が混じっていた

潜水艦じゃなく水雷艇な。しかも世界にばらまいたスパイどもが、
報奨金欲しさにみんながみんな同じデマをロジェストヴェンスキーに送ったのを信じてた。
46以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:03:07.72 ID:/SQJInaI0
>>41>>42
どもども
47以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:04:02.67 ID:4nchzY9I0
        ,,llll,,            ,,,,,,,,,,,,,,       llll                          llll            ,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,           ,,,,,      llll lll
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48以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:04:12.74 ID:ma4ql0JY0
>>40 >>45
そうなのか、知らんかった。
指摘レスはどんどんしてくれ。為になる。

さてスエズ運河というものがある。これを通るとアフリカを回り込むことなくインド洋方面へ出られるため、非常に有用である。だが大型戦艦は通れないため、艦隊を二手に分け、スエズ運河経由とアフリカ希望岬経由で後に合流するということにした。
希望岬方面のロジェの本隊はシャアの演説とアッシマーで有名なダカールに寄港する。またしてもドッガー・バング事件の影響で石炭購入に苦労する。
またロシア海軍の立てた計画は無茶なもので、石炭庫に満載して進める距離は1500海里。次の寄港地であるマダガスカルまでは2500海里ほど。無理ゲーである。
この解決策としてロジェは石炭庫意外にもとにかく通路に石炭を満載するという方法を取った。だが人力の石炭運び込みには時間と労力がかかり、さらに当時のダカールは猛暑。
クソ暑い中での重労働が重なり、発狂者が出る程。さらにさらに、艦内は石炭の粉塵まみれになって呼吸すらできない状態に陥る。

それでも難所の希望岬を一隻も失わずに突破してマダカスカルに到達、合流。恐らくここがロジェの一番の大きな功績と思われる。戦闘じゃないのが悲しいね。
が、マダガスカルに寄港したとき、旅順艦隊が壊滅した報告が届く。

ロジェ「行く意味ねーじゃん。おうち帰る!」

ロジェは本国に帰還を具申。だが本国は斜め上の発想。

ロシア皇帝「じゃあ増援送るよ。がんがれ」

この増援というのが、もともとバルチック艦隊に組み込まれる予定だったが航海速度についていけないから外された艦だった。これを待つ時間+これに速度を合わせるため、日本到着は大幅に遅れることになる。
49以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:08:00.24 ID:9yX3AH8J0
坂の上の雲ってどこが違うの?
児玉は実際に指揮を取って代わったわけではないとか聞いたが
50以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:09:25.01 ID:/SQJInaI0
質問ばっかで悪いんだけどなんで世界一周旅行なんてやったの?軍隊の行進みたいなもん?
51以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:10:15.13 ID:ma4ql0JY0
さて満州。

南では旅順が攻略され、乃木の第三軍が北上して満州の北戦線へ合流予定。北戦線の大山部隊はクロパトキンのロシア軍と対峙しながら合流を待っていた。
一方ロシアもどんどん戦力を増強。特に後にフィンランドの英雄となるカール中佐が騎兵部隊を率いて着任し、騎兵戦力が増強されていた。
日本軍側も偶然なのか秋山少将(海軍の秋山と兄弟)発案で騎兵部隊による後方かく乱作戦が立案され、採用されていた。この時醤油エキス(水で戻すと醤油になる)を持っていき、食事に大いに役立ったと言われている。

カールの騎兵部隊はロシアコサックであるが、これは移民のようなもので家財道具を抱えて移動するので移動がとんでもなく遅かった。徒歩より遅いと言われるレベル。日本軍の鉄道爆破作戦を実行するも、道に迷って帰ってきてしまう。
これを察知した日本軍は騎兵の大部隊が後方で活動していることを知り、警戒を強める。もう一度騎兵による後方攻撃が実行されたが、待ち構えていた日本軍に撃退される。

この時点で時期は冬。日本軍は氷が溶けるまでロシアの大規模構成はないと冬営の準備に入る(フラグ)。
騎兵攻撃は失敗したが、左翼が比較的手薄だと見破ったクロパトキンは左翼に大規模構成をかける。
この左翼を守っていたのが大山配下の一つ、第八師団。この師団長立見中将というのがまたもっすごい人物で、幕末では旧幕府軍として活躍、西南戦争では抜刀隊を率いて錦絵になっている。
さらには部下はあの八甲田山行軍をやっていたりもする、冬の戦いのプロである。この師団が活躍することになる。

またこの時点で旅順から乃木の第三軍が到着、合流。だが大山以下司令部は左翼の攻勢を小競り合いと見ており、援軍を回さなかった。
ちなみに乃木の片腕の参謀長はなんと旅順からの列車から転落、重症で解任されている。

援軍が来ないため、結局は第八師団のみで陣地に攻撃を掛け、凄まじい被害を出しつつ奪還。ロシア兵は撤退。ロシア側の損害は、戦死1201人、負傷3922人、捕虜102人だった。
さてロシア側の司令官クロパトキンは大きな戦果を挙げられず、本国で解任せよとの世論が高まっていた。これにたまらず、クロパトキンは再び大規模攻勢を計画する。
が、乃木の第三軍合流の報告を聞き、躊躇する。日本軍は各国の大使館を通じて乃木の第三軍を10万と宣伝しており(実際は3万程度)。かつ、日本軍騎兵隊の後方かく乱も鉄道爆破という成果を上げ、これも200人の騎兵隊を数千とクロパトキンは読み違えている。
結局この後クロパトキンは攻勢には出るのだが、日本軍に第三軍編成組み込みを始め準備の時間を与えてしまい、この後の決戦に影響を及ぼすことになる。
52以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:11:54.76 ID:kWNbyy6B0
これが情報戦か
53以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:12:02.96 ID:sGHoY4HB0
>>50
バルチック艦隊と呼ばれるロシア最強の艦隊が、日露戦争開始当時はヨーロッパ側に配備されていた。
ユーラシア大陸の反対側にいくのに、海路をたどれば世界一周になる。
ただもっと近道はあったが、>>1が書き連ねているように諸般の事情で近道不可になってた。
54以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:12:28.86 ID:tgYayEKu0
>>50
>>48にある通り、大型の艦艇はスエズ運河を通過できなかった
後、当時は日英同盟があったのでイギリスの同盟国や中立国での艦隊の整備、補給が満足にできなかった
なので何度も足止めを食らいながら遠回りしてアフリカを迂回せざるを得なかった
55以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:13:29.35 ID:2BkJ/5lL0
どっちでもいいが

×T字(ティーじ)

○丁字(ていじ)
56以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:14:32.86 ID:MmKez8AmP BE:6352949489-2BP(500)

愛は死にますか 心は死にますか
57以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:14:50.84 ID:tgYayEKu0
>>55
まあ今でもT字路は正式には丁字路だしな
58以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:16:12.75 ID:ma4ql0JY0
>>50
モスクワの位置わかるよね。あそこからだと北から回ってこれば日本まで早い気がするけど、実際は海が凍ってて無理なんだよ。
ぐるーっと回るのが最短ルートというかこれしかない

奉天会戦

ついに始まった陸軍決戦。戦力比はロシアが1.5倍。日本軍は左翼か右翼を突破し、後方に回り込んで包囲する作戦を取る。これはロシア軍が陣地防衛は得意だが運動戦が苦手だと判断したため。
日本軍は弾薬が足らず、大山元帥の発した命令書は「弾が足りないから無駄撃ちするな。でもチャンスは逃すな」というもの。無茶言うなよ。
戦闘は日本軍右翼、ロシア軍左翼から始まった。正面からぶつかるも旅順から運んできたビグザムが配備されたこともあり、日本軍は押しまくる。

これを受けて左翼の旅順からやってきた乃木第三軍は、後方に回り込むこんで包囲を完成させることを期待された。
これに対するロシア側の右翼はカール中佐の騎兵隊が警戒にあたっていた。これが第三軍を発見し、司令部のクロパトキンに報告するも、伝言ゲーム失敗で万単位の部隊を小兵力と認識してしまう。対応が遅れる。
結局ロシア軍は左翼から兵力を回す子になるのだが、その左翼は日本軍右翼と交戦中。戦闘中の部隊が引き抜かれ、そちらも危なくなってしまう。
乃木軍は順調に前進を続けるも、真冬での飲まず食わずに近い強行軍。戦意は低下していた。これは包囲作戦というのは戦線が大きく伸びるので、一歩間違うと自分たちが各個撃破、もしくは逆に包囲される可能性も高いため、強行軍になりがちなため。

ロシア軍は混乱してばかりだが、なんとか立ち直り右翼、つまり日本軍左翼に兵力を集中させる作戦に出た。乃木の部隊とぶつかり、撃退はされるも乃木の足を止めること成功する。日本軍の包囲作戦は失敗することになる。
はずが、相変わらず後方で破壊工作を続けていた日本軍騎兵部隊、これがまた成果を上げ、警戒したクロパトキンは戦線収縮を決定。五部以上の戦いをしていたロシア部隊長たちはマジギレ暴動寸前だったと言われる。
59以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:19:05.01 ID:sGHoY4HB0
>>58
ビグザムっていきなり書いたらさすがに分からんぞw
加農砲か二十八粍砲だろ?
60以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:20:07.87 ID:ma4ql0JY0
>>56
使い方はともかく曲は名曲だよね。映画も日本映画史に残るレベルの名作だった

戦線の収縮によりまた左翼の乃木が前進可能になったが、ロシア軍の抵抗は激しい。
ここで司令部の児玉参謀長が「遅い! 猛進せよ!」との電話を乃木へ飛ばし、ヤケになった乃木は最前線まで第三軍の司令部を前進させて死にかけている。

ロシア軍は戦線を収縮、奉天へ撤退していくのだが、多くの日本部隊は被害が大きく追撃はできない。結局動いているのは乃木軍だけとなり、司令部も乃木の動きにすべてを賭けることになる。
そんな中砂嵐が発生し、この隙に日本軍右翼も一部が前進。ロシア軍左翼と奉天本隊を分断することに成功する。
これを機と見て日本軍は奉天への総攻撃を開始。
が、ロシア側も戦力集結のために撤退したいただけで、奉天の部隊が逆襲に出る。乃木第三軍の後方部隊が標的にされ、日本史初となる旅団規模での壊滅レベルの被害を被る。戦死者は5000人。
だがここでロシア軍、また伝言ゲームを失敗する。ロシア軍左翼は既に分断されていたが、まだ健在のはずの右翼まで分断されたと誤認。クロパトキンは完全包囲される前に奉天からの総撤退を決定。
日本軍右翼の第四軍はついに奉天へ突入。だがロシア軍は撤退したあとだった。
日本軍は追撃する力は残っておらず、ここで奉天会戦は終了。

日本軍 総兵力249800人 死者7028人

ロシア軍 総兵力367200人 死者60093人 捕虜21792人 行方不明7538人

日本軍は士官の損害が激しく、もはや戦闘を行う力は残っていなかった。これ以上の戦闘は不可能と判断、大山は講和を結ばせるために児玉を帰国させる。
61以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:21:53.79 ID:tgYayEKu0
※後の陸軍記念日である(奉天に入場した3/10)
62以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:23:51.84 ID:ma4ql0JY0
>>59
すまんなwww二十八サンチ砲だ。

陸軍が決戦をしている時期の海軍

バルチック艦隊は石炭の節約のため、潮の流れに任せて進んでいた。それ漂流やん。

バルチック艦隊接近に対して、目下の問題となったのはどの方面から来るか。対馬方面から日本通ってウラジオストクへと向かうルートと、太平洋側を回り込んで津軽海峡を通るルートか。
バルチック艦隊は沖縄付近で漁民に発見されているのだが、どのルートかまではわからない。可能性の高い対馬海峡で待ち構えるが、なーかなか来ないために「もしかして北ルート?」と東郷は迷い出す。

会議ではどちらなのか幕僚の意見は割れに割れ、結局は島村速雄少将の「明日午後まで待ってみて、来なければ北進」という案が採用された。
この翌日、バルチック艦隊が上海に寄港したという情報が入り、対馬ルートが確定。
ちなみに上海の貿易会社で働いていた日本人リーマンからの情報だとか。

最初に遭遇したのは第四駆逐艦隊。バルチック艦隊は弾の温存で射撃をしてこなかったが、第四駆逐艦隊はそれをいいことに機雷を巻いて行動を妨害した。これを避けるためにバルチック艦隊は不自然な隊列となってしまう。
東郷以下連合艦隊が到着。東郷は「変な隊列」と言ったとか。

「敵艦隊見ユトノ警報二接シ連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス、本日天気晴朗ニシテ波高シ」
63以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:24:50.97 ID:tgYayEKu0
東郷は後に、「敵はダンゴになって進んできた」と言ったとか
64以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:25:46.26 ID:sGHoY4HB0
>>62
しまった28粍だと2.8センチ砲かw砲じゃなくて銃だなw
65以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:29:10.30 ID:ma4ql0JY0
波が高かったために予定されていた魚雷攻撃は中止、いきなり艦隊戦に入る。

「皇国ノ興廃ハ之ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ」

東郷はこの信号を上げ、艦隊戦に入る。
お互いに向き合って前進、そのまま行けばすれ違う形となる。が東郷はすれ違う直前のところ90度で転回を指示。バルチック艦隊の正面を横切ることになる。
転回中は当然砲撃されるが、東郷は砲撃命令を出さない。旗艦の三笠が被弾し、ようやく砲撃を開始。

「ロシアは消毒だーーーーーー」

石炭を満載していたバルチック艦隊は多くが炎上した。
この時日本艦隊にも少々被害が出ていたが、バルチック艦隊の使用した砲弾は貫通を目的とした炸裂しない鉄甲弾であり、見た目に相手への被害がわかりづらいものだった。
バルチック艦隊はなんとか日本艦隊を振り切ろうと北進を続けるが、速度で勝日本艦隊から逃れられない。お互い並行になって進む形となり、砲撃戦は続いた。

砲撃戦の中、バルチック艦隊旗艦スニャージ・スワロフの司令部が被弾、中のロジェが負傷。
スワロフを始め被弾したロシア艦隊は隊列を離脱しつつあり、これを追おうと日本の第二戦隊が独断で前に出た。被害は大きかったが相手に与える打撃も大きくなり、戦艦オスラビアを撃沈。世界初の戦艦撃沈となった。
日本艦隊は途中見失いながらもバルチック艦隊を追い続け、日暮れまで撃ちまくってようやく艦隊戦が終了。
漂流してたスワロフはロシア側の駆逐艦ブルヌイに発見され、昏倒していたロジェは移されている。

この日の損害はロシア側戦艦一隻に駆逐艦5隻撃沈、ほか損害多数。対して日本は水雷艇三隻沈没。ちなみに負傷者の中に後の連合艦隊司令官となる山本五十六がいたりする。

翌日は晴天。バルチック艦隊主力は補足され、またしても砲撃戦となる。だがこれは長く続かず、降伏。事実上の旗艦だったニコライ一世からネガボトフは捕虜となった。
そしてこの日の午後、単機で航行していたブルヌイから更にベドウイに移っていた総司令官ロジェントフスキーも補足され、降伏し捕虜となる。
ウラジオストクにたどり着けたバルチック艦隊は駆逐艦一隻、それ以外はすべて撃沈か捕獲された。
66以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:30:49.63 ID:T7mFH8/D0
現代戦しか知らないけど、この時代の戦い方はロマンがあるな
まだ英雄がいる時代だよ
67以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:33:09.29 ID:ma4ql0JY0
奉天開戦のち、戦える部隊をまとめて更に樺太を攻略するという計画が持ち上がった。既に講和を考えてはいたが、有利な条件を飲ませられると伊藤博文、桂小太郎以下日本幕僚組も賛成した。だが陸軍の事実上トップの山形有朋が反対。
これは下士官の不足という問題があったためだった。下士官は下っ端の一つ上の地位の人たちで、明治維新から30年ちょいしかたってないこの時代、正式に士官学校で勉強した軍人は少ない。
その辺のおっさんを徴兵してこれば一般兵は揃うが、それを指揮する下士官は代えが効かなかった。
しかし結局日本軍はボロボロの状態で樺太侵攻作戦を強行。ロシア軍はごく僅かな兵力配置しておらず、わりとあっさり樺太全域を占領。これで日露戦争の軍隊同士の戦いは最後となる。

さて、ロシアは戦ったのは全軍の内のせいぜい10分の一、敗北したとはいえまだまだ兵力が残っている状態で一旦撤退しただけ。その上自国の領土には一歩も踏み入れさせていない。
日本は何が何でも終戦、ロシアはまぁ講和も考えておくかな、程度の温度差。
一応ロシアでは血の日曜日事件が起きてはいるが、革命はまだまだ。「ロシアは強かったが革命が起きたため戦争継続できなくなった」は大いなる間違い。
68以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:34:15.71 ID:7QoFj3MPO
平安しか興味ない歴オタだが興味深い
こうやって簡単にまとめてくれると読みやすくて興味持つともっと知りたくなる
大山元帥って大河八重の桜に出てる?
69以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:35:14.42 ID:ma4ql0JY0
日本はアメリカに仲裁してもらい、またドイツにもロシアに掛け合ってもらい、アメリカに講和を結ぶために話し合いを始める。日本からは小村寿太郎がが派遣された。
日本は日本なりにかなり譲渡した案を条件として挙げていた。満州と朝鮮は戦争以前の通りに日本の優越を認め、賠償金をそれなりに出す。それ以上は領土も何も求めない。
対するロシア。ニコライ二世からしてみれば、まだ始まったばかりの戦争でちょっと押されただけ。むしろ有利なのはロシアで、講和に応じてやるんだ感謝しろという考え。派遣されてきたのは当時のロシアでほぼ唯一海外に名の知られていた政治家であるセルゲイ・ウィッテ。
ロシアはの条件は、領土も金も何も出さない。満州と韓国は返す。

両者の条件でぶつかってしまったのが、賠償金を払うのかどうか。日本は戦費がバヤいので絶対に欲しい、ロシアは負けたわけじゃないんだから払わねーよ、という立場。
現場の小村寿太郎や在アメリカ大使の金子堅太郎、そしてロシア側のウィッテでさえも、持ってきた条件ではなく、少々の賠償金で決着すべきと考えていた。
だがそれでまとめることができないのは、日本側は世論、ロシア側は皇帝の意見が強く、一応それに代わって交渉しているという立場があったため。日本は戦費が凄まじく(年間国家予算の4倍)、ロシアはニコライがやーだっ!といって聞かない。
ウィッテは何とか日本に賠償金を諦めさせるべく、アメリカの新聞社を利用するという作戦を取った。
お互いの交渉はマスコミに公開されていなかったが、毎回交渉が終わった後、すべての情報をアメリカのマスコミに話した。日本はそうはしないので、新聞を通じてアメリカの世論が「日本は秘密にするとは、何か後ろめたいことがあるのか」となってくる。
更に更にウィッテが「日本が賠償金をどうしても払えというのでまとまらない」というのでアメリカの情弱達が「日本は金の為に戦争したのか! やはり東洋の猿は野蛮だ!!」となってくる。

小村は「樺太を返す。それを買い取りという形にしてもらえないか」という案を出す。ルーズヴェルト大統領も間に入り、これで一旦まとまりかけるが、結局はニコライが反対しておじゃん。

結局お互い譲らず、最後の最後で日本側が折れる形となる。ロシアもちょっとだけ折れる。伊藤&桂の電報が小村に届き、1905年8月29日午前10時40分、ポーツマス講和条約締結。

合意概要

@韓国における日本の指導的立場を認める。
A日露両軍の満州撤兵
B満州の清国還付
C旅順・大連等遼東半島ロシア租借権の日本譲渡(清国の同意が条件)
C東清鉄道(長春・旅順間)の譲渡(清国の同意が条件)
D樺太南半分(北緯50度以南)の日本割譲
E沿海州漁業権の獲得
70以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:35:25.32 ID:sGHoY4HB0
>>65
>石炭を満載していたバルチック艦隊は多くが炎上した

ちゃうちゃう。炎上の直接の原因は下瀬火薬。鉄なんかと反応しやすくて非常に燃えやすい、でも燃焼時間が長い。
それを過敏な信管の伊集院信管と組み合わせて、海に落ちただけでも海面で爆発するようにしていた。
だから命中弾でなくても至近弾でロシア艦は被害増大。しかもロシア艦はいろいろ調度品というか
燃えやすい木製の家具を積んでいたから延焼しまくった。石炭はそんな簡単には燃えんよ。
71以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:42:07.89 ID:XYz3CWnl0
こうして見てみるとおもしれーな
世界史真面目に勉強しときゃ良かったな
72以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:45:09.97 ID:ma4ql0JY0
>>68
見てないが、第一次伊藤内閣の内閣の一人だから出てくるんじゃないかな

これで日露戦争の話はおしまい
以下は日露の評価とかを適当に語っていく 質問も答えられる範囲で答えるよ

・乃木希典大将

今でも評価が分かれる人物
個人的には天才ではないにしろ、凡将以上は確実にある、名将といってもいいレベルだと思う。
ただ発想が一歩未来が見えている、いわゆる天才ではなかったようだとも言っておく。

確かに旅順攻略戦ではロシア側の倍の被害を出しているが、要塞攻略戦なら3倍の被害が出るものと後々には定められているので2倍ならむしろ善戦。
その後の奉天開戦では勝敗を決する重要なポジションを務め、損害は大きかったものの結果として勝利に大きく貢献している。

すでにスレで名前が挙げられていたが、彼を無能とする評価はやはり司馬遼太郎の「坂の上の雲」での描かれ方が大きいと思われる。
つーかお前ら、司馬遼太郎を歴史資料として信頼するなよ。あれは歴史上の人物と出来事を使って書いた、今でいうならラノベいたいなお軽いノリの小説。
司馬遼太郎本人も散々あとがきとかで「歴史資料扱いするな」って嘆いてる。本人は自称「忍者小説家」だからな。
73以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:45:19.06 ID:zAlimHlU0
>>71
むしろこっちが世界史への入り口だろ
ここに書いてあることは世界史じゃ2〜3Pにまとめられてる
74以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:47:34.43 ID:sGHoY4HB0
>>71
高校とかの世界史ではここまで細かくはやらないと思うよ。
日本海海戦と203高地のことをちらっとやって、後はいきなり講和の話とか。

日本海海戦は「勝つべくして勝った」というが調べれば調べるほどよくわかる。
戦いに勝つには兵器のスペックだけじゃダメ。士気だけじゃダメ。やれることは全部やる。
まさに人事を尽くして・・ってやつ。情報分析の手法も学ぶものが多い。
75以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:51:15.09 ID:LZEuC6es0
満州ってこれで日本のものになるの?

時代と思う違うけど、北方領土はWW2の最後に取られたんだっけ
76以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:51:47.83 ID:ma4ql0JY0
>>70
そうなんか、指摘あり
石炭満載だったってのと炎上したってのを聞いて、勝手に石炭が燃えたと思ってたわ。

・旅順攻略戦

コンクリートで山脈一つを完全武装させたと思ってくれ。
そこに軍人数万人。こんなもん現代でも簡単には落とせねーよ。

マシンガンにひたすら突撃して撃ち殺された、という映画のイメージがほぼ正しかったようだ。
後述するが、日本海海戦は世界中でおもっくそ研究されてる。
それに対してこの旅順攻略戦はなぜかあまり参考にされず、第一次で同じことを世界中でやらかすことになる。

旅順艦隊への砲撃が不必要だったというのもわりと最近の通説で、ロシア側の手紙を主とした資料から、乗組員も武器弾薬も陸に挙げて使っていたことが分かっている。
でもまぁ、日本側はそんなことわからんから仕方ないと言えば仕方ない。とにかく日本軍は陸も海も必死だったんだよ。
77以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:51:58.13 ID:jKrTtfkL0
高校ではこんなに詳しくやらねえよ
こんなペースでやったら教科書終わらぬ
78以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:52:01.25 ID:/SQJInaI0
>>1のオヌヌメ本なんかある?
太平洋戦争は山岡荘八の奴読んだけどけっこう面白かった ちょっと文体が気になったが
日露戦争に限らなくともいいんだけど
79以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 00:53:57.29 ID:ar+lrMvS0
明石元二郎の工作って実際どんなもんだったの?
80以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:03:25.85 ID:XYz3CWnl0
>「ロシアは強かったが革命が起きたため戦争継続できなくなった」
俺はてっきりこの通りだと思ってたからよくわからんのだが
ロシア革命って日本の諜報が裏で色々とやったせいで起こったってのは違うの?
81以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:04:11.27 ID:ma4ql0JY0
>>75
満州は日本のものに一応なるよ。でもロシアがまたあとでちょっかい出してくる。
で、最後は知っての通り、第二次終了直前でロシアが進行してきて崩壊。ロシアはどんだけ満州ほしいんだと。

・日本海海戦

バルチック艦隊の不備を中心に書いたが、日本側の努力もすさまじかった。
レスにもあったが本当に勝つべくして勝っている。数字上の戦力はほぼ五部だが、扱う人間の質が違い過ぎた。

日本軍は今でもある日本の気質として、練習大好き。「練習でできないやつは本番でもできません!」的なあれね。
バルチック艦隊を待ち構える間、東郷以下連合艦隊は何をしていたかというと、ひったすら砲撃の訓練をしていた。
当時の砲撃は命中率3%、達人で5%と言われていた。そんぐらい当たらない。
秋山が主となってこれをできるだけ改善&改革。測量の器具を新しくしてみたり、艦同士の手旗信号を同じものにしたり(当時は好き勝手やっていた)。
砲その物も当時のモノは撃っていると熱で爆裂するようなものなので、極力改善する。それでも事故は多発して訓練中に負傷者が多数出ている。

また艦隊船の後に砲撃士官の一人が本を出版しているのだが、そこには書いてあることが面白い。
「あの時は連射しすぎた。一発撃って着弾点を確認し、それで砲撃を修正していくべきなのに、一斉射撃をしてしまったため着弾点がわからなかった」

これらは世界中から注目され、その後の艦隊船、というか海軍の基本とされている。陸軍とはえらい違いやね。

ただしこれで英雄の中の英雄とされた東郷は調子に乗り、老害と化して引退後も海軍へ口を出し続けた。
乃木は明治天皇の崩御に殉じているのに、またえらい差やね。
82以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:05:30.75 ID:P35Pwfas0
読んでみて疑問に思ったこと

・日露戦争って日本が勝った、って認識だったんだけど
 ロシア人はそうは思ってなかったりする?

・それと当時の日本の海軍と陸軍は第二次大戦の時みたいに
 仲が悪かったわけじゃなかった、って認識でOK?
83以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:07:34.74 ID:7QoFj3MPO
>>81
乃木…
夏目「こころ」の1頁目か
84以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:11:12.83 ID:/oESdwof0
日露戦争の頃の戦艦って全体的にずんぐりむっくりで吃水が深い感じがするんだよね
今みたいなシャープな感じがしない
85以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:11:24.17 ID:T7mFH8/D0
>>82
ロシア人の多くは日露戦争についてあんまり気にしていない
学校では日本との戦争より、レーニンや革命について多く教えているよ
でも少し近代史に興味をもった人なら日露戦争についても結構知っていて、俺の知り合いのロシア人は明石元二郎の事を褒めたり、もう少しシベリアの内地に誘い込んで長期戦に持ち込んでいればとか言ってた
86以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:13:47.88 ID:ma4ql0JY0
>>78
すまんがあまり本を読まないのでな(ドヤァ
映画なら203高地をやっぱり見るべき

>>79>>80
日本の工作といえばこの赤石さんが有名だが、どうも過剰評価されてるっぽい。
確かにとんでもない額をロシアの敵対勢力にバラ巻いたらしいし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世から評価もされている。
だけれども本文で書いた通り、「ロシアは革命で戦争継続ができなくなった」ではないんだよね。
後のロシア革命発生の手助けをしたのは間違いないんだが、日露戦争という視点から見るとそこまで重要人物じゃないかな、と。
これも坂の上の雲での過剰な活躍が評価の元になってるらしい。司馬遼太郎影響力強すぎだろ。

ちなみにこの人、陸軍大将になったり台湾総督になったりと超出世してる。
総督時代に銀行を作るんだが、その華南銀行は今でも台湾最大の銀行として残ってる。こっちの功績のが凄いような。
87以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:20:02.76 ID:ma4ql0JY0
>>82
ロシア側の認識は負けたと思ってなかったかはわからんが、少なくとも「勝てなかった」認識はあったはず。
この勝てなかったことによる民衆の怒りがロシア革命へと繋がるからね。
というかロシアはこの後皇帝ぶっ殺して別の国になっちゃうから、勝ち負けどころじゃなかったんじゃないかな。
ただ今のロシア人がどう思ってるかはわからんね。ぜひ聞いてみたいところだ。

余談だが、かなり前のNHKで日露会ってのがロシアではあって、日露戦争に参加した人の子孫が集まってパーチーしてるってやってた。
別に日本への恨みつらみを言うわけではなくて、ただ集まって飲み食いするだけの会っぽかった。
88以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:21:01.68 ID:fenNqgExT
>>84
当時はまだ「戦艦は自ら搭載する艦砲に耐えうるだけの装甲を持たねばならない」って思想があったからじゃね
デカイ戦艦=軍事力のシンボル的な観念もあるし

ミサイル出てきてからは「装甲?なにそれ美味しいの?」ってことになって今のシュッとした形に繋がるけど
89以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:22:26.29 ID:sGHoY4HB0
>>84
凌波性というものをあまり重視していなかったからね。ただ吃水はそんなに深いわけではない。
シャープなのは見えないところ(衝角)だなw
90以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:23:06.22 ID:uEhJbgPC0
この頃の日本はカッケーな










俺在日だけど
91以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:24:27.45 ID:sGHoY4HB0
>>82
ロシアからすると大きめの局地戦、っていうイメージぽい。
あの戦だけで国が傾いたわけではないからね。
あと陸軍海軍は、のちに比べればマシではあるけどすでに権力争いみたいなのはあったよ。
それがどんどんこじれて、20年経ったらどうしようもないものになっていた。
92以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/26(金) 01:32:06.11 ID:ma4ql0JY0
・その後の日本

とにかく賠償金が取れなかったのが痛すぎた。
これの怒った民衆が日比谷焼き討ち事件を起こすなど、かなり日本国内は不安定になる。
国債で戦費を賄ったとはいえ、それだけでは足りるわけもなくやはり増税もしていたためだ。
桂内閣も責任を取って退陣している。

・軍とか

海軍は東郷が老害化。陸軍は山縣有朋がやっぱり老害化(日露開戦の時点で十分老害だったが)。
特にひどいのが陸軍で、第二次で有名な精神論中心へと向かっていくことになる。
具体的にいうと、旅順攻略戦で砲撃で与えた損害が少なかったことから、なぜか陣地相手に砲撃は有効でない、突撃あるのみ、と解釈する。
実際には弾の種類の問題だったはずなんだがねぇ。気合があれば勝てる!みたいなのも根本はここから来ているらしい。

また決戦が陸軍同士だったため、陸軍は海軍よりも重要性が高い!と位置づけられるのも日露の後。
このせいで予算を取り合うことになり、またまた第二次で有名な陸軍と海軍がお互いを憎しみ合うような状況になっていく。
93以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
日本海海戦のおかげでその後の日本海軍は艦隊決戦至上主義に傾倒したっていう