【ソース有】吉田茂元首相が在日朝鮮人を全員強制送還しようとしてた件

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709昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋
 二、終戦後、在日朝鮮人の約七五%が朝鮮に引き揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。

 @まず一九四五年八月から一九四六年三月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によって、
約九○万人、個別引き揚げで約五○万人合計約一四○万人が朝鮮へ引揚げた。右引揚げにあたっては、
復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。

 Aついで日本政府は連合国軍最高司令官の指令に基づき一九四六年三月には残留朝鮮人全員約六五万人に
ついて帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約五○万人ということであったが、実際に朝鮮へ
引揚げたものはその約一六%、約八万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途を選んだ。

 Bなお、一九四六年三月の米ソ協定に基づき、一九四七年三月連合国最高司令官の指令により、
北鮮引揚計画がたてられ、約一万人が申し込んだが、実際に北鮮に帰還したものは三五○人にすぎなかった。

 C朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかったが、休戦成立後南鮮には常時船便が
あるようになったので、一九五八年末までに数千人が南鮮に引揚げた。北鮮へは直接の船便は依然としてないが、
香港経由等で数十人が、自からの費用で、船便を見つけて、北鮮に引揚げたのではないかと思われる。

 こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残ったものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を
築いていた者であった。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、
終戦後日本に残ったものは極めて少数である



 三、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約六一万人であるが、最近、関係省の当局において、
外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち、戦時中に徴用労務者としてきたものは
二四五人にすぎないことが明らかになった。そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する
朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であって、現在日本に居住している者は、
前記二四五人を含みみな自分の自由意思によって日本に留まった者また日本生まれのものである。
したがって現在日本政府が本人の意思に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない。