1 :
代行:
こんばんは。
金曜の夜だし、哲学的な話でもしてみよう。
哲学者や思想家に詳しい人はそんな視座から語ればいい。
そんなん知らないよって人は思ったことを語ればいい。
いつもより少しだけ深く考えて語ってみないか。
話が尽きたころにまた安価を出すよ。
最初の話題は
>>5(kskその他の場合は安価下)で。
2 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:17:23.19 ID:XIFZln4q0
ksk
3 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:19:20.89 ID:ydeuQ8220
ksk
4 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:19:21.53 ID:PiLBVlG/0
ksk
5 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:19:59.99 ID:Ln1WPwtF0
異性と愛し合って結婚して子供をもうけて…それって本当に幸せなのか?
男としての幸せ、女としての幸せ、動物としての幸せなのか?
おk。
最初の話題は決まった。
この話を進めるにはまず、幸せというものを掘り下げて考える必要があるように思えるけどどうだろうか。
7 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:25:02.90 ID:uPw+oyzo0
なんかすごいのが踏んだな
幸せは身近にあると思うけど
死中に活路を見出すのも幸せ
僕が思うに、多くの人間はやはり、自己の存在を確認するために他者を求めている。
それは相手が異性であるか、同性であるかを問わない本質的欲求だと思う。
ともすれば異性であることはどんな影響があるのか。
そう考えると、やっぱり多くのヘテロセクシャルの人にとっては性衝動なんじゃないかな。
でもそれは、あくまでもトッピングだと僕は思うな。
10 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:34:15.25 ID:PiLBVlG/0
幸せって不幸と比べた時に気付くんじゃないかなあ
食べて飲んで遊んでって、年がら年中してたらそれだけじゃ幸せと思わなくてもっと楽しくないと幸せとは気付かなくなる
>>10 それは重要な視点だね。
感情は落差。白地に白の絵の具で描いても見えないのと同じこと。
それじゃあ、異性と添い遂げる幸福は何かの不幸と対比できるものだろうか。
かつて、価値観が大きな権威によって束ねられていたころを考えればさらりと「独り身の不幸」で済んだんだろうね。
でも、価値観が多様化して、ある程度の豊かさの上に成り立つ『文化的』生活を送る僕たちにとってはそれは納得できない。
結果、対比される不幸がなくなって、幸福の境界も分からなくなった。
だから
>>5は異性と添い遂げることの幸福ということに疑問を覚えたのかもしれないね。
12 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:47:23.78 ID:wqs+SoKN0
人がいなかったかな(笑)
13 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:49:03.70 ID:Ln1WPwtF0
前に、どこかの教授が大きい石を入れた筒に砂利を混ぜて
「筒が人生、大きい石が人生における大きな幸せ、砂利が小さな幸せ。
大きな幸せを詰めた後に小さな幸せを手にする事は出来るが、
小さな幸せを詰めた後に大きな幸せを手にすることは難しい」
と言っていたという話をどこかで見ました
大分記憶が曖昧なので所々違うと思いますが…
結局大きな幸せとは何なのでしょうか。
財力?権力?名声?それとも異性と愛しあい子孫を残すこと?
14 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:52:31.80 ID:Ogj6lhsOP
幸せってのは不幸よりちょっとましなこと、不孝は上書きされる。相対的、社会的にみて幸せな人もその人の主観では不幸かもしれない。
15 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:52:56.47 ID:e8c8wKb40
異性と愛し合って結婚して子供をもうける
こういうのって社会、風潮が作った幸せの一つの形なんだと思うんだよね
だから大体の人にとってこれは幸せであるといえるんだと思う
でもこれだけが幸せだあるとはいえないと思うね僕は
>>13 それは貴方、というよりそのことを考える主体によるんじゃないかな。
世界は、私たちの認識とはかかわりなく、『今ある』かたちで存在する。
それに対して、価値を設定し、幸福、不幸といった線引きをするのはそれぞれ、世界を見る主体なんだよ。
だから、石の大きい小さいは客観的には定められない、或いは普遍的には同じ大きさ、でしかないんじゃないかな。
17 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 00:56:59.36 ID:e8c8wKb40
>>16 まあつきつめていけば幸せ不幸せの判断は個人が主体的に判断するしかないというところに落ち着きそうだね
18 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:02:30.04 ID:2/KnUzmc0
幸せは主観でしか決められないと思う
例えば、極端だがすごく貧しい人からすればチョコが食べれると幸せだと感じるだろう
でもそうでない人は当たり前だととらえる
男女間の関係も同じで
幸せと感じる人もいれば不幸せだと感じる人もいる
ただ、生物学でいえば子孫もつくれる
目的を達成することが幸せなら、生物の目的は子孫の繁栄だから幸せなのかな?
>>17 そうだね。
>>15が言っている通り、一般的な幸福っていうのは一般的な価値観、即ち一義的な社会を前提にしているからね。
20 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:04:44.25 ID:PiLBVlG/0
そうか、自分だけじゃなくて他人と比べて幸せだと思うこともあるものな
じゃあ異性と添い遂げる幸せと比べた時同性と添い遂げた場合の不幸は?
やっぱり子を成せないことかな
男がどうかは想像するしかできないけど、女としてはやっぱり産みたいかな
でも異性同士のしても種を持っていない人はそこで不幸だとおもうんだろうか
子供を産みたい人も子供は要らない人も居る訳だから子供の有無は議論の対象にはならないのか?
21 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:07:49.70 ID:wqs+SoKN0
>>18 前段については僕も概ねそう思う。
後段については生物の目的は必ずしも子孫の繁栄とも限らないんじゃないかな。
生物はただ、産み増やすようにできているだけ。そのことが『良い』ことか否かはわからない。
それに目的達成による幸福っていうのは意思をもって設定した目的だからこそ幸福を感じることもあるんじゃないかな。
22 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:14:03.03 ID:wqs+SoKN0
>>20 そこもやっぱり主体の価値の与え方によるよね。
子どもを作りたいとひと口に言ってもそこにはいろんな動機があると思う。
子どもと家族を作りたい、自分の死後も自分の何かを生きた形で残したい、或いは非道いと思うかもしれないけれど思い通りになる人形が欲しいなんて人もいるかもしれない。
その動機づけの種類によって、子どものウェイトは変わってくる。
その上で子どもを作りたいという欲求が、子どもを作れないその相手と添い遂げる欲求を上回るなら不幸とも思うかもしれないね。
23 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:15:14.24 ID:e8c8wKb40
人間としてのヒトの幸せ
動物としてのヒトの幸せ
この二つがあるといえるんじゃないだろうか
人間としての幸せは上でも書いてあるように個人によって異なる
動物としての幸せはどうなんだろう難しいな
自分が生きていた証を子を成すという方法で残すのが幸せなのだろうか
そもそも犬や猫、ウサギ、馬などの動物はどういったときに幸せを感じるものなのだろうか
ここら辺が一つのカギになってくるんじゃないだろうか
どうかな?
25 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:19:56.18 ID:2/KnUzmc0
>>23 動物はおそらく、主な欲求
つまり、食欲性欲睡眠が満たされた時に幸福を感じると思う
>>23 なるほど。
言わば「人間」としての幸福、「ホモサピエンス」としての幸福というわけだね。
ここで僕が疑問に感じるのはそもそも動物が感じる幸福、とは存在するのかってことなんだ。
前者の幸福では純粋な生物的快楽(寒い外から帰って浴びる熱いシャワーのような)は含んでいないように思える。
ともすれば、後者、動物としての幸福からもそれは除かれると思う。
では、動物が生物的な快の感覚以上の何かを認識することはあるのだろうか。
そのような快を感じることができるとしたら「、それは高度な知的活動だ。
ここまで考えると、動物と人間という区分ではなく、思考する主体としての幸福と種の幸福という区分の問題になると思う。
27 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:25:12.03 ID:PiLBVlG/0
他の動物と比べるのはもっと難しいな
野生であるなら子孫残し天寿を全うするのが幸せなのかな?動物園や水族館、家庭で飼われている生き物は?
十分な餌をもらい適度に運動し健康管理はばっちりだが、そこまでされると野生で果たそうとした使命は割と簡単に叶えられてしまうわけだが
それを悟った生き物は幸せなんだろうか
28 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:26:21.05 ID:wqs+SoKN0
しかし、依然として種の幸福が何かという問題は未解決のままだ。
僕の考えるところを示せば、種の幸福など存在しない、というところ。
この理由としては100年続いた種が必ずしも20年繁栄した種に対して勝っているとすることができないから。
>>27 動物は、果たしてそこまで認識できるのかな。
一般に動物と言ってしまうと差が大きすぎるけれど。
30 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:29:34.61 ID:wqs+SoKN0
またsageてしまった
31 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:34:12.42 ID:e8c8wKb40
>>25 確かにそれは全ての動物―人間も含め―に共通する幸せ、というか
>>26の言葉を借りると「快」であるといえると思う
だけど動物という大きな枠組みから犬とか猫とかそういう小さな枠組みにクローズアップしたとき
動物としての犬じゃなく犬として他の動物とはまた違った幸せがあるのだろうか
例えば人間がよくいうところでは「犬は人間の役に立つことが幸せ」なんてものがあるが
これは結局人間が適当に言ってるだけなのか本当に犬は幸せと感じてるのか
32 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:36:07.43 ID:2/KnUzmc0
>>26 ある程度の知能が無ければ幸福を感じることができない
というわけでもないとおもう
人間の赤ちゃんでも、快以上の何かを感じることはできているはず
だから、動物でも幸福を感じることはできるんじゃないか
>>31 犬がそのとき幸せかは犬がことばを持たない以上は「わからない」以上のことには到達しないけれども、
だからこそ平気で「犬は人間の役に立つことが幸せ」と断言する人間の態度はペテン師のそれだと僕は感じる。
34 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:38:46.96 ID:PiLBVlG/0
>>29 幸せの認識か
確かにそういう点では動物はざっくりしすぎだな
オランウータンやチンパンジーゴリラあたりなら理解しそうだが、他で考えると本能のまま生きる事が使命なら幸せを感じる事も無いな
高い知能を持つ事で笑顔になる、認識する、幸せを感じるというのは大変な事な訳だ
他の動物も同性同士で寄り添い生きていく事もあるらしいけど、(以前ペンギンのニュースを見た)彼ら彼女らは種として子孫を作るより自分の寄り添いたい相手と生きていく事を選んだ
これは本能かそれとも理性もあり、考え抜いた結果なのか
35 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:40:25.50 ID:DzpCkJHJ0
そもそも幸福ってどういう状態なの
ドーパミン?エンドルフィン?がでてるのが幸福なの?
>>32 ここまでの話のなかで考えてみると、幸福は
・不幸との対比
・目的の達成
・生物的快ではない
ということだったように思う。
ともすれば赤ちゃんが感じうる快以上の幸福って何なんだろうか。
赤ちゃんは人間の社会的な規定からはまさに白紙、タブララサな存在だよね。
ということは赤ちゃんが幸福を感じているとすると、それは生物的でもなく、社会的でもない別の快ということになる。
こう、考えてみるとそれに説明をつけるには僕は愛、だとか他者からの情念、のようなまたもや曖昧な概念を持ち出さなければならないように思う。
37 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:46:42.71 ID:wqs+SoKN0
>>35 確かに脳科学的には電気信号やホルモンの作用には違いない。
でも、麻薬やったり、脳に電極さして得た快楽と、
思考する中で得た快楽、或いは死後、自らの存在なくしてもあると言えるような快楽は同一視できないんじゃないかな。
38 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:49:25.41 ID:e8c8wKb40
少し話が逸れてしまうが「知能」という言葉で思い出した話がある
昔「アルジャーノンに花束を」という知的障害を持った青年が手術により天才になるという小説を読んだことがある
初めのうちその主人公は周りから馬鹿にされていても知能が低いために皆自分の友達で皆親切なのだと勘違いしてしまう
もちろん周囲の目から見ればただのイジメにしか見えないだろうがいじめられてる本人はそんなことは考えてもなく「幸せ」そうだ
しかし手術により知能があがるにつれて今まで友達だと思ってた皆が本当は自分のことを馬鹿にしていたのだと気付く
つまり知能があがるにつれてどんどん「不幸せ」になっていく
これを初めて読んだ時ハッとさせられたよ
いつ落ちるかわからないから先に言っておこう。
僕は同様のスレッドを金曜の夜にたまにたてるつもりなんだ。
気が向いたらチェックしてくれるとうれしい。
>>38 あの話は本当に示唆に富んだ話だと思う。
つまるところ、世界が客観的にどうあるか、ではなく
世界のどの部分を、どのように見て、どう組み立てるか、が僕たち考える主体にとっての世界なんだよね。
論理哲学論考を引用するなら
6.43 善き志なり悪しき志なりが世界を変えるにしても、それは、ただ世界の限界を変え得るだけであり、事実全般を変えることはできない。言語によって表現され得ることがらを変えることはできない。
要するに、世界は、そのときそれによって、そもそも別ものになるはずだ。世界は謂わば全体として減るか増えるかするはずだ。
幸福な者の世界は不幸な者の世界とは別ものだ。
って感じかな。
41 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:54:09.80 ID:wqs+SoKN0
sageる癖がなおらないな
42 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:55:04.59 ID:PiLBVlG/0
なんだか動物として生物としての議論になってきたね
異性同士で生きる事が本当に幸せかどうかは最初のお題として難しすぎるのか...?
心の問題というけれど、結局は脳で作り出されたものなんだよなその辺り考えると余計難しくなる
43 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:56:34.40 ID:2/KnUzmc0
赤ちゃんは知能がないが自分の母を見分けることができる、それは確か『愛着』と言うものがあったからだ
愛着も曖昧だがたしかにある
短絡的だが、つまり愛というものなどはたしかに存在していて
人はそれを感じることで幸福を得ているかもしれない
44 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:57:03.70 ID:DzpCkJHJ0
>>37 死後の快楽っていうのが理解できない
俺がばかなのか?
45 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 01:59:03.50 ID:t+w2dRwh0
>>43 匂いや声に反応しているのを勝手に愛着って呼んでるだけやん
>>42 難しすぎるっていうか、複合的なんだと思う
特に後段部分の「男としての幸せ、女としての幸せ、動物としての幸せなのか?」ってところから広がる
・異性と生きることと同性で生きることの違い
・男と女というカテゴリでの考える主体の特徴の違い
・人間と動物の幸福
・そもそもの幸福
っていう風に。
>>44 たとえば、子どもを作るときに自分の死後もあるかたちで自分の生きた影響を残そうと思うのは、その結果は死後にあるよね。
そういうことを指したかった。
48 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:01:49.56 ID:wqs+SoKN0
まずい、遅い時間に立てすぎた。
僕自身の日本語がおかしくなってきたし、またsageてる。
次回は日付が変わる前に立てるよう努力します。
50 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:03:40.50 ID:e8c8wKb40
いやいや楽しかった
こういうスレもいいね
51 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:05:06.58 ID:t+w2dRwh0
え?おわるん?いまきたばっかやのに。
52 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:06:18.81 ID:e8c8wKb40
終わらへんよまだまだや
53 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:07:07.12 ID:t+w2dRwh0
じゃあ、俺自身は決定論者なんだけど、どうにかして自由意志があることを認めたいのも事実。
助けてくれ。
すみません。
一応、哲学を学ぶものとしてあまりいい加減なことは表現したくないのです。
次回は可能ならば来週金曜夜22:00目安に代行を頼みます。
この後のこのスレッドの話題の安価を投げておきます。
>>55 それでは、また来週お会いしましょう。
55 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 02:08:36.53 ID:YHHNoPQDP
>>53 俺、哲学とかわからんけど、それってもう哲学の領域から外れてるんじゃない
56 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:08:59.67 ID:DzpCkJHJ0
>>47 理解した
自分の影響っていうのは必ず残るもんね
世界は意識なんか知らなくて、外に出る影響だけしか知らないって変な感じ
57 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:09:14.32 ID:t+w2dRwh0
59 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:11:13.77 ID:t+w2dRwh0
60 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:15:08.14 ID:Ln1WPwtF0
安価踏んだのにほぼROMで申し訳ない
ありがとうございました
61 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 02:15:08.54 ID:YHHNoPQDP
>>57 自由意思があるかないかって人間の認識能力じゃ考えることができないものだと思うんや
決定論とか、ちょっと違うかもしれないけどよく言われる五分前創造説っていうのは、そういう限界がありますよってことを考えさせるための例え話みたいなものじゃないかな
絶対に反論しようがないものだし
62 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:15:19.19 ID:t+w2dRwh0
そして誰もいなくなった
随伴説は普通に理解できるが、創発とかいうのは俺的には無理だ
63 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:16:46.55 ID:t+w2dRwh0
>>61 閉鎖系の中での証明の証明が不可なことと、決定論は無関係ではないが同列に語ることやないんちゃうん?
64 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 02:21:22.91 ID:YHHNoPQDP
65 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:26:25.15 ID:t+w2dRwh0
66 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 02:31:53.75 ID:YHHNoPQDP
>>65 はい。
つまり人間の感覚で認識される世界ってことか
人間である限りそこから出ることはできないんだし、その範囲外にあるものは哲学の範囲外でもあるんじゃないかな?
例えば神学とかの領域になってくる気が
67 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:39:06.63 ID:t+w2dRwh0
>>66 ん?
ワイが言いたいのは、
この世は物質は全て物理法則で成り立っている
↓
人間も物質の塊
↓
だから、人間もただ物理法則に従ってるだけで自由意思なんてなかったんや!
ってことやで。
68 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 02:51:33.83 ID:YHHNoPQDP
>>67 とりあえず現状ではまだ魂や心ってものは脳味噌をシミュレートして再現できてないから、物理法則に支配されているとしてもそれは人間にはよくわからない範囲じゃないかな?
例えば物理学がなかった時代は星の動きも神の思召し、化学変化も神の思召しだったわけで
哲学が普遍的に認識されうるものを組み立てて理屈を作る行為と定義するなら、決定論的な見方はその対象になれないと思うのよ
69 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:53:47.77 ID:+U2FWPi5O
物理法則と自由意志が矛盾するとは思えないんだが。
自由に選択していると意識することも決まっていて
実は唯一的に決定された現在から未来へのプロセスは
考えるだけ無意味なのでは?
自由は主観であり、
主観は脳がつくり、
脳は物体である。
70 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:55:54.76 ID:8TIz8+lz0
>>67 結局神とはその法則なんだよな
宇宙の物言わぬルール自体が神
71 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:56:12.73 ID:t+w2dRwh0
でも自由意志がないのなんて悔しいじゃん?
何に対して悔しいのかは、置いておくとしても、やっぱり嫌じゃん?
で、どーにかなんねーかなーと思ってるわけよ。
これの逃げ道としては、
「物理法則なんて、人類の短い歴史の中でしか確認されてない法則じゃん。明日から法則が急に無視されるかもしれないじゃん」
「この世の物事はは確率的にしか観測できませーん。だから物理法則もすべて確率でーす。量子ばんざーい」
「脳内のことは、まだ完全にわかってないから、物理法則に従ってないかもしれないじゃん」
っていうのも考えられるけど、俺的には微妙なんだよねー。
だから
>>68で指摘している神のおぼしめし云々だったら、結局、自由意志はないじゃんってことにならね?
72 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:57:11.02 ID:t+w2dRwh0
>>69 うん、矛盾してないよね。それが決定論だよねー。
73 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:57:49.53 ID:Vg7TmjyL0
(1) 自由意思とは、行為者が自分自身の本性に従って行動を決定すること。
(2) 「自分自身の本性」は物質である脳によって作られる現象で、物理法則に規定されている。
(1)+(2) 自由意思とは、行為者が物理法則の規定に沿った現象によって行動を決定すること。
74 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 02:58:05.29 ID:8TIz8+lz0
人間の世界観とは全て擬人化で成り立っている
自分がそう思うのだから自分以外全てもそう思うのだとしか考えない
75 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:01:11.06 ID:t+w2dRwh0
>>73 だよねー。それが決定r(ry
>>74 擬人化?
まぁ、いいたいことはわかるよ。
どんなに自分が恋人に対して「愛してる」って言ったって、その気持ちが真か偽かは結局、その自分にしかわからない。
これが
>>63で言っている閉鎖系云々ね。
これを証明するには、小説の読者のように神の視点が必要
76 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 03:05:07.33 ID:YHHNoPQDP
>>69 俺は矛盾するものだとは思わないよ
ただ物理法則でシミュレートしたり説明することがまだできないっていうだけで
できるようになるまで脳はブラックボックスなわけだし、暫定的に自由意志があるということにしておけばいいじゃね?
というかんじ
77 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:05:24.72 ID:Vg7TmjyL0
「自由意志がないなんて悔しい」というより
「自由意思の古典的な定義が懐かしい」ってことなのかな?
78 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:06:50.42 ID:fNe4zNRT0
>>75 例えば宗教で言うところの神仏も擬人化だからな
神は人間のように考えるものである
怒ったり優しかったり罰したり救ったりすると考える
それは擬人化だよ
人間であるかのように扱う
それが動物であろうと昆虫であろうと雷であろうと噴火であろうと何でもだ
79 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:06:53.44 ID:t+w2dRwh0
80 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:13:37.70 ID:t+w2dRwh0
創発説の人は屁理屈というか違う次元が入っているというか、なんか違うんだよなぁ
81 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/04/06(土) 03:13:39.49 ID:FTxAARXz0
善悪という基準は人間の脳内だけにある
宇宙に最初から善悪や正しさや間違いが実際あるかのように考えてしまう
事象全てにその基準を当てはめようとする
人間が考えるようにみんな同じく考えているのだとな
82 :
holeギター ◆esuBYcD5q2 :2013/04/06(土) 03:13:59.55 ID:YHHNoPQDP
>>71 >だから
>>68で指摘している神のおぼしめし云々だったら、
うん。あるかどうかはわからない
で、デカルトさんの「我思う故に我あり」っていうのがとりあえずの答えになるんだと思う
まだ脳味噌のシミュレートができない時代で、こういう自由意志vs決定論みたいな議論が現役ってことは科学が発達した現代であっても状況はさほど変わっていないように思える
83 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:
人間の概念が何故迷走するのか
それは嫌だったりつまらなかったりした場合は認めないからだ
事実が自己にとり都合が悪い場合は改変してしまうからだ