唯「アァ〜美しき繭にィ〜戻りたいィ〜」
其の少女はギタアを背負い、エアギタアをし乍ら、何やら不思議な歌を歌つてゐた。よく耳を傾けて見ても、何の歌かと云ふ事は分からなかつた。
街を歩く人々は、誰もその歌で歩を止る事は無く、私だけがこの歩道に立ち止まつて居て、何だか恥辱的な思ひになつた。
唯「私をオ〜暖めたあの胸〜」
しかし、聴けば聴くほど美しゐ。私は遠い昔の事を想ひだした。分も分からず父母の両腕にすがりつひてゐた、あのしなやかなゴム風船の様な世界。空は水銀の様に耀き、道と云ふ道が、すべて無限の様に続くと信ずて疑わず、夢中になつて駆け回つてゐた少年時代。
今はその面影も無ゐ。幾ら見渡して視ても、この銀色の建物に囲まれ乍ら、コンクリイトとアスファルトが敷き詰められ、其の隙間には玩具のおまけ程度の植物が、人工的に植えられてゐるだけである。
唯、無限と云えば、無限に続いてゐると云うのは其の通りかも知れぬ。この都会には、底という物が見当たらず、さうかと云つて、自由な空間とも云えぬだろう。まるで無限に続く迷路の中に一人閉じ込められた様な困惑に、私は絶望してゐるのだつた。