1 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:
「誕生日おめでとう、雪歩」
ベッドの上で仰向けのまま、呟くように言った。無機質な声だった。
部屋に自分以外の人間は居らず、その声は目覚ましの音に掻き消される。
その日じゃないから。本人の前じゃないから。
寝起きの頭で適当な理由を付け、目覚ましを止めて洗面所に向かう。
2 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:41:20.94 ID:wZ/Q9GI30
12月に入り、いよいよ寒さも本格的に厳しくなる時季だった。
乾燥した空気はどうにも体に悪い気がしてならない。事務所の皆は大丈夫だろうか、などと思考を巡らして眠気を紛らわす。毎朝の事だ。
事務所に着き、朝のミーティングに出席する。先に座っていた後輩から資料を渡され、適当に礼を言ってそれを受け取る。
ミーティングと言ってもそれほど大それたことを行うわけではない。当日の最終的なスケジュールと人数の確認、後は時折挟まれる社長の冗談に苦笑いで返すのが業務内容だ。
今日はミーティングの最後に良い知らせもあった。
今度行われるライブのチケットの売れ行きが好調だと言う。直接俺が関わっているわけではないが、同じ事務所の人間として喜ばない理由も無い。
3 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:41:58.64 ID:wZ/Q9GI30
会議終了の合図とともに立ち上がり、外へ出て階段を上る。
後ろで急いで階段を駆け降りる音も聞こえるが、何かあったのだろうか。気にする程では無かったが。
目的の階に着く。「765プロダクション」と書かれたドアを開けると同時にコートを脱ぎ、鞄と一緒にハンガーに掛ける。この一連の動きも手慣れたものだ。
奥に進もうとすると、突然目の前に人影が飛び出した。
「あっ、おっ、おはようございますプロデューサー!」
帽子を深く被ってはいたが、今さら見紛う筈もない。
雪歩だった。軽く挨拶を返して、体を横に逸らす。
「そ、それじゃあ行ってきます!」
彼女は深々と、そして急いで頭を下げ、ドアの向こうに走り去って行った。
4 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:52:17.14 ID:wZ/Q9GI30
「…慌ただしいな」
「ほんと、そうですね」
「ああ、おはよう、春香」
ソファには湯呑みを片手に春香が座っていた。
周りを少し見渡した後、向かいに腰掛ける。
「最近、また一段と寒くなってきたな。体調管理は大丈夫か?」
「あ、はい。勿論です!…それとプロデューサーさん、寒いのならお茶淹れましょうか?」
「いや、いいよ。自分でやるから。ありがとう」
立ち上がって給湯室に向かう。
やかんに水を入れる時、流しに湯呑みが2つあるのが見え、
「さっきまで、誰かいたのか?雪歩以外にも」
と春香に訊いた。
5 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:52:52.05 ID:wZ/Q9GI30
「はい、私と雪歩と響ちゃんの三人で」
「くつろいでたのか」
「くつろぎすぎて、はい…」
遠目に見えるホワイトボードを確認する。
「レッスンか?」
「そう…ですね。朝早く来てちょっとのんびりしてたら、忘れちゃってたみたいで…もう」
春香のふふっ、という笑い声が聞こえる。
と同時に、外から響と雪歩の慌てた声も聞こえた。
茶を淹れ終え、再びソファに座った。
「あ、そういえば小鳥さんはちょっとコンビニにって」
「そうか。それで春香は…午前中に収録だな」
「はい!宜しくお願いしますプロデューサーさん!」
春香が笑顔で頭を下げたので、つられて俺も頭を下げる。
6 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:53:45.76 ID:6Ojet1N4I
最近雪歩SS増えてきた
7 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:54:15.73 ID:hpLuKDMW0
うわあ
8 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:54:26.89 ID:v7WSVPhk0
雪歩の季節ですから
残酷な終わりに期待する
10 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 20:57:17.81 ID:9u4NXILWO
もしもしで見る分には構わんのだがPCからだと死ぬほど見辛くないかこれ
11 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:01:18.37 ID:tvmQe3gv0
C
12 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:02:36.87 ID:wZ/Q9GI30
「こちらこそ宜しく。…さ、そろそろ準備しようか。音無さんが戻って来次第行こう」
湯呑みを持ってデスクに向かい、資料を整理して鞄に入れる。
一通り確認が済んだところで茶をすすると、思いの外温度が高く、舌を火傷してしまった。
「熱っ…」
「だ、大丈夫ですかプロデューサーさん?」
「ああ平気平気。少し火傷しただけだから…」
「…気を付けて下さいね?」
「了解」
少し冷めるまで待った後、今度は慎重に湯呑みに口を付ける。湯気が視界を曇らせた。
「…不味っ」
久々に飲んだ緑茶の味は、ひどく薄いものだった。
13 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:03:07.04 ID:wZ/Q9GI30
「お疲れさまでした!」
春香の快活な声が収録現場に響き渡る。
建物を出て、このまま帰るかどうかを尋ねたところ、事務所に戻りたいと言うのが春香の希望だった。
俺としてもその方が都合が良いので、後部座席に春香を乗せて事務所へ向かう。
「ただいまー!」
春香がドアを開け、俺も続いて中に入る。
「あら、随分早かったわね?予定より30分は早いわ」
バッグを持ったまま奥へ向かうと、声の主である伊織が本を読んでいた。
14 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:12:34.48 ID:wZ/Q9GI30
「えへへ。今日は調子がすっごい良くてね!それで…」
二人の楽しげな会話を横目にスケジュールを再度確認する。
「…おっと。次は伊織のダンスレッスンだな、丁度良い」
「あら、アンタが担当?そうね。お手柔らかにしてあげるわ」
「言ってくれるな」
ふふん、と伊織は上機嫌で鼻を鳴らすと、置いてあったバッグを片手に立ち上がる。
「30分くらい早く行っても問題無いわよね」
「ああ、まあ大丈夫だろう。もう行くのか?」
「じっとしてるのも寒くて適わないわ」
車で待ってるから、とドアに一直線に向かう伊織の後ろ姿を見ながら、ソファからおもむろに立ち上がる。
15 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:13:07.58 ID:wZ/Q9GI30
765プロの経営方針は『少数精鋭』である。
社長の選考基準の結果がその言葉であるとも言える。
所属アイドルは十数人。俺を含むその他スタッフの数も、最近ようやく二桁に達しかけている所だ。
「久しぶりかしら?アンタとは」助手席の伊織が言う。
「二週間ぶりって所かな。1対1だったのはもっと前だ」
付添うアイドルはローテーションで決まる訳でもなく、空いてる者をアイドルの予定に合わせて決めて行く形である。だから、短い間に何度も同じ子に当たる場合もあれば、このように顔を合わせるのすら久々という場合もある。
特別な事情やユニットを担当するでもしない限り、こちら側に選択権と言うものは無かった。
16 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:22:36.18 ID:wZ/Q9GI30
「そういや、今日は竜宮じゃないのな」
「…あずさと亜美は二人だけで仕事。勿論律子もね。まったく、この伊織ちゃんを置いてけぼりなんて信じられないわ!」
「そうなのか…。まあ、律子にも考えあってのことだろう。さ、着いたぞ」
駐車場に入り、車を停めて鍵を抜く。
ドアを開けると、冷たい空気が車内を通り抜けた。。
「1,2,1,2…」
ラジカセから流れる曲に合わせ、伊織は時に緩やかな、時に難解なステップを踏む。
流石言うだけの事はある。思わず感心の溜息が漏れた。
だが、曲も終わりに差しかかる頃、最後のターンで伊織はふらついてバランスを崩した。
「あっ…とっ…」
そのまま転びそうな勢いだったので、慌てて手で背中を支える。
「大丈夫か?」
「わ、悪いわね」
時計を見やり、「そうだな、少し休憩しようか」と提案した。
17 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:23:08.00 ID:wZ/Q9GI30
「しかし伊織は流石だな。ダンスでも細かい所を意識してるのがよく分かる」
「ん、そりゃまあね。律子に散々しごかれたし」
それもそうか。あの律子だ、細かい所こそ厳しいだろう。
「あとは最後のターンか」
「…そうね」
伊織にしては随分殊勝な返事が気になり、その事をさらに追及する。
「何だ、最近多いのか?」
「…まあね。ターンで転びそうになることは多いかも」
「そうか…」
身体を曲げて伊織の方を向く。
「…あれ?」
「な、何よ」
「ちょっと伊織、そこに立ってみてくれないか」
支援
19 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:32:35.29 ID:wZ/Q9GI30
「あ、あんまジロジロ見るんじゃないわよ」
「ふむ…」
頭の高さを見て、疑念は確信に変わった。
「なあ伊織」
「何?」
「お前、背伸びたな」
事務所で立ち上がった姿を見た時に薄々感じてはいたが、彼女の背は数ヶ月前よりも格段に伸びていた。
「…そう?」
「ああ、伸びたよ。今度測ってみたらいい。…身長が伸びれば手足も伸びる。ターンが上手く出来なくなるのもまあ、当然だろうな」
「そう…なの?」
「そうだとも。…ただ女子の成長期って本来もっと前に来る筈なんだがな。個人差とは言うが良く分からん」
この答えを聞いて、伊織は安堵と戸惑いの入り混じった表情で俺を見ていた。
20 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:33:07.48 ID:wZ/Q9GI30
「…それで、何か解決策とか無いのかしら」
「無いな」
彼女の顔は分かり易い程に失望に変わった。俺に責任は無いはずなのだが。
「仕方がないだろう、そういうものなんだ。ただそれに不安を覚える必要はどこにもないさ。今は複雑な動きよりも、安定した動きを目指して行こう」
溜息を一つついて、伊織は大きく伸びをする。
背が伸びたせいか、いつもの髪を掻き分ける仕草すら、妙に大人っぽく見えた。
一呼吸置いた後、「…成長するって、中々大変なことなのね」と、心なしか嬉しそうに彼女は言った。
「そうだな」
思わず言葉が漏れる。
「成長すると、色々変わって…」
「…変わって?」
後に続く言葉は、見つからない。
21 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:42:37.20 ID:wZ/Q9GI30
その日の夜だった。
「律子か?」
薄暗い階段を上り、事務所に入ると、机に突っ伏して伸びている横顔が見えた。
聞こえていない筈は無い距離だったが、返事が無い。まさか寝ているのか?
「あ…プロデューサー殿…」
上から見下ろせるほど近づくと、ようやく彼女は顔を上げた。
「寝てたか?」
「…寝てないです」
「良い夢見られたか」
「寝てないですってば」
「よだれ、書類に垂れてるぞ」
「え、嘘」
「嘘だが」
寝起きの律子をからかうのは楽しい。
22 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:43:08.08 ID:wZ/Q9GI30
「みっともない所をお見せしました…」
やっとのことで頭の覚醒を取り戻した律子は、車の助手席で肩をすぼめていた。
「随分、新鮮な映像でした」
もう、と呆れと羞恥の混ざった声を発し、彼女は窓の方に顔を向けてしまう。
「まあ、なんだ。お疲れ様」
「…すいません、送って貰っちゃうなんて」
「日の短い季節だしな。このくらいお安い御用だ」
23 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:48:51.48 ID:saJtAHdbO
支援
24 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:52:38.06 ID:wZ/Q9GI30
しばらく道路を走って数分、最初に信号に捕まったところで俺から口を開いた。
「しかし、今日はそんなにハードなスケジュールだったのか?分担するよう掛け合おうか」
すると律子はいえ、と首を横に振った。
「竜宮は私が初めて担当して、今まで育ててきたユニットですから。責任から逃れる訳にはいきません」
「…そうか」
信号が青に変わり、アクセルを踏む。
「…なんて。ただ、あのメンバーが好きなだけですけど」
幸せそうに笑う律子の声を聞いて、ふと今日の伊織の事が思い出された。
「そういやさ、今日伊織が―――」
25 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:52:45.87 ID:JGGguBFNO
支援は紳士のつとめ
26 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 21:53:10.12 ID:wZ/Q9GI30
「やっぱり。あの子、大きくなりましたもんね」
「なんだ、気付いてたのか」
既に彼女の自宅の前には着いてはいたが、車内での会話は続く。
「だから今日、竜宮の仕事から抜けさせてまで、わざわざプロデューサー殿とのレッスンになるように取り計らったんです」
「俺に?なんでまた」
というか、調整出来るのか。
「私が言うより良いかと思いまして。あの子、あなたの事は意外と信頼してるんですよ」
「そうだと良いんだがな」
そうですよ、と笑う律子からは確固たる自信――すなわち、彼女のユニットに対する強い信頼が読み取れ、その事が俺にはとても、とても羨ましかった。
27 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:02:38.24 ID:wZ/Q9GI30
「プロデューサーが最初に担当したのって、雪歩でしたよね」
突然の問いに、思わず顔が上がる。
「そうだが、それがどうした」
「スケジュール調整の時に、ちょっと見ちゃいまして」
何をだ、とは訊くだけ無駄なことである気がした。
「…最近、雪歩との仕事が全然無いんですね」
言葉が詰まる。俺は返事をせず、ゆっくり息を吐いた。
一ヶ月。彼女と最後に仕事をしてから、今の今までの日数だ。
「駄目ですよ。あの子、放っとかれてきっと寂しがってますよ」
「放っといてるわけじゃないさ」反射的に出た言葉だった。
「…そう、ですよね。今はただ、そういう時ってだけですよね」
すいませんでした、と律子は頭を下げてドアを開ける。
「雪歩はさ」去ろうとする律子を呼び止めた。「俺じゃなくてもやっていけてるよ。今度、ライブだってあるんだ」
少しの沈黙の後、ドアが閉まる。
こちらに向き直り、俺を見つめる彼女の目には、言いきれない物悲しさがあった。
28 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:03:09.65 ID:wZ/Q9GI30
「今日は兄ちゃん?よろしくねー!」
真美が俺の後ろに付く。今日のロケ地は近いので、そのまま歩いて向かう事にした。
「こうして歩いてると、デートみたいですなあ」
「明らかにその気無いよな、お前」
俺は苦笑して歩みを進める。
「しっかし寒いねー最近」
真美の吐く息が白色に変わる。そうだな、と相槌を打ち、横に居る真美の顔を見る。
「…真美も大きくなったよなあ」
「んん?セクハラですかな?」
「身長の話だ」
そうかな?と頭の上に手を置いて笑う彼女は、容姿だけなら立派な『女性』の様だ。
「んっふっふ〜?これならスーパーモデルも夢じゃないね!」
「中身は一切変わってないけどな」
隣の少女は、その言葉に頬を膨らませる。
29 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:12:38.91 ID:wZ/Q9GI30
真美の仕事中、俺は常に腕時計を見ていた。
今意識を向けなければならないのは真美の事の筈なのに、どうしても時計の針を見ずには居られなかった。そんな自分自身に少し幻滅もした。
理由はただ一つしかない。出来もしないことを求めてしまうのは、俺という人間の性だろうか。
「兄ちゃん!」
いつの間にか、目の前に真美がいた。
「あ、ああ真美か。どうした?休憩か?」
「じゃなくて!もうお仕事終わったよ!」
その時の俺の顔ほど間抜けなものは無かっただろう。目を泳がせ、急いで腕時計を再度見る。
「もう、え、まだ予定より一時間も…」
「頑張っちゃったからね!」
真美は白い歯を見せて笑った。俺はようやく冷静さを取り戻し、
「よく頑張ったな真美。さ、事務所まで送ってくよ」と踵を返した時、真美が俺の手を掴んだ。
30 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:13:09.30 ID:wZ/Q9GI30
「兄ちゃん、それでいいの?」
「…何がだ」
「今日、はるるんとひびきんと…ゆきぴょんのライブなんでしょ?」
心臓がばくん、と波を打つ。
「そうだけど、今日はお前との仕事の日…」
「行っていいよ、大丈夫」
一際穏やかな真美の声で、俺は、目が覚めたような感覚を覚えた。
「律子から聞いたのか」
「そう。『余計なお世話かもしれないけど、行ってあげて下さい』って」
真美は長い髪を指に巻きつけ、その指が俺を差す。
「もう最後の方だろうけど、行ってあげたら絶対喜ぶって!」
ありがとう、と礼を言って、急ぎ足で外に向かった。
31 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:17:23.47 ID:PYHnpnn+0
4
32 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:22:38.70 ID:wZ/Q9GI30
会場に辿り着いた時、体力は既に限界だった。息を荒げながらスタッフの人間に関係者証を見せ、ふらつきながら席へ向かう。
歓声と熱気に包まれた、彼女達が待つ会場の扉を開けた。
怒号にも近い、観客の熱狂。振り続けられるサイリウム。そして、ステージの上の彼女達。見慣れてはいるが、見飽きることのない光景だった。
俺は息をするのも忘れて、ステージの上をただただ見つめる。
声をかけられたのは、全てが終わった後だった。
声の主は俺の後輩――つまり、このライブの発案、担当者だ。
俺なんかと話してるより、早く下に行ってやれ――そう言ったすぐ後の事だった。
皆に会って行きますか?という質問をされたのは。
『行ってあげたら絶対喜ぶって!』という真美の笑顔、そして律子の顔が浮かぶ。
そして最終的に口から出たのは、このような言葉だった。
「…関係無い俺が行くのは無粋だよ。まあ、色々終わったら来てた事くらいは言っといてくれ」
後悔は無かった。ただ、二人に謝りたくて仕方が無かった。
33 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:23:10.68 ID:wZ/Q9GI30
「プロデューサーさん」
あれから数日、デスクで書類仕事に励んでいると横から声がした。
「なんでしょうか、音無さん」
いったん手を止め身体を回すと、音無さんと向き合う形になった。
「この前のライブ、行ってあげたんですか?」
「…その話ですか」ため息混じりの声が出る。
「行ってあげたのに、声もかけずに帰ったんですか?」
「全部知ってるじゃないですか」
ははっ、と笑うと音無さんはばつが悪そうに俯いてしまった。
暫くして「んん」と喉を鳴らし、背筋を伸ばして彼女は口を開く。
「プロデューサーさん。頑張った子は、ちゃんと褒めてあげないとだめですよ?」
「俺は少し立ち寄っただけですよ。それに…」
「言い訳無用です!」音無さんのしかめっ面が近くにあった。「今からでも遅くないです!というか、今でも良いですから!」
34 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:32:40.49 ID:wZ/Q9GI30
「…今、あの三人居ないですよ」
「あら、そうでした」
俺は再び椅子を回し机に向き直る。頭を仕事に切り替えるのに、さほど時間はかからなかった。
「三人ともお疲れ様のオフですよ。ちゃんとスケジュールは把握しといてくださいね」
「もう、嫌味ですか?」
「…すいません」
こんな軽口を叩いてしまうあたり、少し気が立ってしまっているかもしれない。反省しよう。
「それにスケジュール把握は完璧です、事務員なんですから!昨日だって…」
「…?」
慌てた様子で、こちらから目を逸らす彼女。
「…とにかく、何か言ってあげた方が良いと思います」
一言だけ呟くように言い、それっきり音無さんは口を噤んでしまった。
今日は大事な用事もある。まずはとっとと仕事を終わらせてしまおう。
35 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:33:11.69 ID:wZ/Q9GI30
更に数日後。
朝のミーティングが終わった。
階段を上り、目的の階に着いた後、扉を開ける。
「おはようございます、プロデューサー。今日は宜しくお願いします」
「ああ、宜しくな。雪歩」
「久しぶりですね。こうして一緒にお仕事するの」
隣にいる雪歩が静かに笑う。
真美との日と同じく、俺と雪歩は並んで歩道を歩いていた。
「ライブが終わって、色々落ち着いたからかな」
自分で言って墓穴だと気付く。心の中で項垂れた。
が、
「はい…」
雪歩の反応はこれだけだった。表情に変化も見られない。
36 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:37:34.19 ID:YVGW9YqFO
あ
37 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:42:48.54 ID:wZ/Q9GI30
どうにも言葉がかけ辛くなってしまい、暫くは押し黙っていたが、一つだけ聞きたいことを思い出し口を開く。
「今日の仕事、動物のレポート番組で…そのな、多分、犬も出てくると思うんだ」
正直、言い出し辛い話だった。雪歩が犬を苦手にしてるのは昔からだ。
流石の彼女もこれには反応し、少しだけ表情を曇らせた。しかしすぐにこちらを向き
「大丈夫です、プロデューサー」
と、落ち着いた声で言った。
心配事が一つ消える。まったく誰だ、この仕事を雪歩に入れたのは。
問題が起こったのは、現場に着いてすぐの事だった。
「動物が届いてない?」
どうやら、収録をする動物を乗せた車が渋滞に捕まり、まだ現場に辿り着いていないようだった。
「ど、どうなるんでしょうか…」
「最悪、このまま中止ってこともあり得るかもしれないな」
不安そうな瞳を下に向け、そのまま雪歩は黙ってしまった。
38 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:43:19.58 ID:wZ/Q9GI30
「渋滞の状況は!?」「到着予定時刻は!」「代替案は何か無いのか?」
現場の慌ただしさはピークに達していた。幸いこの後の雪歩のスケジュールには余裕があったのだが、安心して端から見ていられる立場では無い事は分かっていた。無論、雪歩もそうだろう。
「悪い雪歩、俺も手伝ってくる」
そう言い残して現場スタッフの元へ向かう。一人で取り残すのは少し不安だったが、四の五の言っていられない状況であることも確かだ。
数分打ち合わせをして、結局収録の編成を変えることになった。それでも、大幅に終了時間が遅れてしまうことには変わりなかった。
その時、通路側から声がした。
「だから無理なんですって。そこまで遅れると次の現場に支障が出ちゃうんで」
「そこをなんとか…」
ディレクターと思しき人物が頭を下げていたのは、961プロの三人組ユニットであるジュピターだった。出演者一覧の名簿を思い出す。
39 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:49:26.38 ID:oa8NVYP40
しえん
40 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:52:51.70 ID:wZ/Q9GI30
「申し訳ないのですが、こちらにも都合があります。後半の収録の頃には、もう移動してないといけないんです」
「どうかお願いします…このままだと収録が…」
ただひたすら頭を下げるディレクターに3人は一礼し、その場を去ろうとする。
その時だった。
「待って下さい!」
雪歩だった。去ろうとするジュピターを、彼女が制するように立っていた。
「お前は確か…765プロの萩原雪歩」
「は、はい…」
名前を呼ばれ、雪歩の体がビクッと反応する。
「言ってる通りこっちにも都合があんだ。ここには悪いが、最後まで居ることはできねえよ」
淡々とした物言いだった。元々非は向こう側にあるのだから、正論には違いなかった。
「お願いします!」
雪歩が頭を下げる。
「だからな…」
言葉を遮るように、下を向いたまま彼女は呟くように言った。
41 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:53:24.68 ID:wZ/Q9GI30
「成功させたいんです…今日だけは、絶対に…」
小さな声であったが、強い意志の籠った言葉だった。気圧されたのか、三人はそれ以上言葉を発しない。
「俺からも、宜しくお願いします」
雪歩の隣に立ち、俺も頭を下げる。
一つ舌打ちが聞こえ、ようやく彼は口を開いた。
「…分かったよ。おっさんに掛け合ってみるわ」
雪歩は顔を上げ、満面の笑みで「ありがとうございます!」と言い、もう一度頭を下げた。俺も後に続く。
横から見える雪歩の顔は、とても逞しく、そして頼もしく見えた。
「…いいって、んなもん」
「あれあれ?冬馬くんもしかして照れちゃってる?」
「うるせえっての」
42 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2012/12/23(日) 22:57:24.43 ID:ZwPVZAGQ0
支援ー
43 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:
「…ありがとうな、雪歩」
「いえ。私は、私が出来ることをやっただけですから…」
収録が終わり、俺達は二人で休憩用の椅子に腰掛けていた。
「しかし、本当に良かったのか?」
何がですか?と要領を得ない顔の雪歩に言葉を続ける。
「あのまま収録が中止になったら、それはそれで…」
犬に怯える事も無かっただろう、と言葉を続けようとして止める。それは、折角の雪歩の行いを否定する言葉になりかねない。
少し悩んだ表情をした雪歩だったが、暫くして俺に向き直り、このような事を言った。
「…いえ。765プロのアイドルとして、嫌なことから逃げるわけにはいきません」