フジが老人火あぶり放送→老人死亡→証拠動画全部消される←今ここ

このエントリーをはてなブックマークに追加
5以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
【フジテレビによる主な人身事故等】

▼1991年9月放送『1or8』で、背負った大量のロケット花火の爆発でヒロミが火傷を負う。
▼1992年11月23日。“風船おじさん”にフジテレビが資金援助を見返りに独占的に出発を取材。
  『おはよう!ナイスデイ』が煽って、翌年4月の予定を11月に出発。太平洋上で消息不明に。
  以後、マスコミ報道が過熱すると、フジテレビだけは一切報道しなくなった。
▼1993年6月24日。バラエティー番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』収録中に、
  香港のロックバンドメンバーがセットから転落して死亡。番組は打ち切られた。
▼1998年9月2日、『めざましテレビ』の生放送中、災害時に高所から脱出する避難器具の体験
  リポートで、フジテレビアナウンサー菊間千乃がマンション5階(地上約13m)の窓から落下、
  全治3ヶ月の重傷(腰椎圧迫骨折)を負った。
▼1999年、『愛する二人別れる二人』の出演者が遺書で番組の「やらせ」を告白し、自殺した。
▼2001年、『めちゃめちゃイケてるッ!』でセット倒壊。美術スタッフが下敷き。頭部を打ち死亡。
▼2003年10月2日、『とんねるずのみなさんのおかげでした』に出演した葛城ユキが人間大砲に
  挑戦して、第7胸椎粉砕などの大怪我を負った。
▼2003年12月4日、『退屈貴族』で、火渡りをするという老人の、火に油を注いで煽り、最重度の
  三度という重篤な大火傷を負わせたままディレクター【金子傑】が放置。老人の兄が発見して緊急
  搬送された。老人は呼吸の一時停止や吐血、意識不明、多臓器不全。フジテレビは、安否の
  確認すらしないまま番組を放映、笑い飛ばす。老人は火傷が元の腎不全で死亡。フジは隠蔽。
▼2010年8月22日、特番を放送予定だった『オレワンSP』は、「我が家」の杉山裕之が左肩関節
  脱臼骨折、全治2か月の重傷、陣内智則が肋骨にひび、「ハイキングウォーキング」松田洋昌
  が肋骨を骨折して放送中止となった。演出は老人火あぶりのディレクター【金子傑】。
▼2012年2月2日、お笑いコンビ「ずん」のやすが『とんねるずのみなさんのおかげでした』で、
  スキー場での収録中、ゲレンデを水上スキー用のゴムボートで走行、4メートル下の小屋に
  腰を強打、第二腰椎破裂骨折の大けが。現在も両手足共マヒしたまま。