【日本音楽の未来は絶望的】

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1怪獣代理
俺は古典至上主義者じゃない
本来なら、古典から伸びた「枝」が実りを咲かせていなければいけないものが、
とんでもない毒の花を咲かせているものだから、警告しているだけ
傑作とはいえ数百年前のものが、現代のポピュラーになれるなんて夢は抱いていない
ただ、そこから現代に通じる可能性、よさ、本質を汲み取れる感性を持たなければ、日本の音楽に未来はないけどね

ちなみに、これは作り手、聞き手両方に言えること
料亭の味を育てるのは土地の客の舌だといわれているように、俺らの音楽がどこから来たかを理解して、
それを現代に翻訳できるほどの高いリテラシーを持ったやつが、せめて十パーセントはいなければ、
永遠に日本の音楽は英語の替え歌で終わる
現状は、いまのPOPSの百年後をイメージして、これでいいといえるか、あるいはそんなの考えたことないやつばかりだ
2以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:02:07.21 ID:1PlnYK5JP
来てやったぜ
3以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:02:33.24 ID:qR/J4d/Q0
やあやあ、ありがとう。
皆集まってくれたまえ。
これから今、というより、戦後の日本の音楽業界がいかに終わっているかを説明しようと思う。
4以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:05:50.87 ID:mZZGOHxa0
ロック好きって、それなら貼るのがロックだけならまだずいぶんマシだ
5以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:08:03.24 ID:qR/J4d/Q0
前提:

まず断っておくが、ここでいう崩壊とはより議論を分かりやすくするために、歌の崩壊に絞る。
つまり、言葉の崩壊であり、旋律、律動、様式と言葉の乖離こそが、今の日本音楽が呼吸困難に陥っている原因であると考える

日本の音楽の”断絶”は二度あるといわれている。
日本音楽の最古の源流が雅楽と声明だとすると、それらは平曲(琵琶法師)や能楽を通して洗練されていき、
最終的に、唄いものの完成として「長唄、地唄」が、語りものの完成として「浄瑠璃」が生まれた。

これは幕末までの話で、黒船が来て西洋文明が流れ込み、明治政府は日本音楽を”弾圧”する。
本当にれっきとした音楽の弾圧であって、具体的に教育や文化の面で日本の伝統音楽をぶち壊してきた。

が、それでも世界大戦までは、なんだかんだで日本の”歌”は生き残っていた
楽器が洋楽化しても、”日本語の論理”で歌われていたのだ

たとえば、これを聞いてみてほしい
戦時中の音楽である

http://www.youtube.com/watch?v=8fj1qlPQieI
6以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:13:01.36 ID:qR/J4d/Q0
聞きながらどう感じているだろうか。
これは現代でいうところの「コミックソング」だが、音楽的にはしっかりしていて、
特に目を見張るのがその洗練されたリズムである。
二拍子で成立した拍節が変拍子を加えながら、実にうまく日本語が載っている。
といっても、この曲が日本語がいきいきしているのは認めるとしても、
現代のPOPSに”日本語が乗っていない”といわれてもぴんとこないだろうから、まずは話を進めよう。
7以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:16:26.31 ID:mZZGOHxa0
とりあえず、youtubeのユーザーチャンネルのURL晒してくれたほうが早い

http://www.youtube.com/user/(ユーザーアカウント名)?feature=mhee#p/

それでどういう曲をお気に入り登録しているか知ることができるから
それで興味をもつのがあったら聴くから
8以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:17:06.18 ID:K/XqULwk0
ロック(ブルース)と日本の伝統音楽って似てね?
なんか言葉に出来ないっていうか言葉にしちゃいけないっていうか
「心」が大事だよね やっぱ
9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:18:06.86 ID:qR/J4d/Q0
「わらふリズム」を見て気づくこと
 @二拍子の拍節にびっしり日本語が載っている
Aときおりメリスマがあり、また民謡的音階、リズムがある
そこには伝統的な形態ではないにせよ、日本語のいきいきした様式がしっかりとある。
ところが、敗戦によって日本に洋楽が本格侵入してしまった。
たとえばロックなど、確かにすばらしい音楽なのだから、
こっちに進入するだけならよいのだが、問題はそれと同時に
純邦楽の断絶が起こってしまったことである。

たとえば皆さんは、”和楽器”をただの一度でも手にしたことがあるだろうか?
また皆さんは、”江戸以前の音楽家で代表する人を教えてください”と聞かれて答えられるだろうか?
これらの質問に、NOといわなくてはならないのは、本当に異常な事態である。
10 忍法帖【Lv=3,xxxP】 :2011/10/14(金) 22:20:10.93 ID:7BQ0Xigo0
カスラックなくせばかろうじて生き残れるんじゃね?
11以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:21:53.78 ID:NvJHUeWn0
日本の音楽市場の話じゃなくて
文化としての音楽がやばいって事?
12以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/10/14(金) 22:22:43.03 ID:mZZGOHxa0
>>9

youtubeの動画チャンネル見ればその人の音楽の趣味は大体判るから見せてよ
13以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
わたしは説教したいのではないし、ことを大げさに騒ぐつもりもない。
確かに、教育現場で邦楽がまるで無視された状態にあるのは問題で、異常だが、
なんだかんだで細々と続いているのも事実だ。
だが本当の弊害は、かつては魅力的だった日本音楽が、
一部の”趣味人”それも俗悪な連中の趣味に陥ってしまって、
かつては庶民の音楽だった人形浄瑠璃の音楽が、”習い事化”され、”去勢”され、本来の味わいを失ってしまったことだ。
少し前から、日本文化を習いなおそうみたいな傾向があるが、
彼らは美術にしろ建築にしろ文学にしろ、自分たちの祖先の芸術に
心から感動するのだが、音楽にだけはどうも違うらしいのだ
口では、”普段耳にしないから斬新な響きがある”とか、
”やはりDNAに響いて、踊りたくなる”だとかいうのだが、
結局家に帰って聞くのはJPOP、”つまり日本語を載せた洋楽”である。
彼らの本心の中では、日本音楽は形式主義に陥った退屈なものとしてインプットされてしまう。
そういう人たちが、吉田兄弟などを聞いて、「和の音楽だ」などといってしまうのだ。