巨人小笠原、本能寺に散る

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1以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/28(月) 23:04:57.99 ID:80wfYjJC0
天正十年6月2日、天下統一を目前にした巨人小笠原が家臣であったはずの大正義巨人軍坂本の裏切りにあい、京都・煩悩寺に散った。

突然の出来事だ。6月2日早朝、「キンタマー、タマキーン」と刀を交える音が聞こえるなど騒がしく巨人小笠原が目を覚ました。巨人小笠原は小姓の二岡を呼び何事か尋ねる。
すると二岡は「煩悩寺は軍勢に囲まれており、紋はYG(大正義巨人軍坂本の家紋)である」と報告され、大正義巨人軍坂本が謀反に及んだと知る。
巨人小笠原は「一理ある」と言い、キンタマを持ち防戦。
しかし殺到する兵からキンタマをいぬかれついに絶命。自らの最期を悟った巨人小笠原は二岡に「(天下をとっちゃ)いかんのか?」と言い残し奥の間に消えた。
「ぐう畜公記」によればこのとき燃え盛る部屋で「タマ盛」を舞い、切キンして自害、絶頂射精して果てたという。
またこのとき里崎城に立て篭もっていた日本シリーズ戦犯越智(巨人小笠原の後継者と内定していた)は巨人小笠原を助けんとリリーフするが失敗。敗戦投手となり自害して果てた。

翌日から大正義巨人軍坂本が巨人小笠原の遺体の捜索を開始するが見つからず、途中で飽きたため5分で捜索を打ち切った。
その後近くの寺の住職・世界の亀井が巨人小笠原の焼死体を発見。いちご柄のパンツを頭にかぶり死んでいたことから死因はキンタ膜下出血によるものと断定。遺体は爆砕し近くの川に放り捨てることで手厚く供養した。

この愚行を聞いた大正義巨人軍の大名原監督は
「(うつむいた表情で)残念だが当然。畜将らしい最期といえる。でも今は信じられない、いや、信じたくないという気持ちでいっぱい。本当に惜しい畜将を亡くした。」と涙ながらに語り、終始ご機嫌な様子だった。
なお、明日の合戦には間に合う模様
2以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
大河カッスレやな