おまえが(ry
発信箱:見たくない自画像=倉重篤郎(論説室)
ttp://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20101125k0000m070158000c.html 政局仕掛け人の一人、園田博之衆院議員が現行の小選挙区比例代表並立制を
かつての中選挙区制に戻すべきだ、と説き始めた。
1選挙区から1人しか当選できない現制度は、時の風の吹き具合で当落が決まり、選良の質の劣化を招く。「あっという間に
国会議員の心構えのない人たちが増えた。私の24年間の政治生活の中で今は最低だ」。中選挙区に戻せば、
同じ政党でも切磋琢磨(せっさたくま)された人材が国会に送り込まれる。資金集めの制約から派閥復活もない、という。
実はこの議論、前から永田町の底流にあるが、園田氏含め大勢が小選挙区制こそ日本刷新につながる、としてきた手前、
あまり公然と論じられることはなかった。その園田氏が「(改革は)失敗した」とあられもなく総括するのだから時代は変わった。
政界の人材難は確かに深刻だ。最近の5人の首相の顔を思い浮かべればいい。派閥の領袖を張れる人間でないと
首相の座はつとまらない、と断言する人もいる。
だが、この問題、選挙制度だけで割り切れるか。そもそも政治家だけが劣化したのだろうか。官僚も経済人もメディアも
あらゆるところに類似現象が起きていないか。
今の政治への批判は、外交・安保のへっぴり腰、経済・財政の無策の2点に集約できる。
前者は、日米安保に「おんぶに抱っこ」では、アジア情勢の激変に対応できなくなったこと、後者で言えば、
少子高齢化による生産力低下も、過大な国債発行のツケにも特効薬のないことを教えてくれた。
批判はあろうが、いずれも自分たちが戦後作りあげてきたことの結果でもある。
劣化した日本人による劣化した政治と国家ではないのか。だからといって自虐的になることはない。
焼け跡から経済大国をつくり上げた実績もある。まずは、自画像を静かに見つめることではないか。