裁判員制度が始まるまでの、自分たちの報道をすっかり忘れたようですねwww
社説:初の死刑判決 裁判員に精神的ケアを
ttp://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20101117k0000m070101000c.html 被告の生死を分ける判断である。苦悩の深さは察するに余りある。
男性2人を殺害したとされる強盗殺人罪などに問われた被告に対し、横浜地裁で裁判員裁判初の死刑判決が言い渡された。
判決後、会見に応じた50代男性裁判員の「本当に重い。すごく悩みました。今でも思い出すと涙が出る」との言葉が胸に刺さる。
判決は、犯行の残虐性や動機の身勝手さを強調した。従来の死刑選択基準に照らし、プロだけで判断しても死刑判決が
予想されるケースだ。それでも、国家が人の命を奪う究極の刑罰の選択にかかわり、裁判員の心が揺れたのは当然だろう。
欧米など主要国に一般市民が刑事裁判に参加する制度がある。だが、欧州は死刑が廃止されており、市民が死刑に
対峙(たいじ)するのは、米国や日本などに限られる。それだけに、裁判員の精神的負担を軽減するための対策が欠かせない。
米国の死刑陪審経験者の調査結果によると、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患い、不眠やフラッシュバック、
うつなどに悩む人がいるという。今回の裁判で裁判員らは、無残な遺体写真を見るなど、相当なストレスを負った可能性がある。
裁判所は、「メンタルヘルスサポート窓口」を設け、面接相談も5回まで無料で応じている。だが、心のケアに回数制限を
もうけるのはおかしい。継続して取り組むべきである。相談や診断の結果は蓄積し、検証の対象にしなければならない。
また、日本の場合、評議の経過や自らの意見表明も含め、重い守秘義務を負う。違反には罰則が規定される。
死刑という重い判断に直面した経験を話したくても秘密を抱え込まねばならないのだ。ストレスに結びつくのは想像に難くない。
静岡県で66年、一家4人が殺害された「袴田事件」で、1審の死刑判決にかかわった元裁判官が07年、
「無罪の心証だった」と告白したのは記憶に新しい。守秘義務の範囲を狭めるよう見直すことも必要だ。
かつて、死刑判決の基準について「いかなる裁判所も死刑を選択する場合に限るべきだ」との基準を示した高裁判決があった。
現在、裁判員裁判での死刑判決は、全員一致を原則とすべきだとの主張がある。
今後も死刑求刑が予想される裁判員裁判が続く。改めて死刑の適用について議論を深めなければならない。
そして、その延長線上には、死刑制度自体の問題もあるはずだ。千葉景子前法相が、死刑制度の存廃も含めた勉強会を
法務省に設置した。市民が涙を流しながら、死刑に向き合っているのである。検討を加速させるべきなのは言うまでもない。