余録:裁判員1年
1670年、英国でのできごとである。ブッシェルという男性が街を歩いていると、いきなり保安官に捕らえられた。
連行先は法廷だった。本人が罪を犯したわけではない。有無を言わさず「陪審員」にされたのだ
▲被告は街頭で説教をしていたクエーカー教徒。裁判官は国王の意を受けて彼らを「不法集会」で有罪にしたがった。
要するに宗教弾圧である。だが評決は「不法集会」と認めず、これでは有罪にできない
▲いら立った裁判官は再評議を命じたが、覆らない。やり直すこと数回、2泊3日続いた。
陪審員たちは夜は監獄に入れられ、食べ物もほとんど与えられず、用を足すおまるも支給されなかった。それでも陪審員は屈しない
▲うそみたいな話だが、同志社大法科大学院のコリン・ジョーンズ教授によると、「この事件の結果、陪審員に対してその評決について責任追及をしたり、制裁を加えることはできないという鉄則が確立した」のだという
(「アメリカ人弁護士が見た裁判員制度」平凡社新書)
▲日本の裁判員は当然、そんなひどい目に遭うことはない。評議室に高級椅子を備えたり、観葉植物を置いてソフトさを演出する裁判所もあるぐらいだ。だがそれで人を裁く重さが減じるわけじゃない。
導入1年が過ぎ、今後被告が頑強に否認したり、死刑が求刑される事件とも直面するだろう
▲それでも経験者の97%が「よい経験」と感じたという。司法参加への充実感が負担感を上回っている。
元裁判員の同僚に確かめると、「裁判官は紳士的だったし、勉強になった」。
もちろん昼食は自由に取れ、トイレはピカピカで快適だったそうだ。毎日新聞 2010年6月13日 0時01分
http://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20100613k0000m070095000c.html 最後の一行に意味はあるのかなぁw