【決算まで】毎日新聞抗議活動2ch本部322【ひと月】

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188以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
【もう一度食べたい:フランスキャラメル 異国に誘う、金髪の少女=津武欣也 - 毎日jp(毎日新聞)】
 ◇高級感ある三つの味、31年前製造終了
 「そうか、このキャラメルだったのか」。壁に掛かる巨大なパネル写真を前に、不思議な思いに包まれた。
写真は昭和30年代の東京・数寄屋橋の風景。5月初め、何気なく訪れた国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の「現代」展コーナーで、
偶然にも、その名前を見つけたのだ。「不二家のフランスキャラメル」。
4年前にも、昨年も、そして今年になってからも、読者が寄せる手紙のなかに、その名はあった。「この偶然の出合いも、形を変えた必然だったのでは……」。
それが不思議な思いの正体だった。−−そうか。ここらで「取材しろ」ということだな。
 パネル写真で見た「フランスキャラメル」は不二家の数寄屋橋店屋上に掛かる電飾の大看板。
同社広報に聞くと「登場は昭和32(1957)年。数寄屋橋交番の正面にフランスキャラメル、もう一方のソニービルに面した側はミルキーの電飾だった」という。
同社を代表するお菓子だった二つのキャラメル。昭和から平成に移るなかで、ハイカラ感のあるフランスキャラメルが消え、ママの味のミルキーは生き残った。
 そんなフランスキャラメルを大阪府藤井寺市の会社員、中野康子さん(54)は懐かしがる。「一粒口に入れるとほんとうに甘くて幸せいっぱいになった。
あの甘い、なんともいえないフランスキャラメルをほおばり、童心に帰ってみたい」 岐阜県土岐市の加藤泰子さんのはがきにも少女時代の思い出が詰まっていた。
 「父が出張に出かけると、決まって名古屋の松坂屋で土産を買ってきた。そのなかで今も心に残っているのがフランスキャラメル。
赤、白、青の3色の箱の真ん中に少女の顔が描かれていた。目が大きくて、髪はふわっと綿菓子のよう。そんな少女になりたいと、いつも鏡の前でため息をついていました。
あの思い出のキャラメルに会いたい」 手元にある手紙はどれもが女性からのもの。どの文面にもトリコロールカラーの箱と金髪の少女のことが書かれていた。
少女たちを夢に誘ったフランスキャラメルとはどんな味だったのか。なぜ消えてしまったのか。
(中略)
  □  □ 味が無理なら、フランス国旗をイメージした箱だけでも目にしたい。取材するうち、都内に住む元広告マンの企画プロデューサー、新関光二さん(54)が収集していると分かった。
JR田町駅に近い事務所を訪ねると、部屋いっぱいに「ペコちゃん」と「ポコちゃん」。テーブルには何種類もの「フランスキャラメル」の空箱があった。
 「お菓子パッケージやキャラクターを集め始めたのは20代後半から。
子ども文化、生活文化に興味を持ったら、こんなことに。収集品の点数? 数えたこともありません」と新関さん。
フランスキャラメルは「三つの味が楽しめるので好きだった。友達が森永や明治のキャラメルを持っていると、交換し合ってなめたものです」。
 赤、白、青のパッケージを撮ろうとして、真ん中でほほ笑む少女と目が合った。その瞬間、なぜか萩原朔太郎の詩が浮かんだ。「ふらんすへ行きたしと思へども ふらんすはあまりに遠し(旅上)」
 −−異国へのいざない。ほおに金色の産毛を残す少女たちの心を甘くつかんだ秘密が分かったような気がした。(明治大学客員教授)
http://mainichi.jp/life/food/again/news/20100531ddm013100014000c.html