昔の思い出を妄想する

このエントリーをはてなブックマークに追加
1以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
     /ニYニヽ
    /( ゚ )( ゚ )ヽ
   /::::⌒`´⌒::::\   今から思い出を妄想するっていうwww
  | ,-)___(-、|   最後の華咲かせるっていうていうww
  | l   |-┬-|  l |    長いから気長に待てっていうwww
   \   `ー'´   /    
2以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:00:47.19 ID:sViwJ6eP0
・始めに
この妄想に登場する人物や団体・国家は全て想像上のもので、
現実のものとは何ら関係がないっていう。
どちらを賞賛・批難・中傷するものでもない。(理由は最後に書く)
妄想の中では歴史的背景・宗教が絡んでくるがスルーしてくれっていう。
どうしても気になるという人が多い場合は、歴史的背景等の補足を
入れるかもしれないっていうていう。

先に結論を書いておくっていうwww
ソニアは殺されたっていうwww
サニャは爆風で死んだっていうwww
メルヴィナはレイプされて連れ去られたっていうwww

メフメット・カマル・ミルコは行方不明ていうwww
カミーユはミーを庇って殺されたwwwうはwwwっていう
ドラガンは裏切り者だと思ってたっていうていうww


それじゃ、妄想スタートするっていうwww
わからない所は俺の脳内想像しとけっていうwwていうwww
3以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:03:03.39 ID:sViwJ6eP0
昭和天皇が崩御あらせられた年から1年程経った頃だった。
保育園の卒業が間近だった俺は、卒園式で披露する歌の練習を友達の
園児とした後、教室で紙ヒコーキを作ったり絵を描いたりしながら
母さんが迎えに来るのを待っていた。

母さんはパートの仕事をしていて、俺を迎えに来る時間は何時も6時過ぎで、
女の先生(保母さん)と一緒に二人で待っていた。この時間にもなると、
残っている園児は俺一人である事が殆どで、何時もまだかまだかとソワソワして
待っていた覚えがある。

以前は、俺が楽しみにしていた戦隊シリーズ(確かターボレンジャーあたり)が
土曜日に放送されていた為、寂しさはあれど不満はなかった。
だけど、途中から金曜日の5時過ぎに放送曜日と時間が変更されてしまった為、
テレビで見れなくなってしまったんだ。当時は確かベータとかいう変なビデオデッキが
あったけれど、予約機能なんてものがなかった為に、シリーズ途中から見れなくなっていた。
4以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:05:37.68 ID:sViwJ6eP0
この日も曜日は金曜日だった。今日だけでもいいからお母さん早く帰ってきてと
祈っていた記憶がある。だけど、5時になり、そして6時になり、普段と変わらない時間に
なってしまった。ああ、今日もか。そう思って先生に駄々をこねていたかもしれない。

少し時間が経って、普段と違う事に気づいた。遅くても6時半頃には母さんが迎えに
来るはずなのに、時計を見たときには7時近くになっていた。先生も今日はお母さん遅いね
と言いながら、母さんの仕事場に電話をする為に俺を一人残して教室を出て行った。
5以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:10:08.18 ID:sViwJ6eP0
カチカチと秒針を刻む時計の音がひどく不気味に感じたし、普段は気にしないような
電気が消えた奥のトイレが怖く感じた。数分程経過した頃、先生が戻ってきて俺を
家の近くに住む爺さんの家に送り届けてくれることになった。

爺さんの家に着いてから、お母さんお仕事遅いねといったやりとりをしたが、
その時の爺さんの表情は暗いものだった。保育園で過ごした日々の記憶は
今になっては殆ど薄れ、忘れてしまったけれど、この日の記憶は今も鮮明に覚えている。
6以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:15:12.63 ID:sViwJ6eP0
それから何日も母さんを待ったけれど、結局母さんは帰ってこなかった。
後に知った事ではあるけれど、母さんはとっくにパートを辞めていて、
外に男を作っていたらしく、つまりは俺と単身赴任している父さんを捨てて
二人で駆け落ちをしてしまったんだ。

父さんは海外で仕事をしていたから直ぐに会えるわけでもない。
俺は一人ぼっちになった。父さんの親族も母さんの親族も、小学生にあがる程成長した
俺の養育を拒否してさ、当然といえば当然ではあるけれど。
誰が好んで面倒がかかる時期の子どもをわざわざ引き取るんだって話だ。
7以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:17:28.44 ID:bTHnquh6O
だまれ
8以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:21:44.44 ID:sViwJ6eP0
>>7
ありがとう。面白くない話なんだけど、どうしても伝えたいんだ。
もう少しで仕事の引継ぎが終わるから、そしたらもう日本に
帰ってくる事はないんだ。だからどうか書かせて欲しい。


子どもなのに、少し諦めに近い感情を抱きつつあった。だけど、父さんと一緒に
暮らせるとわかった時は、とても嬉しかったんだ。母さんと一緒に暮らしていた期間の
方が断然長く、父さんとは殆ど会えなかったけれど、俺は父さんが大好きだった。

だから、婆さんからもうすぐ父さんが迎えに来ると言われたときは、ほっとすると
同時に、嬉しかった。諦めのような感情があったとはいえ、これで自分の居場所が
出来る様な気分だったように思う。まだ幼い俺にとって、爺さんや親戚の家は、
とても息が詰まって、そして肩身が狭かった。一種の悲劇のヒーローのような
気分を味わっていた。

父さんが迎えに来た日、確か4月の下旬頃だった。1年ぶりの再会であり、あまりにも久しぶり
すぎた俺は、最初父さんの顔が認識出来なかった。いや、父さんかもしれないけれど、父さんでは
ないかもしれないといった感覚だな。それ程、当時の俺にとって1年という期間は長いものだった。
父さんは「すまない。」と一言俺に言って、「大きくなったな。」と微笑んだ。
そんな事を言う前に、俺からしてみれば最初から日本で仕事をしていてくれよ、といった感じだったな。
9以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:25:26.51 ID:sViwJ6eP0
空港から、トルコ経由で向かったわけだけれど、機内から見る空は美しかった。というより眩しかった。
途中で降りた空港には、飛行機の中とは比べ物にならない程の異国の人々がごった返していた。


そこから首都まで乗り換えて向かい、初めて降り立った外国の地というものは、少し気持ち悪かった。
日本と違い、建物はみな似たような作りと色合いで、何で?と疑問に思ったものだ。外国人も背が高く怖いし、
そもそも日本語ではない言葉を話している。

当時は、テレビ以外で外国人を目にする機会というものが無かったんだ。だから初めて自分の目で見る
外国人は、奇妙に思えて少し怖かった。それに、言葉というものが国によって異なるというのを、まだ当時は
きちんと認識出来ていなかったんだ。つまり、標準語はテレビの中だけ、みたいな感覚だな。
テレビの中だから変な言葉を使うような感じだ。その為、彼らが話す暗号のような言葉を話すのは
余計に奇妙に感じた。
10以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:27:25.15 ID:qaivlcm50
            ,.,.,.,.,.,.,.,.,__
           i::::::::/'" ̄ ̄ヾi
           |:::::::| ,,,,,_  ,,,,,,| 
           |r-==( 。);( 。)   
           ( ヽ  :::__)..:: }
        ,____/ヽ  ー== ; ほほう それでそれで?
     r'"ヽ   t、   \___ !
    / 、、i    ヽ__,,/
    / ヽノ  j ,   j |ヽ 
    |⌒`'、__ / /   /r  |
    {     ̄''ー-、,,_,ヘ^ |
    ゝ-,,,_____)--、j
    /  \__       /
    |      "'ー‐‐---''
11以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2010/05/19(水) 08:29:46.98 ID:sViwJ6eP0
俺が父さんと一緒に暮らす事になった街は、首都から車で結構走ったところで、人口数千人位だった。
日本と比べると、人口密度はかなり低い場所だった。街の周りは高原(草原)や山々に囲まれている盆地のような
場所で、建ち並ぶ様式が統一された住居はとても綺麗だった。
オレンジ色の屋根に、白い壁。当時の日本(といっても、俺の地元)では目にする事が無かった為、
はじめは奇抜に見えた。

子どもが親についていき、海外で暮らす場合、多くは日本人学校等に入る事になると思うのだけれど、
俺の住む街には日本人学校どころか日本人すらいない。いや、俺と父さんの二人はいたけどさ。
不安を抱きながら学校へ行っても、皆何を言っているのか理解出来ないわけだ。当然、俺は一人ぼっちだった。
自己紹介すらきちんと出来なかったからな。
もう少し年を取っていれば、ノリで仲良くする、フレンドリーに接するなんて事が出来たかもしれない。
だけど、当時の俺にそんなスキルがあるはずもなく、どうしようもなかったんだ。
その為、最初の2週間ほどは非常に苦痛だった。父さんが家に居るという事だけが、
唯一俺の救いだった。だって、俺に居場所があるんだからさ。
12以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
それでも、忍耐やら我慢といった言葉が辞書にはまだなかった俺には、辛かった。
遊びたい盛りの当時の俺にとって、こうした寂しさを我慢するというのは、限界が近づきつつあったんだ。
だから、何か遊ぶものを探そうと思って、休みの日にふらっと一人で街を散策していたんだ。
一人で街中に行くのは初めてだったから、少し迷ったりしたけれどね。
街を行きかう人々を見ながら、学校の方へと歩いていくと、道の端にある空き地で子ども達がサッカーをしていた。

とても羨ましくて、「いいなぁー。」と思ったわけだけれど、「いーれーてっ!」といった言葉はかけられない。
というより、その言葉が話せないからな。だから、何も声に出せず、もじもじしながら、その子ども達が遊んでいるのを
空き地の端っこでぼーっと眺めていたんだ。

そうとう入れて欲しそうな顔をしていたのかもしれない。サッカーをしている男子の輪の中にいた一人が、
じっと見つめている俺に気づいてさ、「一緒に遊ぶ?」と聞いてきてくれたんだ。
実際には、そう言ったのだろうというレベルで、俺にはまだこの子が何を話しているのか理解できなかったけれどね。