【どうなる?】毎日新聞抗議活動2ch本部315【押し紙裁判】

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14以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
【川崎浩の音楽の壺:盗作騒ぎ - 毎日jp(毎日新聞)】
 上海万博主題歌の盗作問題で、何が一番気になっているかと言えば、
岡本真夜の原作ソング(「そのままの君でいて」)も、そもそも何かの曲に似ていないか、ってとこだった。
(中略)
 「盗作」あるいは「パクリ」騒ぎは、「音楽って何?」という問いを突き付ける。つまり「譜面」だけがその曲の本質なのか? ってところである。
(中略)
 端から端まで、作曲家の意志が貫き通されたクラシックの楽曲は「譜面にすべてが書いてある」とよく言われる。
そこをそう歌うからこそ、そこをそう演奏するからこそ、その楽曲として成立する、という視点である。
以前、著名な合唱曲「大地讃頌」を、PE’Z(ペズ)がジャズアレンジしたところ、作曲者から、CD回収、演奏禁止を訴えられた。この視点の好例である。
 ところが、大衆音楽は、「楽譜以後」がかなり重要であり、実はこちらの方が、楽曲を楽曲たらしめる場合が少なくないのだ。「曲が育つ」のである。
(中略)
……歌が、じわりと大衆に浸透し、口ずさまれ、長期にわたって好まれる。ここに「楽譜至上主義」の入る余地はない。主役は育てた大衆である。
 もちろん、著作権だ、知的所有権だという話は、理解する。同様に、万博主催者も理解している。
だからこそ、事件化する前に、さっさと「あんたの曲だよ」と岡本真夜と社会に権利関係を明確にしたのであろう。
これで、中国の作曲家は「盗作でない」と言い張っていればいいし、岡本はだまって印税を受け取ればいい。結局、それほど大事件にはならないのだ。賢い!!
(中略)
「盗作問題」は「大衆音楽」的体感となじまないのだ。 上海万博の一件だって、「そっくりだけど違う」と感じる(私だけ??)。
なぜなら岡本メロをそのまま成龍(ジャッキー・チェン)や劉徳華(アンディ・ラウ)が歌っても似合わない。雰囲気が違う。
楽曲として成立させるための狙いやプロセスが違うのだ。それは「育つ環境」が異なるということである。
 岡本曲は日本のファンが育てた。大げさな風格を与えられる宿命の万博ソングとして生まれたのではない。
それこそ、岡本やファンの意図に反した表現に生まれ変わることになる。こんなことなら、使われない方がマシだった、てなオチになるかもしれない。
 大衆音楽は、大衆に「与え」られたクラシックのような音楽ではなく「大衆が育てる」音楽である。
人間環境や時代背景を無視しては、楽曲としての認識のしようはないのである。
「盗んだな」と騒ぐ前に、「そっくりだけど違う」場合の基準を設定しといた方がいい。ま、せめてまる写しは、音楽家のプライドの問題として、やめてもらいたいけどね。
http://mainichi.jp/enta/music/tsubo/news/20100430org00m200043000c.html