責任の取り方が出世、という会社があったような・・・w
余録:出処進退の「処」と「退」
ttp://mainichi.jp/select/opinion/yoroku/news/20100205k0000m070111000c.html 「人というものが世にあるうち、もっとも大事なのは出処進退という四つでございます」。幕末の長岡藩を
率いた河井継之助を描いた司馬遼太郎の小説「峠」の中の河井は語っている。実際の河井の言葉にも
とづくというその発言は「そのうち……」と続く
▲「進むと出(い)ずるは上の人の助けを要さねばならないが、処(お)ると退くは、人の力を藉(か)らず
ともよく、自分でできるもの」。「処」はとどまるの意で「出処」とは世に出るかとどまるかの選択だ。だが
世には高い地位にとどまる「処」もある
▲「処る」と「退く」との決断の「大事」は、もはや「上の人」がいない名誉や権力の頂上を極めた人物にお
いていっそう際立つ。知人への暴行をめぐって相撲協会の処分が注目されていた横綱・朝青龍は、突然
引退届を提出して受理された
▲時おり涙を見せ「責任を感じている」「相撲に悔いはない」と心中を語った朝青龍だ。だが場所中の横綱
が一般人に暴行したのが事実なら、解雇も当然の状況での「退」である。大相撲にとって横綱の栄誉がぎ
りぎり瀬戸際で守られた形だ
▲皮肉にも同じ日、「処」が世人の関心を集めたのは小沢一郎民主党幹事長だ。元秘書の石川知裕衆院
議員ら3人が政治資金規正法違反で起訴される一方、自らは不起訴とされての幹事長続投の選択である。
世上、政界最高実力者対検察の「力の対決」とはやされた捜査の幕切れだ
▲ただしこちらは実力者としての政界君臨を意味する「処」である。引き続きその政治責任追及が争点と
なるのは成り行きだ。小沢氏と民主党には説明責任を果たし、政治を本来の軌道に戻すためになすべき
ことが残っていよう。