宮崎駿は早く、完全版ナウシカを作るべき

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105以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします
あー、携帯で意味わからんことほざいてた者だ。
俺が言いたかったのは、二分法的思考(良い悪いの二つで物事を考えること)に支配されている人間の
到達地点がナウシカの世界であるという理解を俺はしていて、そういう視点に立った際、あの漫画の終わり方は納得がいかないということなんだ。
二分法的思考とは究極的に、元々ある二つの選択肢の中からこれから先の行為を選択する、と言えるんだ。この考え方で行くと、人間は永遠に
選択肢から未来を選ぶという呪縛から逃れることができないんだ。たとえば、二分法以外の仕方をすれば良い、というのは、二つだった選択肢が
三つに増えるだけなんだよね。結局選択するという行為から逃れられてないんだ。つまり、人間は何か行動する際に、必ず選択をしている。
そして、人間が何かその行動によて問題を引き起こしているとすれば、それは選択という行為が究極的な原因だと言えるんだ。人間の選択がね。

で、ナウシカの祖先はあの漫画に描ている選択をしたわけだ。そして、ナウシカ達がつくり出され、循環のシステムに組み込まれたわけだ。
そして、ナウシカが最後に行ったことは、まさに選択なんだ。人間の最大の問題である選択という行為を彼女は最後にまた行ったんだ!
これじゃ人間の根本的な問題が何も変わっていない。その選択という行為によって地球が変わり果てたのに、ナウシカは又その愚行を繰り返した。
たぶんナウシカはわかっていたはずだ。選択という行為がある意味究極の悪であると。
なぜなら彼女は巨神兵の意味(人間以外で選択できる存在ということ)をそれなりに理解しているはずだからね。
そして、宮崎自身がナウシカであるとすれば、あの終わり方は宮崎の思考が限界に達したことを意味している。
俺は今までこのことを考えてきて、ナウシカを読んで、ある程度新しい世界を期待していた。

続きます