>>133 読売新聞の書評から抜粋(変態新聞の書評には記者の実名は載っていません)
大作「運命の人」刊行 山崎豊子さん
西山事件題材に 沖縄の痛み、書き切る責務
記者の取材の駆け引き、新聞社の内幕をも盛り込み、異例の事件を生々しく描いた。
法廷闘争では、報道の妥当性であるはずの争点が、記者と女性職員の肉体関係という醜聞に塗り替えられていく、「国策捜査」の危うさが浮き彫りになる。
『暖簾(のれん)』(1957年)でデビューした当時、毎日新聞の学芸部記者だった山崎さんにとって、
司法・立法・行政に次ぐ「第4権力」とされるマスメディアは、長年あたためてきたテーマだった。
「西山事件を題材にすれば、国家権力とマスメディア、そして沖縄問題を描くことができる」と、当事者である毎日新聞元記者・西山太吉氏に取材を申し込んだ。
西山氏の弁護士が保管していた、数千ページに及ぶ裁判資料も読み込み、「罪を裁かず、モラルだけを裁いた不当な裁判だった」と確信した。
新聞社を辞め家業を継ぐも立ちゆかず、失意のどん底で沖縄に流れ着く元記者。
人の情と自然とに心癒やされ、いつしか一人の人間として沖縄の痛みにかかわっていく……。
主人公の後半生は、実在の西山氏から離れ「私ならこうするほかない、という気持ちで書き進めました」。結末まで粗筋を決めて書く山崎さんには、珍しいことだった。
西山事件(外務省機密漏洩事件) 1971年の沖縄返還協定に際して、「日本政府が米軍基地の土地原状回復補償費400万ドルを肩代わりする」
という密約を示す文書の漏洩に関与したとして、元毎日新聞記者の西山太吉氏と取材源の外務省女性職員が国家公務員法違反罪に問われた。
有罪確定後の2000年、密約を裏付ける米公文書が見つかり、西山氏は05年に国家賠償訴訟を起こしたが、最高裁は上告を棄却した。
(2009年5月13日 読売新聞)