1 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:19:30.57 ID:9hW/a+Hr0
東照公遺訓
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。
いそぐべからず、不自由を常と思えば不足なし、こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵とおもえ、勝つ事ばかり知りて、
まくること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな、及ばざるは過ぎたるよりまされり。
2 :
發 ◆xFjUUUHrqM :2007/11/18(日) 12:24:32.70 ID:a3JUuO0u0
はい。全てごんげんさまの遺訓の通りに。
3 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:32:48.83 ID:9hW/a+Hr0
家康
若い頃から文武に優れ、陣中でも孫子や漢方医学書を手放さなかった。
天下を平定してからも儒教を奨励して学校を建て、民の労苦を考えて
質素な生活に甘んじた。
武を養うために老いても鷹狩りを好み、
鉄砲や剣術の訓練を止めなかった。また兵法の訓練のために囲碁将棋
を好み、本因坊算砂・大橋宗桂らを招いて自ら囲碁将棋を楽しみ武を
講じた。
4 :
發 ◆xFjUUUHrqM :2007/11/18(日) 12:35:54.07 ID:a3JUuO0u0
それは、質実剛健なお暮らしぶりでございました。
5 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:36:55.78 ID:9hW/a+Hr0
家康個人の性格、嗜好は別にして、江戸期は中期から近世に分類される。
老中、奉行制度により正統派官僚が育ち、
公事方御定書等も制定など中世的な
人治国家から法治国家への移行が基礎付けられる。
無論、江戸初期の幕府の志向性を決定付けるものとして
幕藩配置、諸法度の類も重要である。
近代は個人に依存せず、統治者個人の裁量権を限定させ
(三権分立、主権在民の目的である)組織によって社会が動かされる。
例え個人が倒れても、別の人間で十分代替される制度。
謀反人を殆ど出さず、豊臣恩顧の大名を手懐けた家康の人心掌握力は当代随一であろう。
しかし、選挙という人気投票で統治者が決定される時代では無い上に、
後世の人気という、「統治に関係しない人気」など最もどうでもいい。
合戦、謀略、人心掌握、内政など統治の為の手段でしかない。
6 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:39:11.33 ID:Fuba0/zX0
そんなことより忠勝の話しようZE!
7 :
發 ◆xFjUUUHrqM :2007/11/18(日) 12:39:22.35 ID:a3JUuO0u0
すべてお家大事の為の所作にございます。
8 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:40:56.20 ID:9hW/a+Hr0
家康の律義さというのは単純な性格の問題ではなく、「生き残る」ための究極的な知恵の結実のように感じる。
一族というか、その家臣団も含めた、彼自身が主宰する「徳川家」という社会が生き延びるために。
何よりもすごいと感じられるのは、その「社会」を守るためには、目先の利益に惑わされず、時には遠回りしながらも、必要だと思えば本人の命ですら使い捨てに出来た事。
そして、領土や兵力、金銭というものの力を知り尽していながらも、最も価値のある財産が「信用」であることを理解していた事
9 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:41:24.89 ID:jkifIti0O
こんなの見ると昔の日本人は凄いと思う
10 :
發 ◆xFjUUUHrqM :2007/11/18(日) 12:42:25.21 ID:a3JUuO0u0
権現様の律儀、岡崎以来の三河武士の堅い結束はそれは見事なものでございました。
11 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:42:30.01 ID:NL7VYcIB0
俺、城に帰ったら鯛のてんぷら食うんだ…
12 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:43:24.62 ID:rbw+vBRi0
謀叛したいな
13 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:46:44.30 ID:WDHMUnsEO
海禁政策
14 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:48:41.11 ID:CdXpE40AO
15 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:50:04.19 ID:rU2EGQl3O
たぬきおやじ
16 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:50:59.36 ID:9hW/a+Hr0
封建制度のしくみ
____
│ 将軍 │
 ̄ ̄ ̄ ̄
奉公↑ ↓ピザ
____
│ デブ │
 ̄ ̄ ̄ ̄
17 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:51:50.11 ID:UG4LoZYQ0
本多忠勝!出撃せよ!
18 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:55:46.85 ID:9hW/a+Hr0
家康が本多正信に語る。
「豊臣家子飼の大名達、ああも無節操に裏切れるものか。喜ぶ反面、心が、冷えたわ・・・
せめて三成のような家臣がいて、太閤殿も初めてうかばれたであろう・・・
これからは我が徳川家、三成のような家臣に恵まれれば良いが。義、忠義の家臣にのう」
後世、徳川幕府は、朱子学を取りいれ、武家の倫理を厳しく見るようになる。
19 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:56:17.13 ID:0lG7e3S50
てんぷらうめぇwwwwww
20 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 12:57:11.17 ID:07pMjrHP0
アイツ村正に弱いんだぜ・・・
21 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:00:59.54 ID:8umfz1GNO
蜂須賀とホモだちです
22 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:13:23.12 ID:9hW/a+Hr0
家康は他人(人間)に対する恐れと敬意を死ぬまで持ち続けたという感じ。
祖父、父が殺され、自分が僅かな銭で売り飛ばされ、
譜代の家臣に一向一揆で背かれ、息子と嫁を殺したという経験が、
部下や同僚には信頼感を与えるように接し、同盟者には律儀であるようにさせたと思う。
秀吉は晩年は他人に対する恐れとか敬意を放り捨てたというかたがが外れた観がある。
家康の律儀さは反省を知ってるって事かな。
年齢に追って器量が増しているのが家康の良いところだ。
信長が晩年多少傲慢な面が多くでて、不幸を招いたし
秀吉も死ぬ前の2年だけで、現在も悪口言われ放題だ。
家康は死ぬまで家康で有り続けたと言うか。器量を発揮し続けたと言うか。
これは口で言うほど、簡単な事ではないだろうなあ。
23 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:16:28.99 ID:9hW/a+Hr0
織田信長 → 信長の野望
豊臣秀吉 → 太閤立志伝
徳川家康 → 狸脱糞伝
24 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:17:36.18 ID:bZ7hcKP+0
25 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:25:59.32 ID:TAdPAXmX0
26 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:43:31.48 ID:9hW/a+Hr0
,. -‐'""¨¨¨ヽ
(.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ!
|i i| }! }} //|
|l、{ j} /,,ィ//| 『方広寺の鐘に・・・「国家安康君臣豊楽」と書いたら家康がキレた・・・!』
i|:!ヾ、_ノ/ u {:}//ヘ
|リ u' } ,ノ _,!V,ハ | な… 何を言ってるのか わからねーと思うが
/´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 おれも 何が起こったのか わからなかった…
/' ヾ|宀| {´,)⌒`/ |<ヽトiゝ 頭がどうにかなりそうだった…
,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉 屁理屈だとか豊臣家攻撃の口実だとか
|/_/ ハ !ニ⊇ '/:} V:::::ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ
// 二二二7'T'' /u' __ /:::::::/`ヽ もっと恐ろしい狸の 片鱗を味わったぜ…
/'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ /::::/-‐ \
27 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/11/18(日) 13:57:01.16 ID:9hW/a+Hr0
家康公遺言碑
わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも
四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
元和2年(1616年)
4月17日の巳の刻
駿府城にて眠る
28 :
以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:
家康公遺言碑
わが命旦夕(たんせき)に迫るといへども、将軍斯(か)くおはしませば、天下のこと心安し、
されども将軍の政道その理にかなわず億兆の民、
艱難(かんなん)することあらんには、たれにても其の任に代らるべし、
天下は一人の天下に非(あら)ず天下は天下の天下なり、たとへ他人天下の政務をとりたりとも
四海安穏(しかいあんのん)にして万人その仁恵を蒙らばもとより、
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし
元和2年(1616年)
4月17日の巳の刻
駿府城にて眠る