文才無くても小説書かないとすぐに落ちる

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283蠅の一  ◆HRyxR8eUkc
 人間とは何なのか。
……などと勿体を付けてみた所で、何も起こらない。いや、考えた所で何も起こらないのだ。
そもそも、人間とは何なのかと言っている時には実際には女の子に足を舐めてもらったり、抱きついてもらったりしたいという
ことの認識と、それと現実との懸隔を小異の物とするにはどう理解し解釈すれば良いかを頭の80%ぐらいを使って考えている
んであって、働いていない頭の残り20%は働いていないのと同じと見做せる。大体そうやって考える時の20パーセントは
フルに20%使っても0.1パーセント分ぐらいにしかならない上、その内の7割以上何か食べたいとか、一日中寝て過ごしたいとか、
どうでもいいことに使われてる気がするのだ。
 それは兎も角、絶対にありえない事だが何か難しいことを自分が考えたとして、それは自分が人間だから考えるんであって、
人間であることを再認識しているに過ぎないのだ。つまり自分がほんとにキクイムシとか、天道虫とか、金蠅とか、
ミュータンス菌とか、よくわからないがそういう類のものだったりしたとすると、そう云った事を考えることは無いだろう。
 つまり金蠅に附いてそれが何か考えるよりは、手前の頭の蠅でも追えと云う事なのだろうか。
なら何故手前の頭の蠅がそんなに大事なのかをまず考える必要がある。手前は下らないが、頭の蠅はそんなに大事なのか。
別に大事でもないだろうが、考えることは大事だろう。つまり人間であることは何よりも大事なのだ。
自分はキクイムシになってしまった瞬間に、自身の人間としての生活を剥奪されてしまうのであるから、
そこに思考が介在しては困るのだろう。金蠅が考えるなんてとんでもない。そんな怖ろしいことはない。
あっという間に王国か帝国かが誕生してしまって、戦争が始まるだろう。そうすれば人間に勝ち目があるか怪しいものだ。
 なんせ考える葦である。考えるところを取ってしまったら、何も残らない。考えて考えて、それでこその圧倒的優位で
あるから、考える時間を他の動物が持つなんてこと、まかり間違っても、それこそ地球上のあらゆる所にある、あらゆる種類
の生物によってあらゆる時に生み出された全ての屎尿が、夥しい数の蠅に覆い尽くされるという事があっても、蠅が一生懸命
考えるという事だけはあってはならない。
 そこまで考えて、一寸休むことにした。次に俺は犬について考えた。
犬ならば、例えば人間が支配下に置かれそこで使役されて、餌を作らされるとか、毛の手入れをさせられるとか、
糞を拾わされるとか、そういった心配は無いような気がする。しかし次の瞬間には、俺はインスタントラーメンの蓋を開け、
そこにお湯を注ぎ、箸を持ってその汁の中に箸を浸し、麺を掬って食う所まで具(つぶさ)に想像した。
俺は想像したと同時に、またそれを具に「観察」し、さらには「敬虔」したといっても過言ではないかもしれない。
あ……経験だった。しかし今現在の状態で俺は、女性の乳房より遥かに優れるインスタントラーメンという物を認識していたし、
それがもし犬にひっくり返される存在だったとしても、やはりそれは変わらなかったろう。今この部屋に犬は居ないが。
 女性の乳房なんて糞食らえだ。糞をひねり出すほどの値打ちも無い。蟻の屁よりも軽い。そう思った。兎角この世は生き
にくい。俺はそうも思った。