イスラム国の蛮行で暴かれる「韓国が知られたくない恥史」 [2/2] [転載禁止]©2ch.net
イスラム過激武装集団《イスラム国》と韓国が、小欄の頭の中で混ざり合った。
両者に共通するのは「民主主義とは異質な法治体系」の他「歴史への常軌を
逸した執着」ではないか。
片や歴史を遡り、現代の主権国家枠を否定。片や歴史を遡り、主権を捏造し
人権否定を覆い隠す。と、考えを整理していた1月23日、イスラム国の蛮行が
きっかけで、日韓併合(1910年)の正統性や、百ウン十万と報じられてもいる
韓国政府が行った自国民大虐殺など、「韓国が知られたくない哀史/恥史」へと
筆を走らせる仕儀と成った。
独立認めなかった米国
1月23日。イスラム国が拘束したジャーナリスト、後藤健二氏(47)の
ご母堂(78)は会見で、父親が日韓併合時代、朝鮮・馬山(マサン)に駐屯した
大日本帝國陸軍の部隊長だった旨示唆した。
調べると、朝鮮軍管区の馬山駐屯直轄部隊指揮官(中佐)がご母堂と
同姓だったが、追加取材はしなかった。
小欄の興味は、会見が誘った朝鮮軍管区を通して思い出した「韓国の
哀しい生い立ち」にある。
大日本帝國は1945年8月15日、大東亜戦争(1941〜45年)敗戦を
国民に知らせた。
無政府状態を憂う朝鮮総督府は《朝鮮建国準備委員会》設置を
比較的冷静・公平に対処できる朝鮮人指導者に要請した。
ソ聯軍侵攻→朝鮮人政治・思想犯の釈放・流出→朝鮮共産化→日本人への
掠奪・暴行…が想定され、朝鮮人釈放や治安維持への協力を取り付ける
意図もあった。
だが、自治組織に過ぎぬ委員会は45年9月6日《朝鮮人民共和国》を樹立し
“独立”を宣言してしまう。
一連の流れの中で、朝鮮総督の阿部信行・陸軍大将(元首相/1875〜
1953年)や朝鮮軍管区司令官の上月良夫・陸軍中将(1886〜1971年)が
総督府はじめ主要な建物から日章旗を降ろし、太極旗(現韓国国旗)を掲揚させる。
しかし“独立宣言”直後、進駐した米軍は太極旗を降ろさせ、日章旗を再び
掲揚させた。
米軍の軍政が本格的に始まるや、日章旗が星条旗へと付け替えられた。
なぜか−