【台湾】 西武球団・坂井保之元社長 巨人と展開した郭泰源争奪戦秘話 [6/9]

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1オリエンタルな名無しさん@転載は禁止
今ひとつ調子の上がらぬ巨人は4月なかば、「キューバの至宝」と呼ばれたセペダを獲得したが、
かつて大変な争奪戦が繰り広げられたのが「オリエント・エクスプレス」と呼ばれた台湾の至宝・郭泰源。
スポーツライターの永谷脩氏が、当時の争奪戦のエピソードを綴る

 鎌倉の奥座敷に『琴』という小粋な小料理屋がある。私と坂井保之は、会うと必ずここで一杯飲み交わすのが常だ。
坂井はかつて3球団の球団代表を務めた経験を持つ、プロ野球経営のエキスパート。今でこそ親しくさせてもらっているが、初めて会った時は大変だった。
 
約40年前、私は少年誌で「12球団こども会総めくり」という企画をやることになった。しかし広島と
太平洋クラブ(現・西武)以外は相手にしてくれず、話を聞いてくれることになって訪ねた太平洋の
球団事務所でも、約束の時間になっても誰も出てこない。たまらず大声を出したら、裏から坂井が飛び出してきた。
 
太平洋は慢性的に資金繰りに苦労していた球団で、正直「こども会」どころではなかったはずだ。しかし坂井はこう言った。
「活きのいい兄ちゃん。それだけ言うなら何かいいアイデアがあるんだろう。言ってごらん」
 
当時は少年野球マンガ全盛だったので、『一球さん』(水島新司)の使っていた帽子を、実際の試合で
被るのはどうでしょうかね、と言うと、「そりゃグッドアイデアだ」と手を叩いて喜んでいたのを覚えている。坂井に褒められるのは嬉しかった。
 
この一件の後、坂井とは何でも話せる関係になった。実はこの頃、私は江川卓を追っており、
ライオンズとは微妙な関係だったが、坂井は違った。
ある記者が、「なぜ永谷だけ許すのか」と聞いた時、坂井が「彼の行動はお前らとは違う」と言ってくれたのも、また嬉しかった。
 
だが命をかけた仕事となると、事情は別だった。球団の親会社が西武に変わり、坂井はそのまま球団代表に就任。
その後、西武は1984年のロス五輪に出場した郭泰源にいち早く目をつけ、巨人との熾烈な獲得合戦に突入する。
台湾のエースを巡る情報戦では、坂井は本音を喋ろうとはしなかった。ただ1つ、内緒で教えてくれたのは、
台湾チームよりも1日早く所用で台北に帰る、泰源の兄が乗る飛行機の時刻だった。

坂井たちは五輪後に台湾に渡り、郭兄弟の説得に当たった。後に坂井から聞いたところによると、
この時点で巨人はすでに、泰源に白紙の小切手を2枚渡していたという。先に目をつけていた選手を“横取り”されては敵わない。
 
坂井らは急ぎ契約を結んで入団発表を実施、会見の前にその小切手を破らせた。会見を急いだのは、
「巨人・王貞治監督が訪台する」という情報をキャッチしていたからだ。台湾でも英雄視される王監督が来て、
泰源に接触すれば、何が起きるかわからないという思いがあっての決定だった。

一連の獲得合戦は、私も現地で取材していたが、私のような野良犬ごときには敵う世界ではないと思った。
その時の苦しさは今でも忘れられない。坂井は発表後しばらく姿を消し、どこに隠れたか、決して口を開かなかった。

この時の取材中、郭泰源の姉に聞いた話が印象的だった。
「台湾人は貧しいから誰でもお金がほしい。泰源もそれを考えてくれればいいのに。でも最初に
井戸を掘ってくれた人のことを忘れないのが台湾人だから」

坂井はダイエーの球団代表を辞めた後、しばらく鎌倉市観光協会の専務理事を務めた。ゴルフが趣味で、
「鎌パブ(鎌倉パブリックゴルフ場)の鬼」といわれる赤チタンドライバーの名手。とにかく負けず嫌いで、
今でも私に飛距離を10cmでも超されると大騒ぎする。80歳を越えても、無邪気なものである。

統一球問題、コミッショナー問題など、最近の球界は細かなことばかりが騒がれるが、坂井のような人物がいれば、
球界はもっと面白くなるような気がしてならない。
※週刊ポスト2014年6月13日号


NEWSポストセブン
http://m.news-postseven.com//archives/20140608_258874.html?PAGE=2
2オリエンタルな名無しさん@転載は禁止:2014/06/09(月) 07:11:47.32 ID:tH2Ux1nc
永谷は病気療養中じゃなかったはずはが
3オリエンタルな名無しさん@転載は禁止:2014/06/09(月) 08:17:13.70 ID:nOX9qDbf
あいつは、常に投球前に帽子のつばをさわってたんだよな。
マツヤニでも付けてたのかと思ってみてた。
4オリエンタルな名無しさん@転載は禁止:2014/06/09(月) 08:27:35.06 ID:CLB+B30s
荒川強啓
そもそもこの落合さんと原さんというのは、
そういう犬猿の仲でずーっと歴史を重ねて来たんですか?
永谷
落合選手が中日からFA第1号で巨人に行ったときに
そのポジションを追われたのは原監督でしょ?


原がファーストだったのは92年で落合が巨人入りしたのは94年
スポーツライターを名乗っていながらこんないいかげんなことばかり書いてる


気がしてしょうがない
5オリエンタルな名無しさん@転載は禁止
台湾人は「井戸を掘ってくれた人の恩を忘れない。」と言う。

井戸を掘ってくれた人を井戸に突き落として「オレが掘ったニダ。」と言う某国人とはえらい違いだ。