【新刊】「朝鮮の不公正な法が日本に植民統治の口実を与えた」ト・ミョンフェ著『韓国近代刑事裁判制度史』[14/04/20]

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「笞刑(ちけい)は、受刑者を板の上で腹ばいにさせ、両腕を広げさせ…」

「執行中に受刑者が悲鳴を上げる恐れがあるときは、濡らした布で口をふさぐ」

これは、昨年検定を通過した一部の高校用韓国史教科書にも載っている「朝鮮笞刑令」の施行規則だ。
朝鮮人だけに適用されたこの笞刑の規定を読むと、日本による植民統治の野蛮さがおのずと分かる。

しかし、韓国史を研究するト・ミョンフェ大田大学教授は異議を唱えている。

「笞刑が甲午改革期に廃止され、その後植民地時代に復活したと記述している概説書や教科書も多い。しかし
 笞刑は、甲午改革期に廃止されたどころか、中央・地方で法的な限度を超えて人命を損なうほどに濫用された」

植民地時代の笞刑は、突然天から降ってきたのではなく、大韓帝国期の刑罰制度の延長線上にあるというのだ。
旧韓末の刑法の近代的変化を研究する著者の関心は「韓国はなぜ日本の植民地になったのか」という疑問から
出発している。その原因としてト教授は、刑事裁判制度の反動化に注目した。不公正な裁判など大韓帝国の無能に
背を向けた民心が、日本の近代的な文明改革に向かったというのだ。

朝鮮王朝時代において、郡守や観察使などの地方官は司法権と行政権を併せ持つ存在で、明確な法の規定なしに
人民を拘束したり、刑罰を加えたりすることができた。1894年の甲午改革で刑事裁判制度が近代的に改革され、
民衆の身体や財産権の保護が改善された。司法官が裁判を確定させる前に刑罰を執行することはできず、軍律を
除く全ての犯罪を司法官だけが処罰できるように一元化した。民事裁判と刑事裁判も分離した。旧来の
「五刑(笞・杖〈じょう〉・徒・流・死)」のうち、杖刑と徒刑は廃止して懲役刑を導入し、両班を含む全ての
国民に等しく刑罰を適用した。

問題は、大韓帝国期にこの改革措置が覆され、当初の趣旨通りに裁判制度が民衆の生命や権利を守るということが
できなかった点だ。高宗は、裁判権を司法官に帰属させる措置が郡守の統治権を侵害していると考えた。勅任官・
奏任官を逮捕したり、国事犯を流刑に処したりする場合や、死刑に処すべき者に判決を言い渡した後には、必ず
国王の裁可を得るようにした。賄賂や請願が横行し、裁判は公正に行われなかった。地方官は依然として司法権を
掌握し、蓄財や弾圧の道具として用いた。

1905年の乙巳(いつし)条約(第2次日韓協約)後、日本はこの弱点を狙った。「韓国には裁判制度がないと
いえるほど、裁判制度が不完全」。伊藤博文・初代韓国統監はこのように酷評している。韓国人は虐政に
苦しんできたのだから、国政を改善すれば容易に民心を獲得できると考えたのだ。裁判制度の植民地的近代化は、
こうして行われた。600ページ、3万7000ウォン(約3560円)。

ト・ミョンフェ著『韓国近代刑事裁判制度史』

ソース:朝鮮日報
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/04/20/2014042000147.html