中国メディア・大河網は8日、今年の清明節に旧日本軍の投稿文書がネットで注目されたことを紹介するとともに、河南省??河市にある「受降路」という名の通りについて伝える記事を掲載した。
記事によれば、かつて「竹木街」と呼ばれていた通りは日本兵がよく往来していたという。1945年8 月に日本が降伏すると、日本人は中国軍の指示により道路を補修した後現地から去っていた。
そして1945年12月、中国の司令官らの発案により降伏記念のシンボルとして碑と「受降亭」を設置、通りの名称も「受降路」に改められたのだという。
しかし、道幅の拡張などによっていつの間にかなくなってしまったとのこと。そこで、「受降亭」の再建 に加え、愛国主義映画館を設置した「受降記念広場」の建設が5月1日のメーデー休暇の完成に向けて進 んでいるというのだ。
「受降路」のネーミングについて記事は、現地を訪ねた南京大虐殺記念館のスタッフが「日本人が作った からこの名が付いたが、世界でたった1つだろう」と語ったとした。
記事はまた、ラク河が日本の投降受諾地になった経緯などについても当時のエピソードを交えながら紹介した。
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/379033/ 依頼元
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plusd/1396134974/267