ハーバード大学のエズラ・ボーゲル名誉教授が書いた『トウ小平評伝』(民音社)に、印象的な記述があった。1980年代初め、広東経済特区が改革・開放政策のおかげで活気を帯びると、中国内部に敵が現れた。
広東だけが繁栄する資本主義の実験に、反対派は黙っていなかった。開放直後のこの時期、中国では密輸が増え、公務員の腐敗も著しく増加していた。開放政策の敵は、広東のこうした弱点を突いたのだ。
北京の共産党の官僚は、外資導入・工場設立などをめぐる政府の規制について「広東だけを例外と認めることはできない」と言い出した。ほかの地域の反発も格好の材料になった。
慎重に開かれた中国の「南大門」(市場経済の例え)、再び閉じられかねない瞬間を迎えた。
そのとき、トウ小平が乗り出した。「あそこは経済特区であって、政治特区ではない」。政治の論理に巻き込んではならない、と警告したのだ。
日本では20年にわたり不況が続いたが、小泉純一郎首相の時代は好況に沸いた。景気回復の立役者は、竹中平蔵氏だ。
小泉首相は、慶応大学の教授だった竹中氏を入閣させる際「大変な戦いになるだろう。一緒に戦場に行こう」と悲壮な覚悟を語った。
竹中氏が戦うべき敵は、官僚と自民党だった。竹中氏はまず、規制を打破するため、主要省庁のエリート幹部を呼び集めた。
官僚を最もよく知る人物は、まさにその同僚だと考えた。こうして集められたエリート官僚が、規制の輪を壊す「特攻隊」役を務めた。
与党はさらに大きな敵だった。規制改革が壁に突き当たるたび、小泉首相がカメラの前に立った。官僚集団に対しては「一握りにもならない公務員」とののしり、攻撃した。
「自民党をぶっ壊す」という発言も飛び出した。自分を首相の椅子に座らせた与党すら、抵抗するなら解体する、と脅したのだ。こうして小泉首相は既得権勢力と戦い、4年8カ月もの長期にわたる好況を作り出した。
韓国の朴槿恵(パク・クンヘ)大統領は「規制は障害の塊。打ち壊すべき敵」と語った。
「一度食らいついたら肉を完全に食いちぎるまで離さない『珍島犬』精神で」働けという圧迫に対し、公務員は不満の表情を浮かべている。
朴大統領が「ただならぬ覚悟」「切迫した最後のチャンス」という表現を使い、しまいには討論会で面と向かって長官を叱りとばした、と舌打ちする人もいる。
小泉首相に比べれば、朴大統領の言葉は品位を損なっているわけでもなく、誰かを刃物で刺すようなレベルでもない。
景気回復のためならば、指導者はこれ以上ないほど激しい言葉で相手を攻撃し、時には行動を起こして相手に不利益を被らせるもので、それでこそ国民もすっきりするというものだ。
韓国経済が現在ぶつかっている障壁は、非武装地帯(DMZ)と変わらない。国会議員や公務員があちこちに「出入り禁止」の看板を立て、鉄条網を張り巡らしている。ベンチャー企業が割り込める場所はない。
自分たちだけの楽園にいる大企業は、既得権を守ろうとしてドアを開けない。公企業という高い城では、政権が変わるたびトップが交代するだけだ。
DMZではノロジカが駆け回り、天然記念物も見られる。しかし足を踏み外すと、地雷が爆発し、銃弾が降り注ぐ。韓国経済も、DMZの風景のように一見平和だが、脱出口がない。
誰かが突破口を開かなければ、サムスン電子・現代自動車といったごく一部の「貴重種」の姿に満足して歳月を過ごさなければならなくなる。
実際、朴大統領が最近やっていることは、どれも昨年初めに取り組んでおくべきことだった。当時、景気が回復する気配すらなかったというのに、新政権は福祉の必要に迫られており、経済民主化で飾りつけた。
秋になってようやく、景気回復の遅れを悟った。経済革新3カ年計画や規制撤廃作業を政権発足当初に始めていれば、韓国は今ごろ好況ムードに包まれていた可能性が高い。
今、方向は定まった。しかしDMZを突破する指揮官は見当たらない。トウ小平は、改革・開放を推し進める中、開放派に属する共産党の長老や広東省の党書記長に実務の責任を任せた。
この人々が反対派に攻撃されて、難しい立場に立たされると、現地を訪問して直接激励したり、党に指針を下したりした。「特区は必ず実行すべきです」
(中略)
朴大統領が、規制撤廃・経済革新に政権の勝負をかける、ただならぬ決意でいるのなら、トウ小平や小泉純一郎のように、まず経済面における自分の「分身」を探すべきだ。
DMZの地雷や鉄条網を取り除く特攻隊は、どこにいるのか。
【コラム】トウ小平、小泉純一郎、そして朴槿恵
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/03/30/2014033000296.html