【日中】中国から離れると日本はうまくいく― 日中離反の歴史学(2) - 石平(拓殖大学客員教授)[2/01]©2ch.net

このエントリーをはてなブックマークに追加
1ねこ名無し ★@転載は禁止 ©2ch.net
【コラム/石平】中国と距離を置いた政権は長続きする…平安時代から如実になった日中離反の歴史学[01/31](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1422701507/
上記スレの続編記事

◆秀吉の失敗に懲りた徳川政権◆
 室町幕府が崩壊したあとの戦国時代、大いに活躍して天下統一の偉業を成し遂げていったのは織田・豊臣・徳川の三人の武将であったが、この三人のなかでは唯一、中国大陸に多大な関心をもったのが豊臣秀吉である。
織田信長の死後、一応の天下統一を果たした秀吉は、中国大陸に攻め込んで明王朝を倒して、自ら中国の寧波に移り住んで中国と日本の両方に号令するという途方もない野望に燃えたのである。
そのために彼は、全国の大名たちを総動員して朝鮮半島経由の大陸征服戦争を仕掛けた。だがその結果は、周知のとおりの大失敗である。秀吉の日本軍は中国の入り口である朝鮮半島で二度の敗退を喫した。

 まさにこの征服戦争の失敗によって、その後の豊臣政権は一気に衰退の道をたどる。
朝鮮出兵に対し配下の大名たちが賛成派と反対派に分かれたため政権内部に亀裂が生じ、戦争の遂行によって豊臣家の蓄えた富もかなりの部分を遣い果たした。
秀吉の死後には天下の実権が徳川家康に移り、豊臣家はやがて破滅の結末を迎える。考えてみれば、強大な豊臣政権を破滅へと導いたその出発点は、まさに秀吉自身の抱いた中国大陸へのしょうもない野望だったのであろう。

 豊臣家を滅ぼして天下を取った徳川政権は、秀吉の失敗に懲りたのか、「島原の乱」のあとは一貫して「鎖国政策」をとることとなった。
徳川幕府の時代、対中国関係に限っていえば、幕府は中国と国交を結んだことは一度もなく、貿易関係も長崎の「唐人屋敷」だけを窓口とする限定的なものであった。
総じていえば、江戸時代の日本は、中国大陸との関係が非常に希薄なのである。

 そしてこの江戸時代の260年間こそ、まさに「平和と安定」の名にふさわしい天下泰平の時代であり、経済と文化が空前の繁栄を極めた時代でもあった。

 このようにして、平安時代から江戸時代に至るまでの、日本の「治」と「乱」の歴史の変遷を見てみると、それはやはり、その都度の日中関係の持ち方と深い関係があるように見えるのである。
平家政権、室町幕府政権、そして豊臣政権、中国に接近して関係をもった政権はことごとく短期間で崩壊したのに対し、中国と没交渉か関係の薄い平安時代や江戸時代においてこそ、日本史上もっとも安定した繁栄の時代が出現した。

 やはり、日本が遣唐使の派遣を断って自らの文明文化をつくり上げた平安時代以来、できるだけ中国大陸から離れること、できるだけ中国の政権と一定の距離をもつことは、日本にとっての唯一の正しい道であり、
日本人にとってのもっとも賢明な選択なのである。そしてその逆はむしろ、日本にとっての災い以外の何ものでもないのだ。

◆中国大陸に深入りした昭和時代◆
 じつは近・現代史になってから、このような不思議な法則性がよりいっそう明確なかたちで現れてくる。たとえば昭和時代を概観してみると、昭和6年から20年までの14年間、日本は「満洲事変」を引き起こして中国大陸に本格進出して、
やがて中国との全面戦争に突入した。有史以来、日本がそれほどまでに中国大陸に深入りしたときはほかにはないが、まさにこの14年間、日本はもっとも苦難に満ちた激動の時代を経験し、
太平洋戦争の敗戦による外国軍の本土占領という、日本史上最悪の結末を迎えたのである。

 昭和20年の終戦から昭和47年の日中国交回復までの27年間、日本は再び中国大陸と隔離された関係となった。しかしこの期間中、日本は驚異的な高度成長を成し遂げて戦後の繁栄と発展を築き上げることができた。
中国とは没交渉のこの27年間こそ、日本の戦後の「黄金時代」だったのではないか。

http://blogos.com/article/104493/

>>2以降に続く)
2ねこ名無し ★@転載は禁止 ©2ch.net:2015/02/02(月) 09:15:17.35 ID:???
>>1の続き)

 いつの時代でも、歴史はつねに、「中国と距離をもったほうがいいぞ」との不変な法則を、まさに「天の声」をもってわれわれに教えているような気がする。

 そして日本の歴史上、指導者階層がこのような「天の声」に耳を傾けて、中国という「災いの元」からできるだけ遠ざかる戦略を進めたときに日本はつねに成功して繁栄できた。
だが、それとは反対の方向性へと指導者たちが走っていったときには、日本は往々にして深刻な危機を迎えることとなる。

◆日本独自の道を歩もう◆
 以上、拙著の『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』の論考において導かれた日中関係史の「法則性」というものであるが、このような視点からすれば、中国が反日という「伝家の宝刀」を抜こうとするこの2015年と今後において、
われわれはこの隣の大国といったいどう付き合うべきかは、もはや明確になっているのではないかと思う。

 そう、先人の成功と失敗の両方を学び、その知恵と教訓からわれわれの引き出す唯一の正しい答えは要するに、できるだけ、かの国と距離をおいて日本独自の道を歩もう、との一言に尽きる。

 中国という国と感情的・心理的距離をできるだけ置くことによってこそ、われわれはかの国のなかで行なわれている一方的な反日キャンペーンを遠くから冷めた目で眺めるような余裕ができ、
それに対する過剰な反応を避けることもできるのである。

 彼らがヒステリーな反日に走っていても、われわれは彼らと同じレベルで感情的反応を起こさずにつねに冷静な態度で日中問題を処理すれば、それが逆に日中関係の安定化にも繋がるのである。

 国際政治のグレートゲームにおいても中国とできるだけ距離を置くことによってこそ、日本はより大きな展望に立ってスケールの大きな地球儀外交を展開できるのである。
単独で見れば中国という国のサイズはとてつもなく大きく見えるのだが、より広い視点で見れば必ずしもそうではない。アジアは中国だけではない。インドもあればベトナムもあり、インドネシアもあればフィリピンもある。
そして中国大陸の北のほうには広大なロシアの大地が広がっており、南シナ海の向こうにはオーストラリアというもう一つの大陸国家がある。
そういう国々は全員、日本にとっての潜在的あるいは顕在的友好国であり、日本が今後大いに連携していくべきパートナーなのである。

 日本は経済と国際政治の両面においてそれらの国々とより緊密な関係を築くことができれば、中国はべつに怖くはないし、中国との関係のギクシャクが日本の国際的地位と安全保障の基盤を揺るがすこともない。
そして逆に、国際的立場が強化された日本はもっと余裕をもって中国と是々非々で渡り合うことができ、日中関係はむしろより安定した健全なものとなるであろう。

 そして最後、今後において中国経済は史上最大のバブルの崩壊にともなってとどまるところなく転落していくなかで、日本の経済界が「バラ色の中国市場」に対する熱い幻想をあっさりと捨て去り、
中国と距離を置くような方針に転じるのであれば、それは将来の日本経済にとってもむしろ吉であろう。距離を置くことによって日本経済は、中国経済転落の道連れにされた韓国の二の舞にならずに済むし、
より大きな視野での国際戦略を展開することによって日本の未来の繁栄を保持することができるのであろう。

 とにかく、心理的な面においても、国際政治と経済の両面において、中国と距離を置いてより広い視野での国際戦略を展開していくことこそ、われわれの歩むべき正しい道であり、日本の未来にとっての保障となろう。
それはすなわち、かつては中国人だった筆者が、この2015年の冒頭に、日本と日本人に呈したいささやかな助言なのである。

(月刊誌『Voice』2015年2月号より)

プロフィール
石 平(せき・へい)拓殖大学客員教授
1962年、中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。1988年来日、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。
著書『なぜ中国から離れると日本はうまくいくのか』(PHP新書)が第23回山本七平賞を受賞。

(おわり)
3<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:20:37.36 ID:7VmycA03
脱亜論
    _,,,,,,__  __,,,
  ..ィjj)))))))))!!!!!彡ヽ,  【福沢諭吉の脱亜論】
 /ミ/         ,}彡ヘ   支那韓国は日本にとって百害あって一利無し
 |ミ{ -‐ ‐ ‐ ‐-  {三=|   我日本の国土はアジアの東辺に在るが其国民の精神はすでにアジアの古い考えを脱して西洋の文明に移った。
 El==; ゚ ''==. |ミミ,|    .ところでここに不幸なことには近隣に国があり
  `レfォ、,〉 :rfォ.、,  !iル┤   一を支那と云い、
  { `¨ i ・、¨ ´  `{ゞ'}   .一を朝鮮と云う。
  | ‘`!!^’ヽ     .「´   ...日本国の子孫たちよ、この二国の者共は一身につき、又一国に関して改進の道を知らず。  
  .! ,-ニ'¬-、  ,!|,_      一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、その実際においては真理原則の知見が無いのみか、
   \´ ̄`  / ∧ヘ、       道徳さえ地を払って残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者のようだ。
  .__/〉`ー ' ´ /  〉 \        我が国は隣国の開明を待って共にアジアを興す余裕はない、むしろその仲間を脱して西洋の文明国と進退を共にし、
_,ィ´「∧    /  /    )¬ー- 、_    その支那朝鮮に接する方法も隣国だからと特別の付き合いをする必要はない
5<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:25:41.95 ID:ORrNcV8c
宇宙のと〜い星を支那朝鮮にプレゼントしたい。
【狂暴国家中国の正体】 扶桑社新書
楊海英(著) 扶桑社 2014/8

  日本は、中国の少数民族と同じ轍を踏むな!
  中国に幻滅し、中国籍を捨てた気鋭のモンゴル人学者が説く、日中関係論

中国・内モンゴル自治区では文革時、
「過去の満洲国時代に、日本人に協力した罪」
を口実に、27万人が殺害され、12万人に身体障害が残るという大虐殺が行なわれ
た。

最終的な死者は30万人とも推察され、著者はその惨状を幼少期に体験した。

「海に囲まれた日本と草原に囲まれたモンゴルの対中感覚には近似性があり、一方
で、漢族地域と長きにわたり地続きで対峙してきたからこそ知り得た、中国人の習性、
弱点がある」
と楊氏はいう。

また、「内モンゴル」とはいわゆるかつての満蒙の一部であり、日本人がモンゴル人
や満洲人とともに満洲国を建設した地である。

故郷を一にする立場からも「日中友好」などという空疎な理屈ではない対中政策を、
と警告する。
>>1
すると、遣唐使の廃止を決めた菅原道真公は大功臣だな。
逆に、平清盛や足利義満なんかは・・・
これまで何かと中国に幻想を抱いてた人たちも
テレビや観光客とか中国人の民度の低さに遭遇するととたんに中国嫌いになるから
昔からこの流れってあったんだろうなーと思う
9<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:48:53.44 ID:tTc8W+wI
チャイナは道教(儒教)を選ぶという最悪の選択しちゃったからな。

これが国を衰退させ、人心を腐らせていってしまった。
とどめは共産主義
石恵?
中狂が生きてるうちは
もう深く関わる事も無いだろうけど
死んだらわからん
12<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:52:23.45 ID:64oEugss
基本的に日本人は中国皇帝がいない中国を認めない。記憶がDNAに刻まれ
てるから
13眼鏡男の名前は山本真@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:52:33.89 ID:OGnRMG6I
石平さんはたしか日本国籍とったんじゃなかったっけ?
違ったらごめんよw
日本に関わった国すべてが不幸になる
15眼鏡男の名前は山本真@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:54:23.87 ID:OGnRMG6I
>>12
どこかの在日さんは
「シュウキンペーが中国皇帝にだ」って言ってたよねw
16<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 09:59:42.37 ID:LXOvGIr/
いしだいらさんに全部
17眼鏡男の名前は山本真@転載は禁止:2015/02/02(月) 10:00:57.30 ID:OGnRMG6I
>>16
石田衣良って本名の苗字が石平なんだよな
18<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 10:08:41.61 ID:XG7wBXct
俺は日本人だけど、中国皇帝は習朝の習近平と確信している。
属国韓国の元首が近平皇帝の側室の貴妃の朴クネ婆だろ。
これは世界地理で習ったことだよ。
>>13
日本に帰化手続きを取って、
日本国籍を得たことを報告するために、伊勢神宮を参拝して来られたそうです。
数年前、やしきたかじん存命の頃の委員会で、そう言ってました。
20<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 10:14:29.88 ID:UGdWUBKU
中韓を離れるのが最上

もういい加減に、過去から学べよ

政府も経団連もバカばかり・・・
21<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止:2015/02/02(月) 10:19:15.37 ID:cgaJ7j0B
中韓の金喰らってる奴を炙り出せ。
中国から離れると世界はうまくいく
>>21
伊藤忠だな。
24<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん@転載は禁止
台湾開発の人材育成機関であった拓殖の人間の発言だと思うと興味深い