【韓国旅客船沈没】乗員たちのあきれた言い訳に国民激怒[04/19]

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1ロンメル銭湯兵 ★@転載禁止
  脱出した乗員たちが本紙に語った弁解の数々

 生存者たちの証言によると、「左に傾いた感じ」がしたセウォル号の乗客に対し、
船から脱出するようアナウンスがあるまで1時間23分かかったという。このとき、
操舵(そうだ)室で何があり、なぜ救出時間が確保できず乗客の生死を分けることに
なってしまったのか、疑問が残る。また、船が90度に傾くまで乗員はどこにいて、
なぜ乗客の救助に当たらなかったのだろうか。

 そうした疑問に、生き残った乗員たちは「状況が瞬く間に悪化して手を打つ間もなかった」
と弁解に終始した。

 オ・ヨンソク操舵手(58)は本紙取材に「船で一番高いブリッジにいたときに船が傾き、
やっとのことでブリッジから脱出した」と語った。事故当日の16日午前4時まで勤務し、
船室で寝ていたオ操舵手は、船が傾いていることに気付くとすぐに操舵室に向かった。
午前8時54分ごろ、乗員8人と、ブリッジ近くの船室で寝ていたフィリピン人歌手2人の
合計10人が操舵室に集まったという。事故当時に2人1組で運航に当たっていた
パク・ハンギョル3等航海士(26)とチョ・ジュンギ操舵手(55)は「ヒーリング・ポンプ・スイッチ
(船のバランス装置)」に待機していた。イ・ジュンソク船長(69)は慌てて海図機
(海図を読む機械)をつかみ、「ヒーリング(heeling=排水ポンプで船のバランスを取る機械)しろ」
と叫んだという。しかし、ヒーリング機を操作しようとしたとき、船はすでに60度傾いていた。

 パク・キョンナム操舵手も本紙の取材に「すでにコンテナや貨物が全て一方に偏った
状態なのに、ヒーリング機が作動させられるのだろうかと思った。さらに悪いことに、
発電機が切れて全く動かなかった」と証言した。その間、案内係のパク・チヨンさん
(22、女性)=死亡=ともう一人の案内係が「船内から動かないで待機していてください」と数回にわたり放送した。

 60度に傾いていた船は約40分後に90度とほぼ垂直にまで傾いたという。
「この40分間になぜ乗員たちは乗客の救助に当たらなかったのか」という批判の声も上がっている。
オ操舵手は「ブリッジは船で一番高い所にあるので、まるで崖の上のような状況だった。
速やかに降りて乗客を助けたかったが、ホースをつかんで下りていこうとしたもののうまくいかなかった」と弁解した。

 また、乗員たちは救命ボートを広げようとしたが、船がひどく傾いた状態だったため
ボートのある場所まで近づけなかったという。突然、絶壁にしがみつくような状況になったため、
救命ボートは46艇のうち1艇しか出せなかったとのことだ。

 1等航海士が「左舷・右舷とも救命ボートの投下が不可能な状況だ」と報告すると、
船長はやっとのことで9時40分ごろ、「脱出命令」を出した。船はすでに85度まで傾いた状態だった。
オ操舵手は「85度から90度になるまで10分ほどかかったが、それくらいあれば船から
脱出することは十分できる。脱出命令が乗客たちにも伝わっていたかどうかは確認できなかった」と話した。

 ブリッジから脱出した船長と航海士約10人はちょうど現場に到着した海洋警察の救命ボートに
全員乗った。しかし、乗員が脱出してからかなり時間がたった10時15分になってようやく、
乗客に対して脱出命令のアナウンスがあったという。

 「沈没しそうだ」と通報を受けた済州海洋管理団の海上交通管制センター(VTS)は9時ごろ、
無線交信でイ船長に「救命胴衣を着用し、船を捨てる準備をせよ」と指示していた。
これについてイ船長は「船内放送システムが(浸水のため)故障して放送できない」と答えた後、交信が途絶えた。

 だが、船の中では10時15分ごろ、パク・チヨンさんが「海に飛び込んでください」
と最初にアナウンスしていた。それまで乗客に対して脱出命令は伝えられていなかったことになる。

ヤン・ジへ記者 , 木浦= イ・ミンソク記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2014/04/19 11:17
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