【慰安婦問題】 なぜ今「河野談話検証」?日本の魂胆は〜慰安婦の存在を日本の歴史から消し去ろうという意図[03/01]
【論説】正論1月号「慰安婦強制連行はなかった」…「朝鮮人女学生をからかうだけで抗議が起こった。強制連行などできるものか」★2[12/6]
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1323151447/ ここで大師堂氏は、虚構がいかにでっち上げられ、独り歩きを始めたのかを整理して提示したうえ
で、自身の体験をもとにこう記す。「婦女子の強制連行がなかったと思う根拠の第一は、もしも婦女子
の強制連行があったとすれば、その目撃者は強制連行された者の何倍もいたはずだし、いかに戦時
中であっても大きな抗議運動が展開されて当然であるはずだが、目撃証言も抗議運動も一切なかっ
た事実である」
傍証として大師堂氏は昭和4年の光州事件を取り上げる。日本人中学生が朝鮮人女学生をから
かったことが原因で、大規模な学生抗議運動が起こったのである。
からかっただけで学生抗議運動が起こる土地で、婦女子を強制連行したらどうなるか。常識で考え
ればわかるではないか。
【社会】怒りを全面に押し出す「右翼」と、内に怒りをたぎらせる「左翼」…「従軍慰安婦」抗議からみえる、日本のデモの未来[1/18]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1326889503/ 「20万人の婦女子が日本の官憲に連れていかれたといいますけど、じゃあその時、朝鮮人は何をしていたんですか?
みなさんはその問いに答えられないでしょう? 朝鮮人は家族思いなんですよ。目の前で自分の家族が日本兵に
連行されてるのをただ指をくわえて見ているわけがないんですよ!」
日章旗が立ち並ぶなかで、「在特会」の男性が拡声器で「人間の鎖」に厳しい口調で語りかける。
彼のいわんとしていることはよく分かる。
私事で恐縮だが、かつて「朝鮮人女性を強制連行した」と証言し、「従軍慰安婦」問題のきっかけとなった
吉田という元日本兵の取材をしに下関まで行った。そこで分かったのは、彼が共産党から出馬し、
旧ソ連の友好団体に属するなどバリバリの左であり、地元でもかなりうさん臭い人物として知られていたということ。
事実、吉田某は後に「あれは創作でした」と認めている。このように「従軍慰安婦」にはぶっちゃけ、
怪しいネタ元が多いのである。
「もう学術的には慰安婦問題は決着がついているんだよ! それを今になって強姦だった強姦だったってね。
これを許したら50年後に必ず、今新宿とか鴬谷とかで股を開いている朝鮮人ね、あれは強姦だったと言い出しますよ!
今みなさんの子ども、孫が我々のように罵られる。だから絶対にここで止める!」
>>252 ガキじゃねぇんだから戦争に正義だの悪だの持ってくんな。
益田市の研究/堀江清一のブログ : アメリカの学者の見た「日本統治」
http://kiyo5071.exblog.jp/2711432/ パルマーの選んだテーマは、極めて挑戦的なものであった。「もし日本人が朝鮮人民を抑圧していたのが
事実ならば、
なぜ、彼らに兵士として銃を与えることが可能だったのか」と問うたからである。
例えば、日本本国で1938年に施行された「国家総動員法」を朝鮮に適用する際、総督府は極めて慎重であった。
法律の施行に3年の猶予を儲け、本格的な朝鮮人民の動員が行われたのは1944年になっ
てからのことだ。また、同法は。日本人女性には適用されたが、朝鮮人の女性には適用されなかった。
また、「労働者として動員された人間は兵士として招集されない」というのも、日本本国にはなかった特例があった。
その理由として、パルマーは、朝鮮の労働者が国家主義や共産主義に煽動されるのを恐れていたことと、
戦争開戦以降、日本、朝鮮半島ともに労働者不足に悩まされ、労働者の価値が上がっていたことを挙げている。
同様の理由から、日本政府や総督府は、強制的な招集兵制度の実現にも細心の注意を払っていた。
パルマーは、帝国議会において、「朝鮮人民を強制的に招集するとすれば、公平性は保たれるか」という議論が
行われたことを指摘している。
また、日本軍にあって軍人として昇進した軍人が指揮官に任じられた例もある。朝鮮出身の将校の指揮の下に、
日本人の兵士が置かれていたことにパルマーは注目する。
確かに、インド人指揮官がイギリス兵を指揮したり、インドネシア指揮官がオランダ兵に命令を下すといった図式は
考えられないだろう。
益田市の研究/堀江清一のブログ : 韓国系軍人と志願兵・招集兵制度他
http://kiyo5071.exblog.jp/2714445/ 朝鮮で徴兵制(収集兵)制が実施されたのは、徴用と同じく敗戦直前の昭和19年(1944年)
4月のことですから、戦死された朝鮮人兵士のほとんどは、昭和13年(1939年)から実施された志願兵制によって
志願した人たちです。
益田市の研究/堀江清一のブログ : タブーの克服
http://kiyo5071.exblog.jp/2729866/ 西尾幹二のインターネット日録 平成15年11月1日
ttp://book.geocities.jp/nishio_nitiroku/kako25.html いかに韓国人が併合を歓迎したかは、帝国軍人になりたい韓国人志願兵の競争率が1938年で7.3倍、戦争
たけなわの43年に30万人余が応募し、倍率47.6倍であったことに表れている。