【韓国】 「李朝、閔妃と言う言葉は使うな」「朋党政治の朝鮮は党派がなかった日本より優れていた」〜朝鮮史概観[09/15]

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1蚯蚓φ ★
[トゥデイ・フォーラム]キム・デシク忠南道教育庁経理担当事務官

日本が独島(ドクト、日本名:竹島)の領有権を主張して歪曲された歴史教科書を認めるなど韓日
関係が急速に冷却している。この時点で一部極右分子の行動と片付けるのは、とても安易な発想
だという気がして、歪曲された植民史観を根拠に使われた歴史を少なくとも正そうと思う。

まず李朝と呼ぶのをやめよう。李朝は李氏朝鮮を略して言う言葉で、日帝が朝鮮の格を落とすた
めに作り出した言葉だ。すなわち日本の王は天皇で朝鮮は李氏の姓を持った人が治める辺境の
国という意味で絶対に使ってはならない。

朝鮮は1392年から1910年まで518年間のきらびやかな文化を大事に保管した国家だ。世界史
でこのように長く続いた王朝は多くない。この時期に書かれた朝鮮王朝実録はその規模のぼう大
さが他のどの国の正史と比べても郡鶏の一鶴だ。また、民族の自尊心と直結する韓国語、すなわ
ちハングルが創製された。果たしてこの地球上に自民族の独特の国語を持った国が何カ国あるだ
ろうか。

閔妃と呼ぶのもやめよう。皇帝の妃は皇后だ。高宗(コジョン)皇帝の正妃である明成(ミョンソン)
皇后を閔妃と呼ぶのは朝鮮の皇室称号を格下げさせようとする日帝の意図だ。幸い今の歴史教
科書は明成皇后で確立されている。
(中略:七去之悪の説明)

日帝の植民史観によって朝鮮が党派争いと事大思想で汚れた否定的な国という歴史認識がまだ
存在しているのは真に残念なことだ。日帝は朝鮮史を利用し亡国の責任を侵略者の日本ではなく
朝鮮人に向けようと党派性論を流布させた。日帝は朝鮮時代の政党を'主義を持って互いに存在
する公党ではなく、利害関係でお互いを排除する私党'と規定しこれを韓国人の特性と見なした。

従って政治がこのように分裂と対立を繰り返す中で社会発展は初めから期待できず、王朝が異民
族に国権を失ったのも政治のこういう乱脈から見て当然だと主張して朝鮮侵略を正当化した。朋
党は今で言えば政党政治で、この朋党が互いに争いながら発展し、それを通じて新しい政治論が
立案され、そこで新しいイデオロギーが派生する。こういう過程を通じて国家は発展するはずだ。
すなわち、朋党政治は現代の議会政治に移行する一つの過程と見ることができる。

従って朝鮮時代に朋党政治が非常に発展したことは党派が存在しなかった日本より朝鮮政治が
それだけ先進的であったという事だ。従って朝鮮の亡国の理由に朋党政治を主張するのは植民
統治政策を正当化するための日帝の卑劣な術策であったことを肝に銘じなければならない。

ソース:チュンチョントゥデイ(韓国語) 朝鮮史外出
http://www.cctoday.co.kr/news/articleView.html?idxno=792504

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