http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2013/07/19/2013071901150_0.jpg http://www.chosunonline.com/site/data/img_dir/2013/07/19/2013071901150_1.jpg ロシアのウラジオストク国立医科大学構内に設置されていた「安重根(アン・ジュングン)義士記念碑」が
撤去された問題(本紙7月15日報道)で、記念碑はロシア側が昨年2月に一方的に撤去したが、ウラジオストクの
韓国総領事館など政府当局は数カ月間これを把握できず、把握した後も何の措置も取っていなかったことが、
18日までに分かった。
国家報勲処などによると、記念碑が撤去された時期は昨年2月ごろと推定されるという。報勲処と韓国独立史跡の
管理に関する了解覚書(MOU)を結んでいるロシアの極東連邦大は昨年4月ごろ、記念碑が撤去されたことを確認し、
韓国の独立記念館に報告した。
だが、2002年に記念碑を建立したソウル保健神学研究院は、撤去から4カ月後の昨年6月にようやくこれを知らされた。
キム・ジョンソン理事長は「総領事館から『記念碑のことでウラジオストク国立医科大が来てくれと言っている』と
連絡を受けたので、翌日、大学関係者に事情を尋ねると『当局がすでに記念碑を運んでいき、今はウラジオストク
市庁文化局の倉庫に保管されている』という答えが返ってきた」と説明した。
同記念碑の建立をめぐっては、幾つもの難関があった。研究院は1998年、ウラジオストク国立医科大に「東洋の
平和のために活動した安重根義士をたたえる記念碑を一緒に建立しよう」と提案し、何とか承諾を得たが、ロシアに
いた北朝鮮側関係者の反対で計画は4年余り宙に浮いていた。
こうした苦労の末に建立された記念碑だが、韓国政府当局は撤去された経緯を正確に把握することさえできないまま、
この問題を公にせず傍観していた。総領事館は撤去の事実を昨年5−6月ごろに知ったが、その後も何の措置も取らず、
問題が表沙汰になった今月15日にも「正確なことが分かっておらず、確認中だ」と答えただけだった。外交部(省に相当)
は16日「記念碑について総領事館から報告を受けたことは一度もない。報勲処と対策を協議中だ」と説明した。
報勲処は、記念碑の撤去を半年後の昨年8月に初めて知った。独立記念館が昨年9月に現場調査に向かうに当たり、
報勲処に口頭で報告したという。報勲処の関係者は「ウラジオストク市側に記念碑を元に戻すよう要請し続けている。
ほかの地域への移転などを推進する予定だ」と説明した。
報勲処は記念碑撤去の経緯について「大学側が『歴史的関連性がない』という理由で撤去したものと聞いている。
詳しい経緯は確認中だ」としている。だが、ロシアで活動する韓国市民団体の幹部は「協定を無視して大学が唐突に
記念碑を撤去したというのは理解できない。大学が保管すれば済む記念碑をあえて市庁で保管していることも、
常識では考えられない」と指摘。その上で、撤去の主体と理由を明確に突き止めるよう韓国政府に促した。
現地では「ロシア政府が昨年9月のウラジオストクでのアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議を前に、
日本など周辺国の目を気にして記念碑を撤去した」とのうわさが出回っている。
安重根義士崇慕(すうぼ=尊び慕う)会のチョン・チャンウ総務課長は「政府が海外にある独立運動の記念施設の
保存に積極的に乗り出してこそ、民間団体が苦労して残した独立運動の痕跡が消えずに済むだろう」と話している。
チェ・ヨンジン記者
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