日本語の「かわいい」は漢字で書くと「可愛い」で、中国語でも「可愛」となる。
つまり、その語源は中国語ということになるが、中国では女性しかこの言葉を使わない。
これに対し、日本では老若男女が口癖のように「かわいい」を連発している。華字紙・日本新華僑報(電子版)が伝えた。
何事も真面目な日本人は「かわいい」研究にも余念がない。明治大学の四方田犬彦教授は
著書「『かわいい』論」で日本人の美意識は11世紀の「もののあわれ」、13世紀の「幽玄(ゆうげん)」、
16世紀の「わび」、18世紀の「いき」と続いており、この「かわいい」も21世紀の日本の「美学」と言えるかもしれない、とまとめている。
だが、幼い子どもや小さい物などを見て、思わず「かわいい」と言ってしまうのは分かるのだが、
日本人の「かわいい」は少々度を越しているような気がする。たとえば警察のPRポスターが「かわいい」だと真剣みに欠ける気がするし、
30歳を超えた女性が舌足らずな「かわいい」声で話しているのを聞くと鳥肌が立ってくる。
上司の出っ張った腹を見ても「かわいい」、気持ち悪いものは「きもかわいい」、
ブサイクなものは「ブサかわいい」と、どんどん変質している。日本人はなぜこれほどまでに「かわいい」を連発するのか。
それは目の前の人や物に対し、褒めようがなくて困った時に使える便利な言葉なのだ。
とっさに何といえば分からない時、「かわいい」と言って何となくその場を丸く収める。
その一方で、日本人は幼稚なものを「かわいい」と形容し、複雑なものを嫌うようになった。
「おバカ」が個性的だともてはやされるようになれば、学習力が低下するのは当たり前。
社会全体の責任感が薄れ、ひきこもりの状態に陥っていく。
今の日本社会は活気がなく停滞しきっており、ゆっくりと落ちぶれていっているように感じる。
「かわいい」は諸刃の剣だ。人付き合いを円滑に運ぶ便利な道具だが、
日本社会にもたらす副作用も徐々に露呈し始めている。
マッカーサーの見る目は鋭かった。彼は早くも1960〜70年代に日本人の本質を見抜いている。
「日本人はみな12歳の国民だ」と言っていたのだ。
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