【韓国軍事】海軍元司令官「日本は米韓司令部解体後の16年に独島侵略に乗り出すだろう。原子力空母・原潜が必要」★2[07/15]

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48<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん
米国と韓国が北朝鮮と戦ってる朝鮮戦争中に軍備の無い日本から奪ったのが竹島

1946.11.03 日本国憲法公布
1947.05.03 日本国憲法施行
1948.08.13 大韓民国成立
1948.09.09 朝鮮民主主義人民共和国成立
1950.06.25 朝鮮戦争開始
1950.08.10 警察予備隊発足(日本)
1951.09.08 サンフランシスコ講和条約&日米安保調印
1952.01.18 李承晩ライン(竹島占領)
1952.04.26 海上警備隊発足(日本)
1952.04.28 サンフランシスコ講和条約&日米安保発効
1952.10.15 保安庁設置(日本)
1953.07.27 朝鮮戦争停戦
1954.07.01 自衛隊発足(日本)

平和憲法が有っても軍事力が無い場合、特亜諸国は日本に躊躇なく軍を送り、日本人を殺害拉致を行ないました。
例えば日韓漁業協定の締結(李ライン廃止)までに、日本漁船328隻が拿捕され、船員3929名が抑留、44名が虐殺されました。
自衛隊発足までの期間、日本側乗組員が韓国艦艇からの射撃で射殺されるという事件(1953年2月4日)や、
海上保安庁の巡視船「さど」が韓国警備艇に拿捕される(1954年2月20日)といった事件も発生しています。
全て平和憲法下での日本の「短い非武装期間」で起きた出来事です。

また、北朝鮮による日本人拉致は平和憲法下及び一定の軍事力を有している状態でも発生し、解決していません。
憲法9条では日本及び日本国民の生命財産、治安を守ることはできないのです。


1963年9月28日 朝日新聞 天声人語
李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り
三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ十人の船員は
海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。冷たい海中をいのちがけの避難だ。
李ラインでの無法がまたはげしくなった。この海域はいま、アジ、サバの盛漁期で、
五、六百隻の日本漁船が出漁している。そこをねらって韓国警備艇は不意打ちをかける。
ライトを消し、島陰づたいに近寄り、銃撃をあびせたりする。日本側も巡視船を増やし、
厳戒警報を出しているが、捕獲は防ぎきれず、今年になってすでに十六隻。昨年一年中
に捕獲された数よりも多い。李ラインを越したという理由だけで、これまでに多数の船員
が釜山の刑務所に入れられ、船はとりあげられている。優秀船だとそれが韓国警備艇に
早変わりして、日本漁船を追ってくる。海の狼のような韓国警備艇の仕業だ。そもそも
李ラインというのは昭和二十七年(1952)一月に韓国大統領の李承晩氏が、国防上の要請
によるとして、設定を宣言したものだがそれは公海上に一方的に設定したもので、
国際法上不当なものだ。日本政府はこのラインを認めていないが、過去十年間に韓国は
勝手に実力を行使して、約三百隻の日本漁船を抑留、数多くの乗組員や家族を泣かせている。
九月(1963年)にはいって、韓国側がさかんに捕獲を開始したのは、大統領選挙と関係が
あるらしい。韓国の漁業界、漁民の票を得るために、朴政権は海洋警察隊に日本漁船捕獲
を命じたとも見られる。選挙の術策として隣国の漁船捕獲をはげしくするというやり方が、
国際常識からも許されるかどうか。韓国漁民の間に、日本漁業の技術に対する恐れと警戒の
気持ちがあるのかもしれぬが、資源の保護や漁業協力について日韓交渉で、双方とも誠意を
つくして話し合えばよい。漁民票をねらった強引な捕獲はこれまでの交渉での双方の努力を
無にしはせぬか。韓国は李ラインを"平和ライン"と呼ぶが、現状は不法ラインである。
公海上で日本漁船員を捕まえるこの理不尽は黙って見過ごせるものではない。